TOP>コラム>歯科医療の歴史を紐解くトリビア 第3回:理髪外科から外科学への発展

コラム

歯科医療の歴史を紐解くトリビア 第3回:理髪外科から外科学への発展

歯科医療の歴史を紐解くトリビア 第3回:理髪外科から外科学への発展
歯科医療の歴史を紐解くトリビア 第3回:理髪外科から外科学への発展

外科医療の始まり

「ヒポクラテス医学」を代表とする古代の医学は、ギリシア出身でローマ皇帝マルクスの侍医となったガレノスによって体系化され、中世のヨーロッパまで強い影響を与えてきました。第3回は、中世のヨーロッパ医学における外科医療の始まりについて解説していきます。 外科手術はすでに古代医学で行われていました。しかし、基本はヒポクラテス医学に代表されるように、積極的な外科療法を行うのでなく、自然治癒を期待する消極的な治療でした。現在でいう内科的な治療が主で、修行を積んだ医師や僧侶によって神殿や教会など、聖域の場で行われていました。 その後、医学(内科)とは別に外科が誕生していきますが、その過程で理髪師が外科処置を行う歴史がありました。理髪師が認識されたのは古代ローマ時代で、ギリシアを征服したローマ兵士が外征の帰路、エジプト人の理髪師による髭剃りなどのサービスを気に入り、自国に彼らを連れて帰ったことがきっかけで理髪師がヨーロッパに広がったといわれています。

理髪外科の誕生

僧侶は「血は忌むべきもの」との宗教的理由、医師は「人を傷つけてはならない」との倫理的理由もあり、しゃ血、切開、排膿、抜歯、四肢切断など、出血をともなう処置は理髪師にさせるようになっていきました。そして、それらの行為は「理髪外科」とよばれるようになり、技術は徒弟制度によって伝えられていきました(図1)。さらに疫病や戦傷者の治療から理髪外科のニーズは高くなっていきました。 医学がギリシアで確立しローマで発展したので、医学書はギリシア語あるいはラテン語で書かれていました(現在も医学用語の語源がギリシア語やラテン語なのはこの背景によるもの)。医学書を読む能力があり、医学を理解できる理髪師とそうでない者に大きな差が生じるようになり、両者を同一に扱うことができなくなってきました。

外科医の独立と組合の誕生

たとえばイギリスでは、1540年に理髪・外科医組合が設立されましたが、その後、人体の解剖や疾患の病態などをよく理解している外科医は理髪業務から分離され、1745年に外科医組合が誕生しました。この外科医組合はイングランド王立外科医師会として認められ、大きく発展していきました。なお、外科医が理髪組合から分離されたのはフランスで1731年、ドイツで1872年です。

アンブロワーズ・パレ:「優しい外科医」

理髪外科の歴史で、もっとも著名な理髪外科医はアンブロワーズ・パレ(1510-1590)です。彼は身分の低い理髪外科の出身でしたが、3代にわたりフランス王の侍医を務めました。 パレはフランソワI世が派遣した部隊の軍医として、負傷兵士の治療にあたりました。創部に対して、沸騰したサンバス油を注ぐ治療が通常に行われていましたが、この治療は負傷者に強い苦痛を与え、多くは死に至りました。パレは、銃創にテレピン油などを含む軟膏を試行錯誤して作製して、苦痛が少なく、高い効果を示す治療法を見出しました。また、血管を直接、糸で縛って止血する血管結紮法を編みだすなど、外科治療をつぎつぎに変革していきました。 パレの外科書は約250年間も広く読まれ、外傷治療や形成外科の礎を作りました。この書には唇裂の手術、歯の再植、歯の結紮・固定など歯科口腔外科に関するものが含まれています。パレは患者さんに対して愛護的な態度で接し、低侵襲の治療を選択していったことから、「優しい外科医」と評価されるようになりました。

外科学の確立と発展

理髪外科から外科が科学的な医療として確立するためには、①正確で詳細な解剖学の理解、②確実で安全な麻酔、③感染予防の確立の3つの進歩を待たなければなりませんでした。 ①解剖学の確立 解剖の歴史は古く、古代エジプトのエドウィン・スミス・パピルスに頭蓋や脳のことが記述されていることや、紀元前300年アレキサンドリアの医師のヘロフィロスが人体解剖を行い、神経回路網を発見し、脳が臓器を制御していることをすでに見出していたと伝えられています。 しかし、人体の解剖学研究が活発になったのは、ルネサンス期に入ってからです。1543年、イタリアのアンドレアス・ヴェサリウスは実際の人体解剖に基づいた著書『ファブリカ』(人体の構造)を出版しました。この書は、写実的なイタリア絵画を取り入れた大作で正確な人体の構造を示したもので、西洋医学の飛躍的な発展に貢献し、「近代解剖学の祖」といわれるようになりました。その後、イギリスの理髪・外科組合長の一人だったウイリアム・チェゼルデンは1713年に『人体の解剖』を出版しました。英語版の著書は英国、米国で16版を重ねる教科書になりました。また、ジョン・ハンターは新鮮遺体の解剖実践、標本作成、動物実験や歯科医師との共同研究で歯科疾患の報告もしました。ドイツの医師サミュエル・トマス・フォン・ゼンメリンクは、ドイツ語とラテン語で解剖学の体系書を出版し、初めて12脳神経を明らかにしました。フランスの解剖学者マリー・フランソワ・グザヴィエ・ビシャは『生理学と医学に応用した一般解剖学』を出版し、後の病理学、組織学や生理学研究への架け橋となりました。 ②麻酔の進歩 外科手術に欠かせないものが麻酔です。古代から18世紀ごろまでは大麻やアヘン、マンダラゲ、コカなどの薬物を用いて手術が行われていました。1804年、華岡青洲は麻沸散という薬を用いて乳がんの手術を成功させています。これが世界で初めての全身麻酔での手術だといわれています。 近代麻酔の幕開けである吸入式の麻酔を初めて行ったのはアメリカの歯科医師のホーレス・ウェルズで、1845年に亜酸化窒素(笑気)麻酔により抜歯を行いました(図2)。翌年、アメリカの歯科医師のウイリアム・モートンがマサチューセッツ総合病院で行ったエーテル麻酔での公開外科手術の成功は有名です。 その後、エーテルやクロロホルムによる麻酔は世界中で約50年間、頻用されました。特に、1849年、ヴィクトリア女王にクロロホルムを吸入して無痛分娩を行ったことで知られる英国のジョン・スノウは、一方弁のついたフェイスマスクを用いました。この草創期の麻酔器から現在の吸入式麻酔器につながっていきます。 ③消毒法の確立 手術に際して、手洗いや器具を消毒することは今では当然のことです。しかし、現在のような消毒法が確立されたのは、実は19世紀中頃になってからです。 そのきっかけは、ハンガリーの産科医イグナーツ・ゼンメルヴァイスでした。当時、多かった産褥熱を産科医が次亜塩素酸で手を消毒することで、劇的に防止できることを見出しました。しかし、当時の医学界には受け入れられず、不幸な人生を送り47歳でその生涯を終えました。 一方、イギリスの外科医ジョセフ・リスターは、外科手術後にしばしば起こる傷口の化膿や発熱による死亡(敗血症)が細菌によって起こることに気づき、石炭酸をしみこませた包帯で傷口を覆ったり、また石炭酸噴霧法を試みたりするなどで感染防止ができることを示しました。 前述したゼンメルヴァイスやリスターが高い評価を受けるのは、19世紀に「細菌学の父」と称されるフランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホが細菌の存在を明らかにしてからになります(詳細は次号以降にて掲載予定)。 図1 中世のヨーロッパでは、抜歯など出血をともなう処置は理髪師が行っていました(理髪外科)。赤・白・青の3色のサインポールは世界各国に共通で、理髪外科の名残と考えられています(生成AIによる画像作成) 図2 アメリカの歯科医ホーレス・ウエルズは、世界で初めて吸入式麻酔で手術(抜歯)を行いました(生成AIによる画像作成)。

著者白砂 兼光

九州大学名誉教授

略歴
  • 1970年 大阪歯科大学卒業。大阪大学歯学部第1口腔外科に入局。
  • 1981年 大阪大学歯学部附属病院講師
  • 1082年 西ドイツビュルツブルグ大学助手
  • 1987年 大阪大学歯学部第1口腔外科助教授
  • 1995年 九州大学第2口腔外科教授
  • 2000年 九州大学大学院教授
  • 2009年~2011年 広島大学大学院特任教授(医歯薬研究科)
  • 2009年 九州大学名誉教授

  • 主な著作 『口腔外科学』(医歯薬出版株式会社)

    所属団体
    • 日本口腔科学会名誉会員 元副理事長
    • 日本口腔外科学会名誉会員
    • 日本頭頸部癌学会 元理事
    • 口腔顔面神経機能学会 元理事長
白砂 兼光

tags

関連記事