現在、乳歯齲蝕は激減したが、急に減少したのではない。 時系列的には、以下のタイプAからタイプEの順に減少してきた。 タイプAは、1970年代に多かった、乳前歯部の残根・乳臼歯部の多数歯重症齲蝕。 初発の原因の大半が、哺乳瓶の使用による"哺乳瓶齲蝕"である。 哺乳瓶に含糖飲料を入れて与えるだけでなく、人工乳にも蔗糖が加えられていた。注1 就寝中、唾液が分泌されないので、中性に戻す緩衝作用が働かない。注2 そのため、夜間は歯が溶かされ続けたのである。 低年齢児の齲蝕が爆発的に増加したのは、これが原因であった。 しかも、齲蝕の初発年齢が早いので、2歳前に上顎前歯が残根状態になっていた。 当時は、"むし歯の歯が生えてきた"という表現まで聞かれた。 乳前歯に初発した齲蝕は、瞬く間に第1乳臼歯、さらに第2乳臼歯に広がる。 すなわち低年齢児の前歯部の齲蝕は、"出火当時の火事"といえる。 タイプAの口腔内は、まさに山火事の状態なのである。 このような背景から、1978年に1歳6か月児歯科健診が始まった。 そこで、哺乳瓶齲蝕に対する指導が行われ始めた。 こうして、乳前歯部の齲蝕軽症化し、タイプBのパターンが増えてきた。 しかし依然、臼歯部は多数歯の重症齲蝕が多かった。 その後、間食については回数や規則正しく与えることや、保護者による介助磨きを中心とした指導が行われた。 かくして、乳前歯部の齲蝕がなくなり、初発部位が臼歯部咬合面のタイプCになった。 しかし、当時はまだ"早期発見、早期治療"が重要だと考えられていた。 この時期に、齲蝕の治療行っても、すぐに二次齲蝕となる。 しかも理解力に乏しい小児の治療は、泣いて暴れて大騒ぎになる。 無理な治療を続けると、将来の歯科恐怖症になる可能性がある。 実際、成人の歯科恐怖症患者は多い。 その大半の原因が、小児期の嫌な体験と考えられている。 その頃、乳歯齲蝕の予防が治療を考える上で画期的な本が出版された。 横浜臨床座談会 丸森賢二先生の"むし歯予防の実践"であった。 続く 注1:1975年頃までは、人工乳に8~13%の蔗糖が含まれていた。これが問題となり、その後メーカーは砂糖を乳糖に代えた。 注2:唾液緩衝作用は、健康な人で水より1万倍~10万倍強い。
著者岡崎 好秀
前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
略歴
- 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
- 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
- 日本小児歯科学会:指導医
- 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
- 日本口腔衛生学会:認定医,他
歯科豆知識
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