歯科医師でありながら鋳造を含む技工物の製作を自ら行い、小説家としても活躍する「ひぐち歯科」の樋⼝克輔院長。最近では、歯科技工の技術を活かした造形デザインも手がけるように。歯科技工士不足の問題からブログ発信のコツ、文章力の磨き方など、さまざまなお話を伺いました。
新潟県新潟市 ひぐち歯科医院 院長 樋⼝ 克輔 先生
歯科技工士不足の深刻な現実
-- 義歯や被せ物といった技工物は、通常、歯科技工士が製作します。ところが樋口先生は、鋳造も含めて、すべての工程をご自身でされています。このようなスタイルになった理由を教えてください
大学時代の恩師が歯科技工を行う先生だったことがきっかけです。特に技工が好きだったわけではないんです(笑)。でも、「できそうかな」と思って取り組んでいるうちに、同級生よりも数をこなすようになり、自然とテクニックが身につきました。勤務医時代も院内に歯科技工所が併設された診療所に勤めていたため、自分が開業する際に鋳造機などの技工設備を揃えることは自然な流れでした。
-- 鋳造機まで導入している歯科医院は珍しいのではないでしょうか
そうだと思います。ただ、歯科技工士が足りなくなるという話は以前から言われていたことで、いよいよそれが現実のものになっています。例えば、私の医院がある地区では保険義歯を手がける歯科技工所が1軒しかなく、還暦前後の歯科技工士さんが一人ですべての歯科技工物を担っています。
-- お一人しかいないのですね
はい。こうした状況は全国的に広がっているものと考えられます。そのためか、最近は歯科の先生から「鋳造について教えて欲しい」と相談を受けることがあります。皆さん、発注できる歯科技工所が少なくなり、困っているのだと思います。だから、歯科の先生方は現役で頑張っている歯科技工士さんを大切にして欲しいですし、歯科技工についてももっと知って欲しいと思っています。
診療所内の技工スペースで技工作業を行う樋口先生。診療の合間の昼休みを技工作業の時間に当てている。
37歳で作家デビュー。そのきっかけは?
-- 樋口先生は小説家としても活動されています。作家デビューのきっかけを教えてください
勤務医時代、落ち込んでいたときに友人が内田康夫さんの推理小説をたくさん貸してくれて、ミステリー小説が好きになりました。その後、いろいろな小説を読んでいく中で、川田弥一郎さんの作品と出会ったんです。川田さんは医師でありながら小説家としても活動されていて、「そうか、お医者さんをやりながら小説って書けるのか。それなら俺にもできるかもしれない」と勘違いしたんです(笑)。それから一生懸命、内田康夫さんの作品や文体を参考にして小説を書きました。そして、37歳のときに横溝正史賞の佳作を受賞したことを機に、作家デビューを果たしました。
-- 小説家と歯科医師という2つの職業が影響し合っていることはありますか
もちろんあります。例えば、私はブログを書いていますが、患者さんは皆さん、読んでくださっていて、患者さんとのコミュニケーションに役立っています。また、先にお話しした歯科技工の問題など、世の中に問いかけたいことや次世代に残したいテーマがたくさんあって、そうした話題を発信するためにも文筆業をやっていて良かったと思います。
読まれるブログ、伝わる文章とは?
-- ブログを開設している歯科医院は多くあります。読まれるコツはあるのでしょうか
まず私は歯科のことは書かないことです(笑)。皆さん、難しい話は読みたがらないので、私の場合は主に時事ネタを書いています。そのほうが患者さんも喜ばれます。ブログは患者さんとのコミュニケーションの一環として捉えているんです。あとは短く書くこと。それから、伝えたいことは1つだけに絞る。これは診療をしていても思うのですが、患者さんは1つのことしか覚えてくれません。例えば、「今日は血が止まらないかもしれないから、激しくうがいをしないように。そして早く寝てください」とお伝えしたとしても、家に帰るころには忘れてしまいます。そのため、「早く寝てください」とだけ伝えます。ブログも同じで、内容を絞って書くことが大切です。あらためて、世の中で美文と呼ばれる文章を読んでみると、たいてい平易な言葉で、それも短く書かれていますよね。
-- 美文とは、具体的にどんな文章のことを指すのでしょうか
一回読んだだけで意味がスッと入ってきて、簡潔でわかりやすい。そのうえで豊富な知識や教養が得られ、情緒に訴える。そんな文章が美文と言えるのだと思います。最近は生成AIが発達して、CGで本物の人間のような画像が作れるようになりました。その画像が人間に近づくほど、ある段階で嫌悪感を抱く「不気味の谷」と呼ばれる現象があります。生成AIでつくった文章にも、不気味の谷が存在すると思います。それをなくすためには、鉛筆で書くように、自分の頭で思考して文章を紡ぐ力が必要だと思います。歯科においてもCAD/CAMシステムなどコンピュータを用いて技工物の設計・製造を行うケースが増えていますが、クオリティの高い技工物を製作するには、アナログ的な技術や知識が必要です。それと同じことだと思います。
-- 文章がうまくなるには、どんな練習をすればいいのでしょうか
とにかく本を読むこと。「快哉を叫ぶ」とか「しかつめらしく頷く」など、日常生活では触れないような言い回しや単語に出会ったら、覚えておくこと。それから短文の練習にはX(旧Twitter)がお勧めです。Xの投稿文は140文字までという制限があり、その中で自分の意思を伝えて、どれだけ「いいね」をつけてもらえるか。これは文章力を鍛えるいい練習になります。
多趣味ではなく、“勘違い”
-- 樋口先生は造形デザインもされていると伺いました
歯科技工の技術を活用して、付加価値のあるものを何かつくれないかと思い、飼っている犬のキーホルダーを義歯用のレジン材で作ってみたんです。着色をして患者さんにお見せしたら、とても好評でした。実は、歯科医師も歯科技工士も毎日、宇宙にひとつしかない技工物をつくっています。その技術力やポテンシャルは、素晴らしいものがあると思っています。だから今、歯科技工士さんと一緒に造形デザインのスタジオを立ち上げて、商品を販売する仕組みをつくっているところです。歯科医師と小説家、さらに造形デザイナーと、二足どころか“三足のわらじ”になってしまいました(笑)。
-- “三足のわらじ”だと、1日の時間の使い方が難しそうです
私は朝起床して2時間ほどしか文章は書きません。寝る直前に書いた文章は、翌日読み返すと駄目なものばかりです。だから、頭がいちばん冴えている朝に書くようにしています。診療時間は午前9時から午後6時まで。技工作業は昼休みの時間を利用しています。それぞれ使う頭が違うので、時間を一つのまとまりとして考えて、朝、原稿を書き、出勤して診療、昼休みに技工を行い、午後の診療をして終わり。夜は何もしない。そんな1日です。
-- 現在はさまざまなSNSが発達しています。作家としても活動されている樋口先生から見て、こうした時代において、歯科医院はどのように情報発信をしていくのがいいのでしょうか
SNSを使う人が増えたことで、発信しても埋もれてしまい、難しい時代ですよね。だからといって、目立とうときらびやかなホームページをつくっても、かえって胡散臭く感じて読んでもらえなくなります。結局、大事なのは、目の前にいる患者さんと日頃からしっかり向き合うことではないでしょうか。そして、地道にいい歯科医療や歯科技工物、プロダクトを提供することに尽きると思います。
-- なるほど。ありがとうございます。ところで、さまざまなことに取り組まれている樋口先生は、もともと多趣味なのでしょうか
いいえ、むしろ趣味がほとんどなくて、山登りをするくらい(笑)。だから、全部、勘違いなんです。“歯科技工?−できそうだな”、“小説?−書けそうだな”“造形デザイン?−できるんじゃないか”、そんな勘違いというか、確信というか。何かを始めるときは、“できそうだな”という気持ちが大切なのかもしれませんね。
インタビュイー
樋⼝ 克輔(ひぐち歯科医院 院長)