歯科医学の独立と発展
今回は、歯科が医科とは別の道を歩むことになった歴史的背景について探っていきます。 第3回で解説した理髪外科から分離されたパリ外科医学会には、歯科専門の外科医が約30人いました。その一人、ピエール・フォシャールは歯科治療の多様な症例を記録した『歯科外科医』を1723年に出版しました。これが歯科医師という独立した職業の誕生につながったと考えられています。 アメリカでは、1820年頃までは歯科を専門とする医師は100人以下でした。1840年、ホーラス・ハイデンとチュービン・ハリスによって世界最初の歯科医学校であるボルチモア歯科医学校が設立されました。その後、アメリカで3つの歯科医学校が設立されましたが、いずれも専門学校でした。大学に歯科学校が設立されたのはハーバード大学で、教育も従来の技術重視から基礎医学を含む科学的なものになっていきました。日本における歯科医学の発展
江戸時代までは、歯科を表現する名称は「口中科」が使われ、本道医や瘍科医が歯科疾患の治療を行っていました。また医師でない香具師(歯抜師や入歯師)も治療を行っていました。幕末、米国と日本との間に通商条約が締結されたのをきっかけとしてウイリアム・クラーク・イーストレーキなど米国人歯科医師が来日し、西洋の歯科医学を伝授しました。 1874年から医術開業試験制度が施行されました。翌年、第1回試験が行われ、小幡英之助は特別に「歯科」を請願して合格し、医籍登録されました。これが日本人最初の歯科医師です。この制度で医籍登録された歯科医師は139名です。1884年からは歯科医術開業試験が始まり、医籍とは別に歯科医籍として登録されるようになりました。歯科医学校の誕生
歯科医学校は、1)歯科医学専門学校、2)歯科医師開業試験付属病院、3)医学部歯科学教室からの独立――といった3つ過程で生まれました。 1)歯科医学専門学校 もっとも古い歯科専門医学校は、高山紀齋が1880年に設立した「高山歯科医学院」で、1900年に同学校を譲り受けた血脇守之助が東京歯科医学院(東京歯科大学の前身)を設立しました。その後、日本各地で歯科医学校が設立されていきました。たとえば、1909年に日本歯科医学校(日本歯科大学)、1914年に大阪歯科医学校(大阪歯科大学)と九州歯科医学校(九州歯科大学)が設立されました。 2)歯科医師開業試験付属病院 医術開業試験を実施する病院として「永楽病院」が使用されていましたが、試験制度が1918年に改正され、医師試験と歯科医師試験が完全に分離することになりました。そこで新たに、歯科医師開業試験付属病院(文部省歯科病院)設立されました。その病院が前身となり、1928年に東京高等歯科医学校(後の東京医科歯科大学、現在の東京科学大学)になりました。 3)医学部歯科学教室からの独立 歯科医学校の設立に加えて、国立大学医学部に歯科学教室が開設されていきました。東京大学では1903年、九州大学では1922年、大阪大学は1926年のことです。1951年、国立総合大学に初めて医学部から独立した歯学部が大阪大学に設立されました。さらに1960年代に国立大学や私立大学に歯学部や歯科大学が次々に設立されていき、現在に至っています。歯科医学の独自性
歯科が医科とは別の道を歩むことになった背景には、①専門性の高さ(口腔領域の治療には特殊な技術や知識が必要)②教育システムの違い(歯科医学校が独立して設立され、独自のカリキュラムが発展)のような要因があると考察されます。また医師はドイツ医学を学んだのに対し、歯科はアメリカ歯科医から知識や技術を学んでいます。近代歯科医学に貢献したわが国の偉人(図1)
1)小幡英之助 中津藩(大分県)の出身で20歳の時、上京して慶応義塾で英語を学び、同郷の医師・佐野諒元から医学を、そして近藤良薫から外科を学びました。しかし手先が器用で歯科医に向いていると指摘され、米国人歯科医師であるセント・ジョージ・エリオットから西洋式の最新歯科技術と知識を身につけました。医師開業試験の際、口中科がありましたが、これは学んだ西洋歯科とまったく異なることから特別に「歯科」での受験を要求して合格しました。彼は東京で開業し、伊澤道盛など十数人の弟子をとりましたが、求められた政府や業界の職に就くことなく一開業医として生涯を全うしました。 2)高山紀齋 岡山出身で上京し慶応義塾で英語を学び、さらに米国に留学しました。留学中、歯科治療をうけた内容に感銘して、米国人歯科医師バンデンバークに師事して、歯科技術を習得しました。帰国後、医術開業免許を取得し、東京で開業しました。1880年、歯科医術開業試験を受験するための「高山歯科医学院」を設立し、歯科教科書というべき「保歯新論」を出版しました。高山歯科医学院を血脇守之助に譲った後は、小幡英之助と伊澤道盛とともに大日本歯科医会(現在の日本歯科医師会の前身)を設立し、初代会長に就任しました。 3)伊澤信平 備後福山藩医・伊澤柏軒の第三子として生まれましたが、本家の伊澤道盛の養子になりました。東京外国語大学でドイツを学んだ後、東京医学校(東京大学医学部の前身)で医学を学んでいました。しかし、歯科専攻を希望していたため、退学して伊澤道盛に歯科を学びました。その後、ハーバード大学歯学部に留学してDMD(Doctor of Medicine in Dentistry)免許を取得、さらにベルリン大学でロベルト・コッホに細菌学を、ロンドンで口腔外科を学びました。帰国後、歯科の特殊性や近代歯科医学史ならびに歯科教育や病院の必要性について力説するなど歯科界に大きな影響を与えました。特に口腔外科の重要性について述べています。図1 日本の近代歯科医学に貢献した3偉人。左から小幡英之助(第一回医術開業試験合格)、高山紀齋(初めて歯科医学専門学校を設立)、伊澤信平(西洋歯科医学を普及)。(参考文献1より引用) 参考文献 1.榊原悠紀田郎.歯記列伝.東京:クインテッセンス出版,1995.
著者白砂 兼光
九州大学名誉教授
略歴
- 1970年 大阪歯科大学卒業。大阪大学歯学部第1口腔外科に入局。
- 1981年 大阪大学歯学部附属病院講師
- 1982年 西ドイツビュルツブルグ大学助手
- 1987年 大阪大学歯学部第1口腔外科助教授
- 1995年 九州大学第2口腔外科教授
- 2000年 九州大学大学院教授
- 2009年~2011年 広島大学大学院特任教授(医歯薬研究科)
- 2009年 九州大学名誉教授
- 日本口腔科学会名誉会員 元副理事長
- 日本口腔外科学会名誉会員
- 日本頭頸部癌学会 元理事
- 口腔顔面神経機能学会 元理事長
主な著作 『口腔外科学』(医歯薬出版株式会社)
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