本連載ではこれまで、少しでもすぐれた全部床義歯を製作するためのヒントについて解説してきました。最終回となる今回は、全部床義歯のゴールとは?というテーマを考察してみたいと思います。残念ながら機能回復には限界がある
多くの患者さんが勘違いしていることの1つが、“良い(高価)義歯を作れば自分の歯と同じようになんでも噛める”という思い込みです。 あるいは、「知り合いがここの歯科医院で義歯を作ったら、りんごでも何でも前歯で噛めると言っていたから、私もここで作れば大丈夫だと思って来ました」 このような期待は、残念ながら叶えることが非常に難しいと言わざるを得ません。その理由としてまず考えられるのは、たとえ同じ無歯顎症例であったとしても、患者さんそれぞれの条件がまったく異なるという点です。 顎間関係も正常で顎堤の状態も良好、唾液分泌量も十分という良い条件の患者さんと、顎間関係が著しく不正で、顎堤の吸収が著しく、唾液分泌量が極端に少ない患者さんでは、残念ながら機能回復の程度には大きな差が生じてしまいます(図1)。 図1 残念ながら、左と右の症例では、得られる機能回復の程度に差が生じると考えられる。 当たり前だと感じるかもしれませんが、この事実はやはり患者さんに良く説明して理解してもらい、新義歯に対する期待度を過大にしないように注意することは非常に大切です。患者それぞれにゴールを設定する重要性
前述のように、残念ながら患者さんがもつさまざまな条件により、機能回復の程度には差が生じてしまいます。 そのため、患者さんが望んでいることをすべて叶えるのは難しい場合があり、どうしても“何を優先するか”を考えてゴールを設定する必要があります(図2)。 図2 患者さんそれぞれが重視する項目は多様であるうえに、得られる機能回復の限界も異なるため、ゴールは患者さんごとに設定することが重要である。 例えば、義歯の維持が弱くなる可能性があっても、前歯の審美性を優先し、大きく前方に排列することを希望される患者さんもいれば、義歯の安定を求めるあまり、舌房がわずかに狭くなる場合など、審美と機能の両立はどうしても難しい場合があり、優先順位をつける必要があると考えられます。最低限回復したい機能レベルとは?
ただし、どんなに難しい症例であっても、せっかく新義歯を製作するのであれば、歯科医師として叶えてあげたい最低限の機能回復のレベルがあると考えています。①ある程度の開口では大きく義歯が動揺しない
少なくとも食品を口腔内へ入れる間、あるいは会話時に義歯が大きく動揺しないことが必要です。その目安になるのは、2横指、3秒ルール:「2横指程度開口し、3秒間義歯が脱離しなければ、食事には大きく困らない。」(岡山大学、皆木省吾教授)という維持の検査法です。②柔らかいものを痛みなく、奥歯で咀嚼し嚥下できる。
少なくとも柔らかい食品であれば、痛みを感じることなく、臼歯で咀嚼し、嚥下を行うことができることは最低限必要なことだと考えられます。③自然に会話ができる程度の発音・構音機能の回復
客観的に自然な会話が成立する程度の発音・構音機能は、最低限回復する必要があると考えられます。④明らかに不自然な状態でなく、自然な見た目の回復
外観に関しては、主観的な部分が大きいため、必ずしも患者さん本人の満足を完全に得ることは容易ではありません。しかしながら、少なくとも歯科医師が客観的に見て、不自然でない程度には回復すべきだといえます。最後に
現在の我が国における全部床義歯の臨床や教育を取り巻く環境には課題が多いと感じており、残念ながら十分な機能を果たすことができない義歯が患者さんに提供されていると考えられます。たしかに全部床義歯の臨床は経験が必要で、一朝一夕ですぐにできるようにはならないかもしれませんが、本連載で記したような基本的な事項を大切にすることで、少しでも読者諸氏の義歯臨床に役立つことを願っています(了)。
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著者松田謙一
大阪大学大学院歯学研究科顎口腔機能再建学講座臨床准教授
略歴
- 2003 年、大阪大学歯学部卒業
- 2007年、同大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
同大学大学院歯学研究科顎口腔機能再建学講座助教・臨床講師を経て、2019 年より医療法人社団ハイライフ大阪梅田歯科医院院長、HILIFEDENTURE ACADEMY 学術統括者。
現在、大阪大学大学院歯学研究科顎口腔機能再建学講座臨床准教授も務める。
https://dentureacademy.org/