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薬の世界からみる歯科の世界 第1回:奈良時代に思いを馳せて~1300年前の歯科治療は?~

薬の世界からみる歯科の世界 第1回:奈良時代に思いを馳せて~1300年前の歯科治療は?~
薬の世界からみる歯科の世界 第1回:奈良時代に思いを馳せて~1300年前の歯科治療は?~
私は週末、奈良市西大寺で過ごすことが多い。周りには、唐招提寺や薬師寺、平城宮跡歴史公園などがあり、いずれも徒歩圏内である。平城宮跡へは歩いて数分なので、日曜日の朝、犬を連れて約1時間のウォーキングに行く。広大な敷地(東西1.3km、南北1km、面積120ha)には、大極殿や朱雀門、平城京いざない館(歴史博物館)、遣唐使船などがあり、1300年前の奈良時代の庶民や宮廷での生活を知ることができる。また、カフェやレストラン、ショッピングモールもある。

平城宮跡を散策しながら、1300年前の奈良時代に歯が痛かった時は、どうしたのだろうかと考えてみた。おそらく、歯医者はいなかったと思われるので、まずは何らかの生薬(神経を麻痺させるような成分からなる薬草)を痛い部分に塗って、それでも治らなかったら痛い歯は抜いただろうと想像した。

そこで、家に帰ってインターネットで調べてみたところ、はっきりとした記録は残っていなかったが、奈良時代は口内専門の治療医がいて治療を行っていたが、その技術は秘伝で他者には伝えられなかった。しかも、治療の対象は上流階級に限られていた模様。また、この時代の歯科治療は抜歯が中心であったようである。想像していたのと少し違っていたが、抜歯の所は想像通りであった。神経を麻痺させる生薬などを塗っていたかどうかは定かではない。

もっと調べてみると、奈良時代には、耳目口の三科が一科であった。平安時代になると、口科(歯科)が独立し口中医が誕生した。口中医は、公家、武家など上流階級を対象に、口の中全体が守備範囲で、歯、歯肉、舌、喉などの治療をしていた。江戸時代になると、入れ歯づくりを本業にする入れ歯師が誕生する。入れ歯師は、主に庶民を対象に入れ歯づくりや、歯痛や歯くさ(歯周病)の治療や抜歯を行っていた。口中医や入れ歯師が副業で売っていた歯痛止め薬には、字、胡椒(歯痛止め)、明礬(ミョウバン、収斂作用、殺菌作用)、乳香(歯磨き、歯周病予防)などが含まれており、現代の知識で判断しても薬効があると思われる。薬売りの香具師は、街頭で居合い抜きやこま廻しをして人集めをし、歯痛止めの薬や歯みがき粉を売っていたようだ。(改変引用:歯の博物館ホームページよりhttps://www.dent-kng.or.jp/museum/ja/hanohaku03/)

奈良時代の平均寿命は30歳前後なので、現在(男性81.6歳、女性87.7歳、厚生労働省・令和2年資料)と比べると約3分の1である。1300年間で平均寿命や生活の質、食糧事情、交通、環境など激変した。また歯科治療も抜歯中心から大きく変化してきた。また今の時代は、クオリティ・オブ・ライフ(QOL: 生活の質)をいかに高めるかが問われているが、これからはクオリティ・オブ・デス(QOD: 質の高い死)を求めるようになっていくだろう。奈良時代は、いかに生きるかの時代で日々病気との戦いであったと思う。日本は今、長寿立国である。これからは表面的な充実から内面的な心の充実が大切になってくる。そして、尊厳のある死を考える時代である。

そんなことを考えながら、散策を終える頃には良い塩梅に空腹になるのである。さて、昼食には何を食べようか?しかし、今日もおいしい食べ物を有難くいただけるのは、歯科医療の発達、歯科医師・歯科衛生士・歯科技工士の方々のお陰である。

今日も感謝していただこう。

著者原英彰

岐阜薬科大学学長

略歴
  • 1983年、岐阜薬科大学卒業
  • 1988~1990年、東北大学医学部脳疾患研究施設神経内科留学
  • 1994~1996年、ハーバード大学医学部ニューロサイエンスセンター(神経内科)留学
  • 2007~2021年、岐阜薬科大学薬効解析学研究室教授。

同大学薬科学科長、同大学院研究科長、同大学副学長を経て、現職。

著書に「前向き脳でエンジョイ・エイジング!(長寿の秘訣は脳の健康から)」(学文社)、「なにはともあれ元気が一番!(知って損なし脳・心・からだ・くすりのお話)」(アンデパンダン)
本学ホームページ:https://www.gifu-pu.ac.jp/

原英彰

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