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コラム

通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたい ―「最後の歯医者」としての食支援 ― Vol2

通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたい ―「最後の歯医者」としての食支援 ― Vol2
通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたい ―「最後の歯医者」としての食支援 ― Vol2
●入店を断られた“飲み友だち”

萩野先生は日本料理店『甚三紅』」のオーナーでもあります。

飲食店を始めた理由について教えてください高齢の飲み友だちとの出会いがきっかけです。彼は前立腺がんが骨転移し、すでに末期の状態でしたが、私が義歯を調整すると、しっかりと食事ができるようになり、一緒に飲み歩くようになりました。主治医からは「年を越せない」と告知されていたにも関わらず、それから4回、年を越すことができました。それでも最後の頃には飲むたびに転ぶようになり、飲食店から入店を断られるようになっていました。そんな彼を不憫に感じ、「飲んだり食べたりすることが好きな人が最期までおいしく食事ができる飲食店をつくりたい」と思い、2015年に『甚三紅』をオープンしました。

『甚三紅』とはどんな飲食店なのでしょう

お店では通常の日本料理を提供していますが、事前に予約があれば嚥下調整食のコースを用意することができます。ただし、予約時に必ず私がヒアリングを行い、摂食嚥下機能の評価を行います。そして、どんなかたさや粘度であれば食べられるのかを料理長に伝え、試作を繰り返し、お出しする料理を決めていきます。 ●それでも口から食べたいと願う

日本料理店を選んだ理由をお聞かせください

和食が嫌いな方ってあまりいらっしゃいませんよね。実際に「もう一度、口から食べられるなら何を食べたいですか」と訊ねると圧倒的に多いリクエストが「うなぎ」と「お寿司」なのです。先日も入院中に経管栄養となった高齢患者とそのご家族から、「もう一度、うなぎが食べたい」という相談を受けました。誤嚥性肺炎のリスクがあったものの、主治医と相談した上で、義歯を製作し、うなぎを食べられるようにしました。その後、その方は亡くなられましたが、ご家族は最後に希望する食べ物を口にできたことに、とても満足されていました。

口から好きな食べ物を食べたいと希望する患者さんは多いのでしょうか

もちろんです。たとえ誤嚥性肺炎のリスクがあったとしても、口から食べたいとおっしゃる方はたくさんいらっしゃいます。口腔は食べることに直結する器官ですから、本来であれば歯科は看取りと深く関わりのある仕事です。最終的に食べられなくなっていく過程で、どのように緩やかに着地させるのか。その際にはどんな食支援がふさわしいのか。そんなことをよく考えます。 ●食事の楽しさを思い出したお客さん

嚥下調整食を提供する際に心がけていることはありますか

嚥下調整食はやわらかければいいというものではありません。例えば、軟らかくてもパサパサしていたら飲み込むことはできません。ヨーグルトを食べた後、口の中が真っ白になっている方がいますが、それはサラサラした食べ物は飲み込みが難しいためです。また、きざみ食についても口の中でパラパラとしてしまい、食塊形成が難しく、かえって誤嚥のリスクが高まります。咀嚼は食べ物を唾液と混ぜて食塊形成することが目的です。食塊にならなければ喉に送り込んで、飲み込むことはできません。ですから、やわらかければいいというものではないのです。『甚三紅』では、お客さんの摂食嚥下機能に合わせ、なおかつ香りがよく、季節が感じられ、おいしくて、同席者と同じように日本料理のコースを楽しむことができる。そんな嚥下調整食の提供を心がけています。

他の同席者と同じように食事ができるというのは喜ばれそうですね

みんなと食事したとしても1人だけ違うメニューを食べるのは疎外感を感じるものです。やはり食事は楽しいものであって欲しいと思います。これまで来店された方の中には、「食事はおいしくて楽しい」ということを思い出し、その後に食欲が増し、太ったという方もいらっしゃるなど、多くの方に喜んでいただいています。 ●料理長との連携も他職種連携の一環

「他職種連携」についてはどのように考えておられますか

地域包括ケアの取り組みが全国的に広がっていますが、高齢者が抱える課題を本当に解決するためには医療や福祉との連携だけでは不十分だと感じています。近年、患者さんを地域の活動やサービスへとつなぐ「社会的処方」という考え方が注目されています。医療や福祉とは直接関係のない、地域で暮らす人々とも連携をしながら高齢患者を支えていく、そんな仕組みづくりが今後、期待されています。『甚三紅』も医療とは別のかたちで私が地域に貢献できる取り組みであり、料理長との連携も他職種連携の1つだと捉えています。

今後の目標や予定を教えてください

ゆくゆくは『甚三紅』で介護職や介護家族向けの料理教室を企画したいと思っています。ご家族の中にはレトルトのペースト食を食べさせていることに後ろめたさを感じている方もいらっしゃいます。ちょっとした工夫で食べやすくなることやいつものペースト食が美味しくなる方法を伝えられたら嬉しいです。また、在宅歯科医療に関するスタディグループを仲間と立ち上げる準備をしています。技術的な学びはもちろん、何のために在宅診療を行うのか、在宅における歯科医師の存在意義は何かを改めて確認し合える場をつくりたいと思っています。 ●私にとっての“最後の晩餐”

ところで萩野先生は“最後の晩餐”に何を食べたいですか

好きなものを食べたいですね。そんなささやかな希望を誰もが叶えられる世の中になって欲しいと願っています。訪問診療は大変なことが多いのも事実です。けれども、患者さんとより深い関わりが生まれ、それが楽しさでもあります。何よりも肺炎を起こさず、きちんと食べて、話すことができる。最期を迎える時までその支援を行うことが歯科医師の責務だと私は考えています。そして、「自分はこの患者さんにとっての最後の歯医者なんだ」そんな自覚を持って、これからもより多くの患者さんを支えていきたいと思っています。 ==================================================

おいしい嚥下調整食を堪能できる 日本料理店「甚三紅」でランチをいただきました!

下町風情を残す町、東京台東区の谷根千エリアに『甚三紅』はあります。一見すると普通の日本料理店ですが、オーナーは「おはぎ在宅デンタルクリニック」の萩野礼子院長。事前に予約をすれば、嚥下調整食を提供するお店として知られています。ある平日のランチにお邪魔しました。 ※(写真) 東京メトロ「根津」駅から言問通りを鶯谷方面へ歩くと4分ほどで「甚三紅」の暖簾が見えてくる。 「甚三紅」のランチメニューは主に2種類。魚料理をメインにした「自家製 漬け焼き魚膳」と肉料理をメインにした「週替わり膳」。この日は「秋鮭と銀むつのレモン醤油づけ」と「豚肩ロースの味噌幽庵漬け焼き」でした。メインはもちろん、小鉢やお造りなど、どれも一手間、二手間を加えた逸品ばかり。例えば、タコのお造りには細かな隠し包丁が入り、とろけるような食感です。2週間寝かせた煎り酒で食す甘鯛の昆布締めも素材の旨味をしっかりと味わえます。土鍋で炊く白飯は香り豊かで、この白飯に惚れ込んだ常連さんも多いのだとか。今回、紹介したメニューは嚥下調整食ではありませんが、ランチの時間帯でも事前に予約があれば、嚥下調整食のコースが楽しめます。「嚥下調整食も普通の料理も結局は同じ料理です。見栄えがよく、季節を感じ、香りを楽しみ、おいしいと思ってもらえる料理を提供するように心がけています」と石川満料理長。最近では医療関係者が視察で訪れることも多いそうです。ぜひ一度、『甚三紅』で食事をしてみてはいかがでしょうか。 ※(写真) テーブルの高さは車椅子に乗ったままでも食事ができるように、少し高めに設定している。 ※(写真) 取材時にいただいた定食メニュー 「自家製 漬け焼き魚膳」の「秋鮭と銀むつのレモン醤油づけ」。 ※(写真) 「週替わり膳」の「豚肩ロースの味噌幽庵漬け焼き」。 ●インタビュー 『甚三紅』の石川満料理長に嚥下調整食についてうかがいました ※(写真) 石川 満料理長

嚥下調整食をつくる際に気を付けていることは何でしょう

形を崩さずにやわらかくすることです。そして、誰でも違和感がなく食べられ、「これは嚥下調整食だったんだ」と食事のあとに気がつくような、そんな料理をお出しするように心がけています。ただ、お客様によって適切なやわらかさ、粘度が違うため、萩野先生に実際に食べてもらいながら、何度も試作を繰り返します。そのため、予約をいただいてから一週間は時間をいただくようにしています。

食材選びのポイントは

やわらかくなっても形が崩れない人参や大根などの根菜。あるいは茄子であれば、やわらかい品種があるので、そういうものを選ぶようにしています。フォアグラやあん肝もやわらかくて食べやすい食材です。魚であれば銀だらなどの脂の多い魚はやわらかく召し上がれます。

嚥下調整食を調理する際のコツはありますか

食材に合わせた温度で時間をかけて火を入れていくことでしょうか。飲み込みづらいタコの刺身のようなものでも隠し包丁を入れることで飲み込みやすくなります。とろみについても片栗粉や寒天、葛粉などを使い分けて、かたさや口溶けを調整しています。ご家庭で野菜をやわらかくする方法としては、耐熱容器に水を少しだけ入れて、切った食材を入れ、ラップをし、電子レンジにかけることで、根菜なども比較的簡単にやわらかくできると思います。 <了> <前編へ> 【関連 動画コンテンツリンク】 通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたい ―「最後の歯医者」としての食支援 ― Vol1 通院できない患者さんたちの食べる喜びを支えたい ―「最後の歯医者」としての食支援 ― Vol2

著者萩野 礼子

東京都文京区 おはぎ在宅デンタルクリニック 院長

2004年に東京医科歯科大学歯学部を卒業後、東京医科歯科大学歯学部付属病院、国立がん研究センター中央病院歯科などに勤務。常磐病院歯科では福島県いわき市初となる訪問歯科の立ち上げに参画し、2019年に「おはぎ在宅デンタルクリニック」を開業。日本顎顔面補綴学会認定医。嚥下食を提供する和食店「甚三紅(じんざもみ)」のオーナーという顔も持つ。

萩野 礼子

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