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コラム

「この国で自分に貢献できることはないだろうか」~中国で開業した日本人 侍歯科医師~

「この国で自分に貢献できることはないだろうか」~中国で開業した日本人 侍歯科医師~
「この国で自分に貢献できることはないだろうか」~中国で開業した日本人 侍歯科医師~
医療法人滋誠会グループ日本理事長 福岡幸伸先生

■中国の天津で開業した日本人医師

テクノロジーの急発展を遂げる中国。 都市部では大規模な再整備が行われ、流入人口も急増。 経済成長の猛烈な勢いを感じさせます。 そんな新興国・中国で開業している日本人歯科医がいます。 それが医療法人滋誠会グループ日本理事長の福岡幸伸先生。 福岡先生の出身地、三重県四日市市。 ここに、昨年開院30周年を迎えた「デンタルクリニックフクオカ」があります。 「近鉄四日市」駅から西へ徒歩3分というアクセスのよさ。 「インプラント」「審美歯科」の名医として特に名高い歯科医院です。 この「デンタルクリニックフクオカ」の院長である福岡幸伸先生は、 日本のみならず中国の天津に、歯科と耳鼻科を兼ね備えた本院「天津国際医療中心」と、 分院「天津仁和堂中医学院」の二軒を開院されています。 本院は常勤の歯科医師が3人。 ほか耳鼻科の先生、臨床内科の先生、看護師を抱える大所帯。 清潔な医院はつねに多数の患者さんがおみえです。 日本人歯科医師が、いったいなぜ中国の天津に? その理由をさぐるべく、福岡先生ご本人にいきさつをおうかがいしました。 そしてそこには、決して平坦ではない道のりと、 日本人と中国人の相互理解に尽くしたドラマがあったのです。

■教育一家に生まれ、
歯科医として世界へ羽ばたく

―― 福岡先生が歯科医を目指されたのは、なぜでしょう。 福岡 「私の父親が名古屋大学の教授で、母は四日市市でもっとも大きな予備校を経営していました。 教育関係の一家のもとで育ったこともあり、幼い頃から科学や生物学に興味があったのです。 そのうち関心が次第に医学へ、さらに歯学へと向かってゆきました。 朝日大学の歯学部大学院を卒業したのちにニューヨーク大学で学ぶようになって、 改めて『歯学は面白い。奥が深い』と思うようになりましたね」 ―― 福岡先生は現在、中国、ニューヨーク、日本と世界をまたにかけて活躍しておられますが、 どういうペースで巡回されていますか。 福岡 「毎月まちまちなのですが、先月だとニューヨークに2週間。 日本と中国が一週間ずつ。 家族は中国の天津にいて、本拠地である日本と家族のいる天津へ帰宅する、という感じです」 ニューヨーク編の記事はこちら 中国で開業した日本人 侍歯科医師 ニューヨーク編 ―― 福岡先生が開業されている天津は、どのような街ですか。 福岡 「北京から新幹線で30分ほどの場所にあります。 阿片戦争時代の疎開地で、そのため建物がイギリス風、フランス風、 ドイツ風なデザインのまま、いまなお遺っています」

■中国へ渡り、「この国で自分に貢献できることはないだろうか」と考えた

―― 福岡先生が中国に関心をいだかれたきっかけはなんだったのでしょう。 福岡 「20年くらい前だったと思います。 三重県の華僑の会長から『中国で歯科医院を開業する気はないか?』というご提案をいただき、興味をもちました。 とはいえ中国の状況はわかりませんでしたから、『では一度、視察へ行きましょう』と。 はじめにまわったのは上海や福建省でした。 そうして現地をめぐっているあいだに、さらに『やってみたい』という想いが強くなっていったのです」 ―― 中国へ渡られ、開業したいという想いがさらに高まっていったのは、なぜですか。 福岡 「明治時代の日本人が大陸を目指したのと同じ気持ちでしょうか。 私が視察へ出向いたおよそ20年前の中国は歯学教育がまだまだこれからという状況でした。 なので『この国で自分に貢献できることはないだろうか』と考えたのです」 ―― 当時の中国は、どのような雰囲気でしたか。 福岡 「上海は、なんにもなかったですね。 まだ浦東開発区に上海中心(上海タワー)も建ってはいませんでしたし、自家用の自動車すら珍しかった。 主な交通機関は自転車でした。 まったく都会ではなかったんです。 現在はもう当時の面影はほとんどありません。 すさまじいスピードで進化を遂げています」

■一時はあきらめた中国進出

―― 中国で開業を目指されてから実現までに、どれくらいの時間がかかりましたか。 福岡 「簡単にはいかなかったです。 当時の中国は営利目的での歯科の開業は中国人にも認められていませんでした。 街に個人開業の歯科はなく、あるのは市営・区営・国営の病院のなかにある『口腔科』。 外国からやってきた医師では許認可がなかなかとれない。 開業したとしても『用意すべき資金は最低でも3億円』と言われ、ちょっと厳しいかな……と。 それでいったんはあきらめたんです」 ―― え! 一時期はあきらめておられたのですか。 福岡 「そうなんです。 ただ10年前に中国人の歯科医師の個人の開業がOKとなり、さらに外国人の歯科医師でも医院を開くことができるようになったのです。 それで中国の合弁有限会社として開業できました。 とはいえ施設基準が日本より厳しいため、開業が決まってからもたいへんな部分はありましたが」 ―― 天津を選ばれた理由はなんだったのでしょう。 福岡 「妻の義父が天津政府の要人で、『こっちで開業しないか』と声をかけてくれたのがきっかけです。 義理の父方の実家が9代続いた300年の歴史を誇る病院で、中医学の権威でした。 そのため歯科という仕事に理解を示してくださったのです」 ―― 奥様が天津のご出身でいらっしゃるのですね。 福岡 「そうなんです。 実は天津と三重県の四日市市は姉妹都市なんですよ。 そして彼女は留学のために四日市市へ来日しておりまして、そこで出会いました。

■中国では日本人の歯科医師に対する尊敬の念が高い

―― 中国でも歯科医としてやっていけるという自信はおありでしたか。 福岡 「自信満々ではありませんでした。 『果たして本当に患者さんが来てくれるのだろうか……』という不安は少々ありました。 保険が効きませんから治療費は高いですしね」 ―― 実際に医院を開かれ、うまくいきましたか。 福岡 「いきました。 想像以上に患者さんが来てくださり、世代も2歳のお子さんから60代の方までと、日本とほとんど変わらない。 日本と同じようなペースで診療できたのがよかったです。 そうして口コミで評判が広がって、だんだんと知名度も高くなり、それにともない設備もさらに充実してゆきました」 ―― 中国で歯科を運営するにあたり中国語を話すことは必須かと思われますが、言葉はどこで学ばれたのですか。 福岡 「言語は南開大学(天津市)の中国語科に入って勉強したんです。 しかしニューヨークへ行かなければならない日が多く、出席日数がいつもすれすれでした。 そして2年目は留年してしまいまして(笑)。 そんなふうに中国語は大学で学びましたので、ある程度の対応ならできます。 難しい話は通訳の人を介して応対しています」 ―― 受診される方に反日感情はないのでしょうか。 福岡 「政治的には反日ですが、患者さんには日本人医師の技術に対して尊敬の念があります。 診察するのが日本人の先生じゃないとクレームが来ることすらあるくらいです」

■著しい進化を見せる中国の歯科技術

―― 福岡先生が初めて中国を視察されたおりに「歯学が日本より遅れている」とお感じになったとのことですが、現在はどうなのでしょうか。 福岡 「いまの診療環境は日本よりもいいかもしれないと思えるぐらい発展しています。 医師たちが情報を学ぼうとする意欲がすごい。 ニューヨーク大学でも中国の方が20人くらい受講しています。 中国の歯学はこれからきっと伸びるでしょうね。 技工所の進歩などもすごいですよ。 ヨーロッパから優秀な技術者をどんどん引き抜いてきていますし。 3DプリンターやCAD/CAMシステムの発達は日本のほうが遅れているんじゃないかと感じるほどです」

■日本の常識は中国では通用しない

―― ということは、日本人歯科医師にとって中国は働きやすい国なのですね。 福岡 「いいえ、決してそうではありません。 多くの日本人医師が中国になじめずに撤退しているのが現状ですね。 誰も彼もやれるというわけにはいかないんじゃないかな」 ―― それは、どうしてですか。 福岡 「まず、日本の常識はぜんぜん通用しない。 中華思想はすなわち合理主義です。 中国には下積みを重んじるという考え方がない。 日本人は過程を重要視します。 それは日本人の素晴らしい美徳だと思います。 しかし中国はそうではない。なによりいい結果が大事であり、結果を出す速度が重要。 結果へ至った時間や努力やステップの部分は、どうでもいいんです。 できないのなら、できる人を連れてくるのみ。 スピードが速い。 勉強や修行という過程に対する評価がないわけです。 だから、僕もとにかく治療面でいい結果をすぐに出さなければならないプレッシャーがありました。」 ―― 福岡先生も中国人との感覚の違いに苦悩された時期がおありだったのですか。 福岡 「合理主義に最初は抵抗がありました。 腹が立つこともありました。 でもそれが中国のルール。 考え方を切り替えて対応しました」 ―― では日本人歯科医師が福岡先生のように中国へ進出しようと思うなら、どのような気持ちで挑めばいいでしょうか。 福岡 「柔軟性が大事でしょうね。 中国人のいいパートナーを見つけて、その方の考え方を理解しないといけない。 日本は日本の考え方がある。 アメリカはアメリカの考え方がある。 そして中国には中国の考え方があります。 『日本ではこれこれこうだ』なんて言ったって通用しないですよ」

■現在以上に中国の歯学教育にたずさわってゆきたい

―― 今後、福岡先生が中国でやってみたいことはございますか。 福岡 「教育者の一家に生まれ育ちましたので、よりいっそう教育やマネジメントにたずさわってゆきたい。 そうすることで中国への貢献度を深めたいと考えております。 それが今の私のヴィジョンですね」 ―― ありがとうございました。 国民性の違いから、ときに軋轢が報じられることが多い日本と中国。 医療こそが、真の日中友好の橋となるおこないなのかもしれません。

福岡幸伸先生 プロフィール

医療法人滋誠会(日本)理事長 ニューヨーク大学歯学部臨床教授 ICOI認定医、指導医 日本口腔インプラント学会認定医 国際美容外科学会認定医 ICOI Ambasodor コロンビア大学歯学部卒業研修プログラムコンサルタント 三重県四日市市生まれ 朝日大学歯学部卒 日本並びに中国の診療所で治療を行ないながら「朝日大学」「天津南開大学付属口腔病院」「NewYork大学」などで臨床と研究を行う。
医院名 :デンタルクリニックフクオカ
住所  :〒510-0074 三重県四日市市鵜の森1-4-10 ロイヤルセレクト31 1F
TEL   :059-351-6480(ムシバゼロ)
開業時間:09:30-13:00 14:30-19:00 土曜日は18:00まで
休院日 :日・祝 木曜日は往診日
URL   :http://good-dent.com/

著者吉村 智樹

京都在住の放送作家兼ライター

街歩きをライフワークとし、街の看板などを撮り集めた関西版「VOW」三部作(宝島社)ほかさまざまな書籍を上梓。
新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。
テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)ほか多数の関西ローカル番組を構成。
http://tomokiy.com/tomoki/
吉村 智樹

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