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『夜と霧』にあった健康な歯肉の話から平和への願い

『夜と霧』にあった健康な歯肉の話から平和への願い
『夜と霧』にあった健康な歯肉の話から平和への願い
歴史的名著のリストに必ずといっていいほど挙げられるヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』。ナチスの強制収容所でのフランクル自身の体験を描いた作品です。精神科医として心理学的洞察から、死と隣り合わせの過酷な環境における人間の内なる光明を描いています。

その本筋から外れますが、過酷な強制収容所で、医学教科書に書かれていることに反する現象がきりがないほどあったと書かれています。睡眠時間を何時間も取らなくても耐えられることや、傷だらけの手で土木作業をしても傷口が化膿しなかったなど。その中に次の一節がありました。

「収容所暮らしでは、一度も歯をみがかず、そしてあきらかにビタミンは極度に不足していたのに、歯茎は以前の栄養状態の良かったころより健康だった。」

(池田香代子訳、みすず書房、2002年、p. 27)

これは一体どういうことなのでしょうか。フランクルは、これらの医学常識に反する現象をまとめて「人間はなにごとにもなれる存在だ」と納得していたようですが、歯周病のメカニズムを知っている私たち歯科医療従事者にとっては、「いやいや、慣れで歯肉が健康になるはずはない」と反論したくなります。

ここで私の脳裏に浮かんだのは、下のような、糖類の過剰摂取と歯周病の関係を示すシステマティックレビューです。

Gupta V, Dawar A, Bhadauria US, Purohit BM, Nilima N. Sugar-sweetened beverages and periodontal disease: A systematic review. Oral Dis. 2023 Nov;29(8):3078-3090. 

Woelber JP, Gebhardt D, Hujoel PP. Free sugars and gingival inflammation: A systematic review and meta-analysis. J Clin Periodontol. 2023 Sep;50(9):1188-1201. doi: 10.1111/jcpe.13831. Epub 2023 May 28. 

Kusama T, Nakazawa N, Takeuchi K, Kiuchi S, Osaka K. Free Sugar Intake and Periodontal Diseases: A Systematic Review. Nutrients. 2022 Oct 22;14(21):4444.

J, Kim HS, Lee D, Kim K, Kim YH. Association between Four Dietary Patterns and the Risk of Periodontal Diseases: A Systematic Review and Meta-Analysis. Nutrients. 2022 Oct 18;14(20):4362. 


どれも糖類摂取と歯周病(特に歯肉炎)に正の相関性を認めています。糖類摂取と齲蝕の関係は以前からよく知られるところですが、歯周病の主要因であるバイオフィルム(プラーク)の蓄積が糖類の過剰摂取と関係することも容易に想像がつきます。すると、今まで齲蝕の敵だとみなされてきた糖類は歯周病の敵とも考えられるわけです。齲蝕と歯周病を統合した新しいプラーク仮説が2020年に発表されています。この論文の著者のお一人である高橋信博先生に確認したところ、日本語では「う蝕と歯周病の統合仮説」や「う蝕・歯周病統合仮説」と翻訳するそうです。

Nyvad B, Takahashi N. Integrated hypothesis of dental caries and periodontal diseases. J Oral Microbiol. 2020 Jan 7;12(1):1710953. 

ナチスの強制収容所での極限の飢餓状態で、ブラッシングをしなくても歯周病が成立しなかったのは、歯周病を引き起こすほどのバイオフィルムさえ飢餓状態だったからなのかもしれません。「夜と霧」の中で語られる貧しい食生活の有り様を読むと身につまされます。そして、今でも世界のあちこちで繰り返される戦争によって、同じようにお腹を空かせた状態にある人びとに、早く平和が訪れてくれることを祈ります。

著者西 真紀子

NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー

略歴
  • 1996年 大阪大学歯学部卒業
  •     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
  • 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
  • 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
  • 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
  • 2018年 同大学院修了 PhD 取得

西 真紀子

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