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未来の予防歯科の足音

未来の予防歯科の足音
未来の予防歯科の足音
スウェーデンフィンランドを訪れて感じたのは、同じ北欧でもスウェーデンの方が予防歯科において一歩先に進んでいるということでした。特に、スウェーデンは心理学の理論を積極的に応用しています。患者教育でも学生教育でも、我流の思いつきではなく、行動医学や教育心理学の理論に基づいてシステムを作っています。そのような教育を受けた学生たちは、臨床家になって患者さんに接する上でも、教育者となって学生に接する上でも、理論に基づくという癖がついているでしょうから、好循環を生んでいるような気がします。ちなみに、歯学部の学部教育カリキュラムの中には「動機づけインタビュー法」が含まれているそうです。

そんなスウェーデンのある地域で行なわれたヘルスプロモーションの理論に基づいた予防歯科プロジェクトが効果を上げています。これはスウェーデンでも先端を行くプロジェクトなので全国で行なわれているわけではありませんが、予備調査を経て、約2億円の予算もつき、より広い地域に拡大されたそうです。どのようなプロジェクトかというと、社会経済因子の低い、つまり齲蝕のハイリスク児の多い地域の歯科医院に「ヘルスプロモーター」という専門家を送り、行動医学の理論を駆使してハイリスク児とその保護者に専門的なコンサルテーションをするというプロジェクトです。

現在、スウェーデンでは歯科医師や歯科衛生士が不足していて、彼らが患者のコンサルテーションに十分な時間を割きにくい状況にあるということもありますが、歯科医師や歯科衛生士が片手間に行動医学の理論を学び「なんちゃって」コンサルテーションをするより、「餅は餅屋」でその道のプロに頼むということなのでしょう。スウェーデンには「ヘルスサイエンティスト」という職種があります。その人たちをトレーニングして、デンタルチームの新しいメンバーである「ヘルスプロモーター」という専門家を作ったそうです。
Bergström, A., Ekman, E. and Jägmar, J., 2021. Hälsopromotörer inom Folktandvården-Enintervjustudie om behovet avhälsofrämjande arbete inomtandvården.
https://gupea.ub.gu.se/bitstream/handle/2077/69459/gupea_2077_69459_1.pdf

そもそも「ヘルスサイエンティスト」とは何かというと、保健政策者、保健コンサルタント、スポーツコンサルタントなどを包括する専門家集団の呼び名です。彼らは公衆衛生、医療、スポーツ分野において、典型的には、疾病予防、ストレスマネージメント、ヘルスプロモーション活動や組織の健康関連事業の評価などを行っています。国、地域、市町村、企業、NPO法人などに雇われているそうです。最低3年間の修業が必要で、それに年数を足すことで学士、修士になる道があります。
https://www.saco.se/studieval/yrken-a-o/halsovetare---halsa-och-friskvard/

一般医科で「ヘルスサイエンティスト」たちは喫煙者への禁煙指導、糖尿病患者や高血圧症患者への食事指導や運動指導などに成功を収めているとのこと。そこで、予防歯科のために学士号を持つ彼らに齲蝕の病因論を学んでもらい「ヘルスプロモーター」として患者教育を行うというプロジェクトを組んだのです。もし歯科衛生士を募集して行動理論を学んで「ヘルスプロモーター」に養成しようとすると、人材不足で応募が集まらないだろうということです。

実際、「ヘルスサイエンティスト」からは約10倍の応募があり、とても優秀な「ヘルスプロモーター」を養成することができました。彼らは様々な行動変容理論の素養があり、患者の話を傾聴し、患者の抱える健康問題を理論的に解決する訓練を受けています。「砂糖を控えてください」「歯磨きしてください」の一辺倒の指導ではなく、心理学的手法で患者の自発的な気持ちを引き出し、無理をさせずに健康的なライフスタイルに導きます。どうして食習慣を変えられないのか、変えることによって心の平穏が崩れるのなら、それを埋める他の方法を提案します。もちろん、齲蝕予防だけでなく、全身の健康にも寄与することが期待されます。

その結果、社会経済状況の低いハイリスク患者の参加者でも、「また来院したい」という人が97%を超えていたそうです。こういう参加者たちは学校時代の先生たちから「〜しなさい」ということを何百回、何万回と聞いて、それでもできない劣等意識が育ち、健康教育や指導というものにウンザリしているかもしれませんが「ヘルスプロモーター」のコンサルテーションは、ひと味もふた味も違っていたのですね。

このプロジェクトを先導したKathalina Wretlind (またはKristoffersson)先生の専門はカリオロジーで、もともとはミュータンスレンサ球菌群についての著名な研究者でしたが、齲蝕の病因論がほぼ解明された今、カリオロジーで発展すべきことは細菌学の方ではなく、どう人の行動変容をさせるかという心理学の方だろうとのこと、またリスク評価は疾患に対する行為だが、ヘルスプロモーションは健康に対する行為であると、リスク評価から脱皮した新しい展開を教えてもらいました。

その時代に何が必要なのかを見極め、不足する部分を埋めるために新しい人材を投入するというこのプロジェクトに私は感銘を受けるとともに、これは1960〜70年代、スウェーデンで歯科界に歯科衛生士を投入した時と同じ発想ではないかと思いました。その時代、治療中心の歯科医療で繰り返し齲蝕修復治療が行なわれ、歯周病のコントロールもままならない中、何が足りていないかといえば、現在歯科衛生士が行っている仕事内容でした。既存の専門家である歯科医師にさせるのではなく、新しい専門家である歯科衛生士を短期間で集中的に養成することでギャップを埋めたのです。その有名なものが、Per Axelsson 先生らのプロジェクトです。

Sveriges Tandhygienistförening. TANDHYGIENISTERNAS HISTORIA
50 år – från tandköttsficka till folkhälsa https://www.srat.se/globalassets/tandhygienisterna/dokument/sthf_50ar_72dpi.pdf 

Axelsson P, Nyström B, Lindhe J. The long-term effect of a plaque control program on tooth mortality, caries and periodontal disease in adults. Results after 30 years of maintenance. J Clin Periodontol. 2004 Sep;31(9):749-57. 


20世紀後半に歯科衛生士が歯科医療の足りない部分を埋めて予防歯科に大きな成果を上げ続けているように、21世紀には「ヘルスプロモーター」が現在の足りない部分を埋めてさらに予防歯科を発展させるのかもしれません。その足音が聞こえるような気がしました。

(写真は Kathalina Wretlind 先生のご自宅でいただいたイチゴ。健康的な朝食でした!)

著者西 真紀子

NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー

略歴
  • 1996年 大阪大学歯学部卒業
  •     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
  • 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
  • 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
  • 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
  • 2018年 同大学院修了 PhD 取得

西 真紀子

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