顎変形症は、基本的にはかみ合わせが悪い人。 顎が曲がっているとか引っ込んでいるとかいろいろあるが、多いのは、顎が出ている人。 結果的に、どう顎を動かそうとも、前歯はあたらない。 たいていは成長とともに徐々に前歯があたらなくなるため、意識せずともそれに適応して自然と奥歯で前歯の機能をするようになり、食事をするのに困ると訴える人は殆どいない。 「ハンバーガーを食べるとレタスだけが噛み切れずにすーっと出て来る」という人くらいだろうか。 あとは、唇があわずに楽器を吹くのに困るという人はいたが。 とはいえ、前歯の「切る」役割も横の歯の「砕く」の役割も、すべて奥歯にさせていることとなるわけで、40代くらいから奥歯が悲鳴をあげてきてダメになることも多い。 だからこそ、顎変形症の手術は健康保険の適応となるわけだが、患者さんが、何度も説明されても「ふーん」としか感じられなかった「咬合」を実感するのは、数年にも渡る術前矯正治療を終えて手術後に少し力が入るくらいまで回復してきてからとなる。 「うどんって前歯で切れるんですね!」 「パンが前歯で噛み切れるんですよ!」 退院後、1,2回目の外来受診で、数年前に言われた治療効果の意味がようやくわかり、その感動を伝えて来る人は少なくない。 身体は人一倍大きいのに、食べるのが遅いという人、もいた。 その後、大食い企画には出られるようになっただろうか…… だからこそ、顎変形症の手術には保険が適応となっている。 とはいえ、顎の位置を整える手術をするわけで、同時に、顔の形も変わる。 しかし、病名だけでは本人の主訴はどこにあるかはわかりにくく、咬合機能目的の人と整容目的の人(もちろんその両方の人)とが入り交じる。 術後、大きく変わる人たちもいる。 若白髪だけど気にしていないんだなと思っていた未成年が、術後の腫れが引いてきたころには髪を黒染めしてきて、だんだんと髪型もおかっぱではなくなり、そして化粧をしてくるようになったことがあった。 きっとあだ名はアゴだったろうと思うイカツイ野郎が、術後3ヵ月くらいで下の名前が漢字2文字から1文字になり、“ん?”と思ったら、来るたびに、“それってパンプスでは?”、 “それってスカートでは?”、“それは口紅?”と、変わっていったこともあった。 ベッドを囲むほどにぬいぐるみを持ち込んで来た未成年、オペ後に涙がとまらず。 そんなに痛いのか、つらいのか、といろいろ心配して対処してみたが、泣きやまない。 致し方なく、それほどまでにどこがしんどいのかと聞いたら、「嬉しい」のだと。 普通は、腫れている顔を見るのは嫌だったりするのではないかと思うのだが、病床に顔を出すと常に、じーっと鏡を見て、「あごがひっこんだ」のが嬉しい、と涙を流し続けていた。 この子にとって、どれほどのコンプレックスだったのだろうか。 どんな形であろうとも、その人がそこから幸せな人生を送れるのなら、それでいいのだと思うし、そこに関われることは感慨深い。
著者中久木康一
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 救急災害医学分野非常勤講師
略歴
- 1998年、東京医科歯科大学卒業。
- 2002年、同大学院歯学研究科修了。
- 以降、病院口腔外科や大学形成外科で研修。
- 2009年、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 顎顔面外科学分野助教
- 2021年から現職。
学生時代に休学して渡米、大学院時代にはスリランカへ短期留学。
災害歯科保健の第一人者として全国各地での災害歯科研修会の講師を務める他、野宿生活者、
在日外国人や障がい者など「医療におけるマイノリティ」への支援をボランティアで行っている。
著書に『繋ぐ~災害歯科保健医療対応への執念(分担執筆)』(クインテッセンス出版刊)がある。