「歯磨きをすると齲蝕を予防できる」、「歯磨きをしなければ齲蝕になる」、「齲蝕を予防できているのは歯磨きができているから」、「齲蝕になったのは歯磨きをサボったから」という言葉を患者さんからよく聞きます。フッ化物配合歯磨剤の使用がもう50年も定着している欧米では、「歯磨き」と言えば必ずと言っていいほど「フッ化物」が伴うので、これらの言葉に異論はないのですが、日本では比較的長い年数フッ化物配合歯磨剤が一般的に使われてこなかったので、この場合、多くの方は「歯磨き」というのは歯磨剤を使わないブラッシングだったり、フッ化物が配合されていない歯磨剤を使うブラッシングだったりします。日本では歯磨きを奨励するリーフレットの歯ブラシのイラストや、マスコットの縫いぐるみが持つ歯ブラシに、歯磨剤が付いていないこともあります。 そして、齲蝕が再発する度に「もっと磨かなければ」と歯や歯肉が摩耗してしまうほどゴシゴシと力を入れてブラッシングしていたり、子どもへの仕上げ磨きにフロスを行うのに奮闘されているのではないでしょうか。ところが、患者さんによるプラークコントロールには限界があり、齲蝕好発部位にブラシが届くことはほとんど望めません。それに対して私は、フッ化物配合歯磨剤を使わない患者さんによるブラッシング自体は、齲蝕予防の効果が認められないというシステマティックレビュー(Hujoel et al. 2018)を紹介して、隅々までプロ並みにプラークコントロールするよう指導することは止め、フッ化物配合歯磨剤を使うよう奨励しています。 「世界一強い熊が歯ミガキをしたら」 https://d.dental-plaza.com/archives/13566 「なぜフロスをするなら歯ブラシの前なのか」 https://d.dental-plaza.com/archives/14084 Hujoel PP, Hujoel MLA, Kotsakis GA. Personal oral hygiene and dental caries: A systematic review of randomised controlled trials. Gerodontology. 2018 Dec;35(4):282-289. また、いくらかプラークが残っている方がフッ化物の貯蔵庫になって有利に働くという齲蝕予防の複雑性も紹介しています。 Duckworth RM, Morgan SN, Murray AM. Fluoride in saliva and plaque following use of fluoride-containing mouthwashes. J Dent Res. 1987 Dec;66(12):1730-4. ten Cate JM. Review on fluoride, with special emphasis on calcium fluoride mechanisms in caries prevention. Eur J Oral Sci. 1997 Oct;105(5 Pt 2):461-5. フッ化物を使わない場合のプラークコントロールの程度次第で、どのくらい齲蝕予防効果が上がるものなのか実際に調べることは、フッ化物の齲蝕予防効果が明らかな現在では倫理的に不可能でしょう。そこで、カリエスリスク評価モデルのカリオグラムを使って、アルゴリズムを作った故 Douglas Bratthall 先生はどのように考えておられたのか覗いてみましょう。カリオグラムについての説明はここでは割愛しますが、10のパラメータのスコア(4段階、または3段階)を入力すると、その人のカリエスリスク像が円グラフとして現れます。そのうち、総合的なカリエスリスクは「齲蝕を避ける可能性」として緑のセクターの数値(「0%」〜「100%」の101段階:「100%」が最もローリスク)で表されます。 まず、「臨床的判断」のパラメータのスコアをデフォルトの1にしておいて、残りの9つのパラメータを最悪のスコアにしておきます。「フッ化物プログラム」のパラメータはフッ化物を全く利用しない、「プラーク量」のパラメータはプラークインデックスが最悪の3という意味です。すると「齲蝕を避ける可能性」は「0%」になりました。ここからプラークコントロールが改善されていく過程をシミュレーションして、「プラーク量」のパラメータのスコアを3から2、2から1、1から0へと動かしていくと、円グラフの内訳の数値は若干変わりますが、「齲蝕を避ける可能性」は「0%」のままです。つまり、プラークコントロールの改善は総合的なカリエスリスクに影響を与えませんでした。 それでは、「臨床的判断」、「フッ化物プログラム」、「プラーク量」のパラメータのスコアはそのままに、残りの7つのパラメータを最良のスコアにしておきます。ここから同様に「プラーク量」のパラメータのスコアを3から2へ、2から1へ、1から0へと動かしていくと、「齲蝕を避ける可能性」は「56%」、「61%」、「67%」、「71%」とわずかずつ改善されていきました。 最後に、「臨床的判断」、「フッ化物プログラム」、「プラーク量」のパラメータのスコアは触らずに、残りの7つのパラメータを中間値のスコア「1」にしてみます。その上で、「プラーク量」のパラメータのスコアを3から2へ、2から1へ、1から0へと動かしていくと、「齲蝕を避ける可能性」は「20%」、「23%」、「25%」、「28%」とこれもわずかずつ改善されていきました。 プラークコントロールでカリエスリスクの改善があったとしてもこれくらいの差であるというのが、カリオロジーの大家、Bratthall 先生が描いておられたイメージのようです。「フッ化物プログラム」のパラメータのスコアが改善する時の影響力に比較して、プラークコントロールの影響力非常に小さい値であることも、カリオグラムを触っていると分かります。 ちなみに2024年に出版されたスウェーデン医師会雑誌(Läkartidningen)にある齲蝕に関する論文では、和訳すると「初期の齲蝕病変(肉眼で認められる病変は無し)の治療とカリエスリスクの軽減は、食事の調整(砂糖摂取量と頻度の減少)、フッ化物の供給(歯磨剤、ジェル、リンス)、プラークの減少を通じて行われる」と書かれています。その意図は、バイオフィルムであるプラークが齲蝕プロセスを促進することは解っているので、プラークの減少は要素として挙げられてはいるものの、最後に挙げられており、それほど重要ではなく、フッ化物を使用しないプラークコントロールは推奨されないとのことです(Dan Ericson教授パーソナル・コミュニケーション2024/10/21)。 Nordström M, Hedenbjörk-Lager A, Petersson GH, Ericson D. Karies – världens vanligaste icke smittsamma sjukdom. Läkartidningen. 2024;121:23127.
著者西 真紀子
NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー
略歴
- 1996年 大阪大学歯学部卒業
- 大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
- 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
- 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
- 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
- 2018年 同大学院修了 PhD 取得
- NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP):
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