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コラム

スウェーデンにおける笑気ガスの娯楽使用と口腔内への影響

スウェーデンにおける笑気ガスの娯楽使用と口腔内への影響
スウェーデンにおける笑気ガスの娯楽使用と口腔内への影響
歯科医療分野で鎮痛剤として用いられる笑気ガス(亜酸化窒素、N₂O)が、陶酔効果から娯楽目的で使用されていることが世界的な問題となっています。笑気ガスを吸引すると、数十秒から数分程度の短時間で陶酔感や多幸感、さらには軽度の幻覚症状などが現れます。この作用を目的に、スウェーデンでは、2010年代後半から、若者の間で「合法で手軽にトリップできるドラッグ」として使用される例が増加しています。それに伴う健康被害や社会問題が顕在化しており、スウェーデン政府は笑気ガスの娯楽使用に対する規制強化を進め、2025年7月1日から新たな法律が施行される予定です。

ストックホルムやイエテボリなどの大都市のバーやクラブで、ホイップクリーム製造用の亜酸化窒素入り小型カートリッジが販売され、若者を中心に人気を集めているそうです。そのようなカートリッジの購入は合法で、比較的安価かつ容易に入手可能であり、オンライン、コンビニエンスストア、一部のバーなどで公然と販売されています。最近では、笑気ガスの使用が電車内でも増加し、空のカートリッジが街中に散乱する問題が頻繁に報道されており、公共の場での使用は他の乗客に不快感を与えるほか、安全上の懸念も生じています。

笑気ガスの娯楽使用に伴う健康リスクとして、吸入による即時的な症状には、めまい、吐き気、感覚障害、運動機能障害が挙げられます。長期的症状には、ビタミンB12の不活性化による神経障害や、感覚異常、さらには麻痺や精神症状が引き起こされる可能性があります。特に、若年層は脳が発達段階にあるため、神経毒性の影響が懸念されます。また、笑気ガスの吸入は一時的に酸素供給を阻害し、過度な使用は窒息のリスクを高めます。

口腔内では、低温熱傷(凍傷)を引き起こすことがあります。笑気ガスは圧縮された状態でカートリッジやシリンダーに保存されており、放出時には急速に膨張し、温度が急激に低下します(ジュール=トムソン効果)。この過程で、ガスの温度はマイナス55℃まで下がることがあり、口腔内の湿潤な粘膜に触れると熱が急速に奪われ、凍傷が発生します。特に、不適切な吸入方法(例:カートリッジから直接吸う、または不完全なバルーンを使用する)により、口腔内や唇、喉が極低温にさらされるリスクが高まります。

口腔内凍傷の初期症状には、喉の痛み、嚥下痛、声帯障害が含まれます。重症例では、気道閉塞や酸素飽和度の低下が見られる場合があります。物理的な所見としては、口腔内や咽頭の粘膜に紅斑、水疱、浮腫が観察されます。時間の経過とともに、偽膜形成、剥離、壊死が生じる可能性があります。重症例では、口腔粘膜の永久的な損傷や、発声・嚥下困難が発生することもあります。長期的な合併症には、唇や舌の壊死(切除を要する場合もあり)、口腔内の瘢痕化、線維症、開口障害などが含まれます。

国際的な事例として、オーストラリアで報告された症例では、30歳男性が娯楽目的で吸引した笑気ガスにより、口蓋部に凍傷を負いました。患者はホイップクリーム用カートリッジから直接吸引した後に咽頭痛、嚥下困難、発声障害を呈しました。CT検査では軟口蓋および口蓋扁桃が浮腫を認められ、ステロイドと抗菌薬により治療で症状は速やかに改善しました。本症例は、比較的低圧の器具による吸引であっても、臨床的に有意な凍傷が生じうることを示唆しています。

笑気ガスは医療用途においては長年にわたり使用されており、安全性の高いガスとして位置づけられています。特に歯科領域では、小児や強い恐怖心を有する患者に対して、全身麻酔の代替となる穏やかな鎮静手段として重要な役割を果たしています。このような状況を受け、今後は医療用途と娯楽使用の明確な線引きを行いつつ、社会全体での正しい理解と適切な管理が求められます。医療従事者、教育関係者、政策担当者、さらには一般市民にとっても、笑気ガスの「もう一つの顔」についての認識が不可欠でしょう。

追記
外崎 晃彦. 新たな危険ドラッグ「笑気麻酔」 沖縄で拡大か 機能不全や意識不明恐れ、海外では問題化 - 産経ニュース. 2025/5/9 16:10.
https://www.sankei.com/article/20250509-PHZW4GNH45DJLAAHBDEZE26JIY/

謝辞
本トピックについてご教示いただいたマルメ大学歯学部カリオロジー講座のDan Ericson 上級教授に感謝申し上げます。

参考文献
Proposed new law on nitrous oxide - The Public Health Agency of Sweden
https://www.folkhalsomyndigheten.se/the-public-health-agency-of-sweden/living-conditions-and-lifestyle/andtg/legal-requirements/proposed-new-law-on-nitrous-oxide

Notes from the Field: Recreational Nitrous Oxide Misuse — Michigan, 2019–2023  | MMWR
https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/74/wr/mm7412a3.htm

European Monitoring Centre for Drugs and Drug Addiction (2022), Recreational use of nitrous oxide: a growing concern for Europe, Publications Office of the European Union, Luxembourg.
https://www.euda.europa.eu/publications/rapid-communication/recreational-use-nitrous-oxide-growing-concern-europe_en

Liu Y, Svennersten K, Schwartz D, Huss F, Falk-Delgado A. Frostbite injuries related to recreational nitrous oxide use: incidence, management, and complications in a Swedish case series. JPRAS Open. 2024 Aug 5;42:162-169. 

Rowson AC, Yii MX, Tan HB, Prasad J. Recreational nitrous oxide-induced injury to the soft palate. Clin Case Rep. 2023 Aug 28;11(9):e7858. 


著者西 真紀子

NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー

略歴
  • 1996年 大阪大学歯学部卒業
  •     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
  • 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
  • 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
  • 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
  • 2018年 同大学院修了 PhD 取得

西 真紀子

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