前回は、人類が感染症によって受けてきた甚大な被害について述べました。今回は、人類が感染症に立ち向かい、克服してきた歴史的偉業について解説します。その中心となるのが、①病原体の発見、②ワクチンの開発、③抗生物質・抗菌薬の開発――の3つです。 感染症理解の変遷 感染症に対する人類の理解は、時代とともに大きく変化してきました。古代エジプトでは、感染症は神の怒りや悪霊の仕業と考えられていました。古代ギリシアのヒポクラテスは、観察に基づきミアズマ説(瘴気説)を提唱しました。ミアズマとはギリシア語で「汚染」の意味であり、「感染症は汚染した空気や水によって一定地域に流行する」という考え方です。 しかし、14〜16世紀の天然痘、麻疹、梅毒の大流行は人の移動による感染拡大が明らかで、ミアズマ説では説明できませんでした。1546年、イタリアの科学者ジローラモ・フラカストロはミアズマコンタギオン説(接触伝染説)を提唱し、「微小な生物」との接触が発病原因であると洞察しました。彼は、感染経路を①接触、②媒介物、③空気感染と分類し、現代の感染症学に通じる先駆的な考えを示しました。なお、マラリアとはイタリア語で“悪い空気”を意味します。梅毒やチフスの命名者はフラカストロです。 病原体の発見と細菌学の確立 実際に微生物を初めて見た人は、オランダのアントニー・レーウィンフックです(1674年)。彼は、解像度のすぐれた単式顕微鏡を作製することによって、歯垢に驚くべき多数の小動物(微生物)がいることを発見しました(図1)。図1 アントニー・レーウェンフックは解像力のすぐれた単式顕微鏡を作製し、歯垢に多数の小動物(細菌)を発見した(生成AIにて画像作成)。 しかし、病気の原因が細菌であることが証明されるのは、約200年後のことです。 病原体をはじめて科学的に証明したのは、ドイツのロベルト・コッホです。コッホは病原体を証明する条件(コッホの原則)を提唱し、1876年にまず炭疽菌の純粋培養に成功し、炭疽病の病原体であることを証明しました。その後、1882年には結核菌を、1883年にはコレラ菌を発見しました。 彼は「細菌学の父」と称され、その技術と思想は世界中の研究者に受け継がれました。コッホの弟子たちも大きな成果を挙げ、ゲオルグ・ガフキーは腸チフス菌を発見し、フリードリヒ・レフラーはジフテリア菌の分離に成功しました。北里柴三郎は、破傷風菌の純粋培養に成功し、ベーリングとともに血清療法を確立しました。志賀潔は、赤痢菌を発見しました。 ワクチンの開発 感染症予防や治療に関する研究は、コッホらの病原体発見以前から行われていました。1798年、イギリスの医師エドワード・ジェンナーは、牛痘にかかった人が天然痘にかからないことに注目し、種痘法(牛痘接種法)を確立しました。スイスの化学者ルイ・パスツールは、発酵と腐敗に細菌が関与していることを明らかにし、腐敗を防止するため低温殺菌法を確立しました。さらに、細菌学の研究を進め、家畜の炭疽病やニワトリのコレラの研究から細菌を弱毒化して動物に接種すると免疫を獲得することを見出しました。1885年には狂犬病のワクチンを作製し、犬に噛まれた少年の命を救いました。 この成功が知れると、ヨーロッパ各国の多数の患者さんが訪れるようになり、科学アカデミーは専用の施設を作りました。これが現在のパスツール研究所です(図2)。
図2 ルイ・パスツールが作製した狂犬病ワクチンは高い効果を示したことにより、 ヨーロッパ各国の多く人々が接種を希望し、パスツール研究所の専門施設が設立された(生成AIにて画像作成)。 なお、ワクチンの語源はラテン語で牛痘の意味です。ジェンナーが天然痘予防法として実証した牛痘接種に由来する言葉として、パスツールがワクチンと命名しました。20世紀に入ると、アメリカの医学者ジョナス・ソークがポリオワクチンを、また同国の医学者アルバート・サビンがポリオの経口ワクチンを開発し、多くの人々を救いました。 抗生物質と抗菌薬の発見 細菌感染症の治療に関して、1928年にイギリスの医師アレクサンダー・フレミングが、アオカビがペニシリンを産生することを発見し、さらに病理学者のフローリーと生化学者のチェインがペニシリンの単離・精製に成功しました。 ペニシリンは肺炎、敗血症、破傷風など、それまで死を待つしかなかった多くの感染症から人々を救いました。1935年にはドイツの病理学者のゲルハルト・ドマークがサルファ剤を見出し、合成抗菌薬による細菌感染症治療に新たな光を与えました。さらに1943年、アメリカの科学者セルマン・ワックスマンは、土壌から分離した放線菌が産生するストレプトマイシンを発見し、「抗生物質」と名付けました。ストレプトマイシンは、かつて不治の病とされた結核の治療薬として多くの人々を救いました。その後、多くの製薬会社によって新規の抗生物質や合成抗菌薬が開発されています。 ウイルス研究の進展 ウイルスの研究は、1892年にロシアの植物学者ドミトリー・イワノフスキーがタバコモザイクウイルスを発見したことから始まりました。1935年にはアメリカの生化学者ウェンデル・スタンリーがウイルスの単離、結晶化に成功し、ウイルスがタンパクと核酸からなることが明らかになりました。1930年代にドイツの物理学者エルンスト・ルスカが電子顕微鏡を発明したことによって、ウイルスを可視化することが可能になりました。その後、狂犬病、天然痘、インフルエンザ、後天性免疫不全症候群、風疹、麻疹、水痘・帯状疱疹、急性灰白髄炎(ポリオ)など、さまざまな感染症の病原体がウイルスであることが明らかになりました。重症急性呼吸器症候群(SARS)、中東呼吸器症候群(MERS)、新型コロナウイルス(COVID-19)など新興感染症もウイルスが原因です。抗ウイルス薬の開発は遅れており、ウイルス感染症の治療については今後の大きな課題になっています。 日本における種痘の歴史 ジェンナーの種痘法(牛痘接種法)の発見以前に、中国では患者の痘痂(かさぶた)を利用する人痘法が行われていました。清の医学書『医宗金鑑』をもとに秋月藩医・緒方春朔は中国式人痘の鼻孔接種を実施し、その効果を確認していました(1790年)。これが日本で最初の組織的な予防接種です。 転機は1849年、長崎に訪れたオランダ商館医オットー・モーニッケがもたらした牛痘法です。モーニッケは痘痂をバタヴィアから取り寄せ、日本初の牛痘種痘所を長崎に開設しました。同年、佐賀藩医・楢林宗建はこの痘痂を入手し、息子の右腕に接種して成功を収めました。これが日本で確認された最初の牛痘種痘成功例であり、以後の普及に決定的な影響を与えました。 1849年9月、長崎から痘苗が京都へ運ばれ、福井藩医・笠原良策や適塾主宰の緒方洪庵の手に渡りました。洪庵は同年11月に大坂除痘館を設立し、牛痘法の普及と牛痘種痘の制度化にも尽力しました。また、笠原良策は藩内に70名以上の医師を組織して除痘館を開設、福井から北越地方へと接種を広めました。 佐賀藩医・伊東玄朴は、長崎から痘苗を入手して藩内での普及を進めるとともに全国的な種痘制度の整備にも関わりました。こうした各地の努力が結実し、1858年、伊東玄朴ら蘭方医83名の出資により、江戸・神田お玉ヶ池に「お玉ヶ池種痘所」が設立されました。同所は公的な種痘教育・施行機関として機能し、後に「西洋医学所」「医学所」「東京医学校」へと発展しました。最終的には東京大学医学部の源流となり、日本の近代医学教育の基盤を形成しました。 このように、地方藩医の献身的貢献による種痘の普及は単なる感染症対策にとどまらず、日本医療の近代化を推し進めた原動力となりました。なお、種痘の義務化により1956年には日本の天然痘発生は皆無になり、1980年にWHOは天然痘の根絶宣言を出しました。 まとめ 天然痘は、根絶に成功した唯一のヒト感染症です。しかし、新興感染症、再興感染症、薬剤耐性菌の出現など、感染症との戦いは今も続いています。グローバル化が進む現代では、その脅威は形を変えながら拡大し続けています。感染症との戦いは「人類の知の積み重ね」の歴史であり、医療従事者にとってその理解は単なる教養ではなく、臨床の基盤となり、未来の医療を守る力となります(了)。
著者白砂 兼光
九州大学名誉教授
略歴
- 1970年 大阪歯科大学卒業。大阪大学歯学部第1口腔外科に入局。
- 1981年 大阪大学歯学部附属病院講師
- 1982年 西ドイツビュルツブルグ大学助手
- 1987年 大阪大学歯学部第1口腔外科助教授
- 1995年 九州大学第2口腔外科教授
- 2000年 九州大学大学院教授
- 2009年~2011年 広島大学大学院特任教授(医歯薬研究科)
- 2009年 九州大学名誉教授
- 日本口腔科学会名誉会員 元副理事長
- 日本口腔外科学会名誉会員
- 日本頭頸部癌学会 元理事
- 口腔顔面神経機能学会 元理事長
主な著作 『口腔外科学』(医歯薬出版株式会社)
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