『医者は口を診ない……』というタイトルの本があります。おそらく歯科の先生方の多くは、内科をはじめ医科医師は口をみてないという印象をおもちではないでしょうか。 同じ医師である私も以前からそう思ってきました。医師はもっと歯科口腔に興味をもつべきと思って、「医師も歯科受診を勧めてみませんか?」、さらに「医師だからこそ歯科受診を勧める」と提案してきました。 もちろん、医療や介護の現場で、歯科医師・歯科衛生士にかかわっていただく場面は増え、医科医療者・介護職による口腔衛生・摂食嚥下などへの関与は、この20年で増えていることは間違いありません。しかし、昨今のコロナ禍の影響もあってか、少し逆戻りした感があります。 2020年初頭からの新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、医療機関受診時のマスク着用は当然のこととなっており、咽頭痛や口内炎の痛みなど口腔内の自覚症状がない限り、わざわざマスクを外していただいて口腔内を観察する医師は少数のようです。 日常的な診療や健康診査において、口腔衛生・口腔機能に着目して口をみる医師は増えたかというと、きちんとした調査データはありませんが、それほど増えてはいないように思います。 そもそも、医学部での教育課程において、医師の診察の基本的手技として口腔内の観察は含まれているか調べてみました。 現在の医学部医学科の教育課程では、臨床実習を開始するまでにCBTとOSCE(オスキー)の2つの共用試験に合格しておかなければなりません。CBT(Computer Based Testing)は医学的知識と理解度を問われる試験です。OSCE(Objective Structured Clinical Examination)は、基本的な臨床能力を確認するための実技試験です。 OSCEにおいて「頭頚部の診察」の中に「口腔の診察」の項目があり、次のような診察手順が示されています。 【口腔の診察】 ・口臭を嗅ぐ ・舌圧子を用いて、口唇、口腔内を観察する。 ・口腔内は、口峡(口蓋弓、扁桃、咽頭後壁)、軟口蓋、硬口蓋、歯肉、口腔前庭、頬粘膜を観察。咽頭反射に注意する。 ・舌を出させ、舌表面・側面・底面と口腔底部を観察。 ・口腔底、頬粘膜に開口する唾液腺管を確認する。 ・手袋をつけて、舌を触診し、硬結の有無などを調べる。 これらの診察手順から、内科疾患や耳鼻咽喉科疾患のいくつかを想定しての診察手技であることは想像がつきます。口腔衛生・口腔機能という視点は感じられません。医科医師が口腔衛生・口腔機能を意識して口腔を観察することの重要性は、おそらく教えられていないようです。 一方、歯科口腔に興味をもつ私は、日々の診療では以下のようにみています。 【口腔内をみるまで】 ・顔貌 口唇の様子と形態、咬筋の左右差 ・開口時に 開口度(開口障害はないか)、顎関節の動き ・口臭の有無 ・鼻声の有無、鼻閉の有無 【口腔内観察】 ・残存歯数と補綴の状況(歯数よりは機能歯数に注目) ・歯肉の状況、歯石や歯垢など口腔清掃状況 ・頬粘膜、舌(表面・側面・底面)、口腔底 ・ここでは頬粘膜の咬合線、舌側面の歯による圧痕 ・歯の摩耗状況 ・下顎の骨隆起 ・半埋伏智歯(できれば埋伏智歯指摘の有無、智歯抜歯歴について問診) またゲップや排ガスが多い、逆流性食道炎の諸症状、頭痛などの主訴の場合には、TCH(Tooth Contacting Habit)に関する問診などを追加します。下顎の歯列の乱れ、歯科矯正治療中・治療歴のある安静時の舌位について問診。インレーやクラウンの脱離後、歯科受診せず放置している方は少なくありません。欠損部があれば部分義歯をお持ちか聞きます。義歯があるのに装着されていない方やほぼ無歯顎でも義歯のない方もいます。 さらには定期的な歯科受診の有無、それがなければ最終の歯科受診歴を聞き出します。定期的に歯科受診されていればどこの歯科医院かうかがい、可能であればその特徴なども聞きます。後日、別の患者さんに歯科受診を勧める際の参考にしています。 訪問診療に従事されている歯科医師・歯科衛生士によると、在宅医療や施設療養の現場では、最終の歯科受診から10年以上経過していることは稀ではないようです。その患者さんのほとんどは内科など医師の診察は継続的に受けています。一般的に人は高齢になるほど医科受診率が上昇しますが、歯科受診率は一定年齢をピークに下がっていることが知られています。歯科医療にアクセスしづらくなること、あるいはアクセスしなくなることの両方があるようです。 「なぜ医師は口をみないのか?」、「医師はこんな口をみても気にならないのか?」という疑問が湧いてきます。やはり、医師・看護師といった医科医療者に歯科口腔への興味をもたせ、この患者さんを歯科医療へつなぐことができるのは自分たちであると認識させることが今後の課題だと考えています。 口腔の健康と全身の健康との関係が解明されつつあるなかで、医科医療者に歯科的視点からの口のみかたを伝える必要があるのではないでしょうか? 医師がもっと口をみて、その患者さんの口腔衛生・口腔機能、さらには若年者であれば口腔育成に寄与し得るという意識をもって臨むことを期待しています。
著者細田正則
ほそだ内科クリニック 院長・医師・医学博士
略歴
- 1964年 米国ミシガン州生まれ
- 1990年 京都府立医科大学卒業
- 医師免許取得
- 京都府立医科大学第三内科(現在の消化器内科)入局
- 1998年 京都府立医科大学大学院修了 医学博士号取得
- 2011年 ほそだ内科クリニック 開院
- 日本内科学会認定内科医
- 日本消化器病学会認定消化器病専門医・指導医
- 日本消化器内視鏡学会認定消化器内視鏡専門医
- 日本医師会認定産業医