かつてのモンゴル遊牧民は、野菜は口にせず、羊など家畜しか食べなかったという。(図1) それでも栄養的に満たされるのは、頭から尻尾の先まで一つの命を丸ごと食べていたからだ。 これをマクロビオテックの分野では、“一物全体食”という。 ここで、“一物全体食”にまつわる興味深い話があるので紹介する。 さて、明治時代のこと。日本は、日清戦争(1894~1895年)に勝利した。 しかしその後、ロシアは満州を占領し朝鮮半島にまで手を伸ばし始めた。 日本とロシアの間で戦争(日露戦争 1904~1905年)になることが予想された。 日清戦争では、冬季寒冷地で苦戦を強いられた。 そのための冬季厳寒訓練が、青森歩兵第5連隊の八甲田雪中行軍遭難事件(1902年)につながった。 また、戦争を有利に導くには、地形を把握し作戦を立てねばならぬ。 そのためには地図が必要だが、当時は存在しない。 そこで日本陸軍は、ロシアとの国境にあるアムール川に偵察に行った。(図2) 第1陣として、兵隊120名と1トン以上もある馬40頭で川を遡り上陸した。 当初、1か月後に食料の補給のため第2陣が出発の予定であった。 ところが、猛吹雪のためたどり着くことができなかった。 第1陣は孤立し、餓死か凍死をしていることが予想された。 そして1か月後、第2陣がようやく到着した。 第1陣は絶望視されていた。しかし、全員無事だったのである。 では、どうして生き延びることができたのか?(図3) まず考えられることは、馬を殺して肉を食べる。 しかし明治時代のことだ。天皇陛下から賜った軍馬を食べることはできない。(図4) 他に考えられることは、雌馬の牛乳を飲むこと。 しかし、そんなにうまく乳は出るものでもない。 そこである獣医師が提案したこと。 それは「草原なので馬のエサはたくさんある。草を大量に刈ってきてウマに与えよ」であった。 獣医師は、40頭の馬の足から注射筒で血液を抜いた。 それを温め、兵隊120名に分けて飲んだという。(図5) そういえば、アフリカ ケニアに住む遊牧民のマサイ族もそうだ。 牛は、もっとも重要な財産だから殺さない。 そのため、伝統的な主食はウシの牛乳と血液なのである。 血液もまた完全栄養食なのだ。 欄外注:マクロビオテック
著者岡崎 好秀
前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
略歴
- 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
- 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
- 日本小児歯科学会:指導医
- 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
- 日本口腔衛生学会:認定医,他
歯科豆知識
「Dr.オカザキのまるごと歯学」では、様々な角度から、歯学についてお話しします。
人が噛む効果について、また動物と食物の関係、治療の組立て、食べることと命について。
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