TOP>コラム>発達期における咬合の変化 その21 一物全体食 ちょっとおもしろい話

コラム

発達期における咬合の変化 その21 一物全体食 ちょっとおもしろい話

発達期における咬合の変化 その21 一物全体食 ちょっとおもしろい話
発達期における咬合の変化 その21 一物全体食 ちょっとおもしろい話
かつてのモンゴル遊牧民は、野菜は口にせず、羊など家畜しか食べなかったという。(図1)

それでも栄養的に満たされるのは、頭から尻尾の先まで一つの命を丸ごと食べていたからだ。
これをマクロビオテックの分野では、“一物全体食”という。

ここで、“一物全体食”にまつわる興味深い話があるので紹介する。
 さて、明治時代のこと。日本は、日清戦争(1894~1895年)に勝利した。
しかしその後、ロシアは満州を占領し朝鮮半島にまで手を伸ばし始めた。
日本とロシアの間で戦争(日露戦争 1904~1905年)になることが予想された。
日清戦争では、冬季寒冷地で苦戦を強いられた。
そのための冬季厳寒訓練が、青森歩兵第5連隊の八甲田雪中行軍遭難事件(1902年)につながった。

また、戦争を有利に導くには、地形を把握し作戦を立てねばならぬ。
そのためには地図が必要だが、当時は存在しない。
そこで日本陸軍は、ロシアとの国境にあるアムール川に偵察に行った。(図2)

第1陣として、兵隊120名と1トン以上もある馬40頭で川を遡り上陸した。
当初、1か月後に食料の補給のため第2陣が出発の予定であった。
ところが、猛吹雪のためたどり着くことができなかった。
第1陣は孤立し、餓死か凍死をしていることが予想された。

そして1か月後、第2陣がようやく到着した。
第1陣は絶望視されていた。しかし、全員無事だったのである。
では、どうして生き延びることができたのか?(図3)


まず考えられることは、馬を殺して肉を食べる。
しかし明治時代のことだ。天皇陛下から賜った軍馬を食べることはできない。(図4)

他に考えられることは、雌馬の牛乳を飲むこと。
しかし、そんなにうまく乳は出るものでもない。

そこである獣医師が提案したこと。
それは「草原なので馬のエサはたくさんある。草を大量に刈ってきてウマに与えよ」であった。
獣医師は、40頭の馬の足から注射筒で血液を抜いた。
それを温め、兵隊120名に分けて飲んだという。(図5)

そういえば、アフリカ ケニアに住む遊牧民のマサイ族もそうだ。
牛は、もっとも重要な財産だから殺さない。
そのため、伝統的な主食はウシの牛乳と血液なのである。
血液もまた完全栄養食なのだ。


欄外注:マクロビオテック

著者岡崎 好秀

前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授

略歴
  • 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
  • 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
所属学会等
  • 日本小児歯科学会:指導医
  • 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
  • 日本口腔衛生学会:認定医,他

歯科豆知識 「Dr.オカザキのまるごと歯学」では、様々な角度から、歯学についてお話しします。
人が噛む効果について、また動物と食物の関係、治療の組立て、食べることと命について。
知っているようで知らなかった、歯に関する目からウロコのコラムです!


岡崎 好秀

tags

関連記事