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むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:2月の星空に

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:2月の星空に
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:2月の星空に
大学時代から「血液型はB型、干支は亥年、星座は牡牛座」と伝えると、質問をしてきた相手は、必ず納得の笑みを浮かべる。普段の私の表情、行動に、体型までも重ね合わせて、思わず膝を叩いているのかもしれないが、残念ながら私自身は占いを信じる人ではない。しかしその一方で、神社に行けば手を合わせ、健康や安全を願うのは当たり前のこと、困った時や悲しい時には星を見上げて祈りもする。街灯が少ない田舎の冬の夜空はことさら美しく、満天に煌めく星を眺めていると、「願いは聞き入れた」と呟いているようにさえ思えてしまう。

今年2月友人たちから、愛猫を失った深い悲しみのにじむメールが連続して届くと、そのたびに私の心の片隅に押し込まれていた命を失った時の悲しみがよみがえってきた。

椿の花が咲くこの時期には、長く主がいない犬小屋の前に立つことも多い。6年前の2月9日の早朝、愛犬の雌シェパードは、悲しそうな表情を浮かべながら横たわっていた。その2時間後には、私が見守ることができないまま逝き、そして悲しみが少し薄れた頃、私は「愚痴を聞く犬」という随筆を書いた。その出来に自信をもって地方新聞の読者文芸欄に投稿したが、期待した評価は得られず、全文が紙面に掲載されことはなかった。

その一方で、私が送った原稿を読んだ友人、知人からは、人目に触れないまま埋もれていくことは口惜しいという声が高まっていた。結局その後、歯科のある学会のニュースレターに掲載されると、読んだ会員からは、多くの賞賛の声をかけられた。また3年前、私の初めての随筆集『季節の中の診療室にて』(クインテッセンス出版刊)が上梓された際には、「愚痴を聞く犬」が含まれていないことが残念だと指摘する人も少なくなかった。これまでおおよそ100編の随筆を書いてきたが、私の文筆能力から判断すれば、自分史上至高の作品だと思っている。

犬小屋の前には当時から優しく清楚な椿がある。その犬はこの椿の傍で毎日を過ごしていた。あの日、慌てて駆けつけてまだ温かい亡骸に手をやる私の姿を、椿は風に揺られながら見守っていた。犬の容態を気にかけていた母親が、軽トラックをのろのろと運転しながらやってきたものの、最期の姿も見送れなかったことを知り、無言でたちすくんでいる姿を私とこの椿が見守った。椿の品種名を「マリア様」と、だれが命名したかはわからないが、花の形や色、葉の作り出す樹形が、まさしく「聖母マリア様」の姿を連想させる。

あいかわらずのろのろと軽トラックを運転している母親は、来年の誕生日に運転免許証を返納すると決めたらしい。そして椿は4メートルほどに成長し、毎年たくさんの蕾を蓄え、次々と桜色の花を咲かせている。両者の姿は6年間という月日の流れを強く感じさせるには十分である。

時が流れても、生きている限り悩みや悲しみがなくなることはないだろう。それは風船のように膨らんだり、縮んだり、時に複数が押し合いながら心を占拠する厄介者である。いつも悩みや愚痴のほとんどは、自分の頭の中で声に出さずに反芻され結論へと繋がっていく。最後に私が口にする「そうだろう」いう言葉を聞き、困ったように見つめ返していたあの犬の視線が忘れられない。厄介者を抱えながら一緒に歩いた夜の散歩道は懐かしく、一緒に見上げた2月の冬の星空はやはり特に美しい。

星座には疎く、星占いには無縁の私だが、オリオン座と自分の星座である牡牛座だけは星々をなぞることができる。星空の下に立つと、いつも膝横にいた犬の気配がよみがえり、「星空を見上げてみなよ。悩みは小さい、小さい」と書かれた姉からのメールを思い出す。

最近よく耳にする歌手AIが歌う「アルデバラン」は、牡牛座のもっとも明るい恒星。今夜は、南西の欅の枝越しに見えるオリオン座とアルデバランのある牡牛座を見上げ、強く祈らずにはいられない。「新型コロナウイルス感染拡大が早く収束するように」、「始まってしまった愚かな戦争が1秒でも早く終わるように」。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

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