約四半世紀も前になりますが、私が最初にスウェーデンへ行った時にまず驚いたのが、ベビーカーを男性が引いていることでした。当時の日本ではまず見かけない光景だったのです。驚いた私に気がついたのか、隣を歩いていたスウェーデン人の友人が「典型的なスウェディッシュでしょ。」と言って笑っていました。それ以外にもありとあらゆる場面で性別、年齢、地位の垣根をなくして日本よりも平等な社会が成立していました。 大学も例に漏れず、教授と学生、歯科医師と歯科衛生士もファーストネームで呼び合い、お互いに相手の人権を尊重した態度で接していました。それは決して教授や歯科医師が低く見られているというわけではなく、むしろその根底には相手への敬意が込められています。私が所属していたカリオロジー講座のスタッフから主任教授に対する賞賛の言葉は聞けど、批判や陰口を聞くことは一切ありませんでした。 教授もスタッフ一人ひとりの個性を尊重し、抑圧的な態度で接することもありませんでした。車の中から前の横断歩道をツンケンした感じで歩いている若い女性を見て「典型的な16歳」と呼んだりして、人の成長段階で若い時分に横柄になりがちなことは織り込み済みで頭を垂れて同等に接しているような、そんな奥行きの深さが感じ取れました。 今回のスウェーデン来訪でも、このフラットな社会についての新たな発見がいくつかありました。ある歯科医師の友人は、歯科衛生士学校の校長を務めた後に、他の地域のプロジェクトを遂行するために公立歯科サービスへ異動を希望し、数々の興味深いプロジェクトを成功させ、定年退職したところでした。今回、私が初めて知ったのは実は彼女は歯科衛生士を上司として働いていたということでした。 彼女によると、プロジェクト内容が興味深かったので上司の職種は全然構わなかったとのこと、その上司と一緒に仕事をするのはとても満足だったとのことです。上司との良好な関係は、彼女にとって何と素晴らしい幸運だったでしょうか。それにしても、かつて歯科衛生士学校の校長として多くの歯科衛生士を育てた歯科医師が、次の職場で歯科衛生士の部下になって働くというのは、私には想定外でした。 そのことを彼女のかつての教え子である歯科衛生士に言うと、そういう彼女の態度を絶賛していました。「彼女は仕事を人の職種で判断しない、プロジェクトの内容で判断する」と。むしろ歯科衛生士の上司を持つということで、内容で物事を判断している態度が際立ち、彼女の評価は上がっているのです。日本で同じようなことがあったらどうでしょうか? 「歯科衛生士学校の校長だった人が歯科衛生士の下で働くとは、落ちたものだ」と反対に評価が下がるかもしれません。外枠ではなく中味で勝負、小国でありながら世界の歯科界に大きなインパクトをもたらしている秘訣の一つはここにあるような気がしました。 さて、冒頭の性別上の平等に戻りますと、今回の発見は、IKEAの男性用トイレの表示です(写真)。「この男性用トイレには赤ちゃんのオムツを交換する場所があります」という意味のマーク。考えてみれば女性用トイレにだけオムツの交換場所があるのは偏っています。しかし、日本にいるとその偏りにはなかなか気が付かないものです。 <上の写真の該当部を拡大> <スウェーデンの女性用トイレの中のオムツ交換場所:男性用トイレにもおそらく同じ設備> 70歳代後半のスウェーデン人男性によると、配偶者の妻へ家事を「手伝おうか?」言うと、妻から「『手伝う Help』ではなく、『する Do』でしょ」と窘められるそうです。家事の主体は女性、男性は補助だと決めつけていることが何気ない言葉に表れ、それを妻の方が見逃さないわけです。そして、夫が妻へ「キッチンの掃除をしておいたよ」と言うと、妻の返事は「それを取り立てて言う必要はないのよ。私がキッチンの掃除をしてもわざわざそんなことは言わないわよね。」と窘められるそうです。これらの指摘について夫の方は大絶賛です。「彼女のものの見方の方がフェアだ。彼女は僕が気付いていないことを気付かせてくれる」とのこと。「フェアであること」、「誰かが不当に損をしないこと」もスウェーデンでの大切な価値観のようで、患者本位の予防歯科が進む理由の一つがここにもあるような気がしました。 四半世紀前に見た男性がベビーカーを引く光景は、今の日本では普通に見られます。日本も性別、年齢、地位の差別が小さくなる方向にあるのでしょう。次の四半世紀後の日本の歯科医療もより患者本位になっているでしょう。そして、男性用トイレにオムツ交換場所が設置されるのはいつになるのか楽しみです。
著者西 真紀子
NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー
略歴
- 1996年 大阪大学歯学部卒業
- 大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
- 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
- 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
- 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
- 2018年 同大学院修了 PhD 取得
- NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP):
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