地域医療の新たなステージへ:訪問歯科診療の本質と未来
高齢者歯科治療の重要性が増すなかで、訪問歯科診療のニーズは高まっています。病院での治療を終えた患者さんが自宅や介護施設へ移行する際、口腔状態の維持管理が欠かせません。従来の歯科診療である「外来中心」から「生活の場」へと診療の軸足を移す訪問歯科診療は、治療提供にとどまらず、患者一人ひとりのPatient Journey(患者さんの医療体験の旅路)をトータルで支える存在へと進化しています。 今回は、訪問歯科診療がいかにしてPatient Experience(Px:患者体験価値)とPatient Satisfaction(Ps:患者満足度)を高め、地域医療に貢献できるのか、実臨床の視点から考察します。Patient JourneyとPX:歯科医療の新しい評価軸
Patient Journeyとは、患者さんが病気を認知し、診断・治療を経て、支援・フォローに至るまでの一連のプロセスを旅路にたとえた概念です。これまで日本の医療では「患者満足度」が重視されてきましたが、近年は「患者体験価値」(Px:Patient Experience)という概念が注目されています(図1)。 Pxは「ケアプロセスをつうじて患者が経験するすべての事象」を指し、単なる結果や満足度ではなく、患者さんが医療サービスを受ける感情や過程そのものを評価するものです。歯科医療においても治療技術だけでなく、患者さんがどのように安心・信頼・納得をして治療を受けられるかが質の指標となります。 まさに訪問歯科診療は、Pxを高めるためにコミットできる領域と思います。患者さんの生活空間に入り込み、家族や多職種と連携しながら「その人らしい食べる喜び」や「自立した生活」を支えることが、患者体験価値の向上につながります。図1 Patient Journeyの概念とPs、Pxの違い。
Extensivistとしての歯科医師:全身を診る視点
訪問歯科診療の対象となる患者さんは、しばしば多疾患併存(Multimorbidity・マルチモビディティ)や服薬管理が必要な高齢者です。ここで求められる役割は、単なる口腔の専門家ではなく「Extensivist(エクステンシビスト)」―すなわち、急性期から回復期、在宅まで「患者さんの全体像」を俯瞰し、医科・歯科・介護の垣根を超えて、多職種と連携しながらトータルで患者ケアをデザインする医療者としての役割です。 医科ではExtensivistと対になるのがIntensivistといい、たとえば病院内ICUで働く集中治療医のことが挙げられるようですが、歯科医師も以下に示すような5つの項目を中心に口腔から全身に関連するアセスメントができるスキルが必要です。 ・高齢者における多併存疾患や服用薬剤の把握 ・口腔 - 身体的アセスメント ・医科との診療情報連携 ・バイタルサインや栄養状態の評価と対応 ・摂食嚥下リハビリテーションの実践 このようなことを実践するフェーズとして、Patient Journeyはどのフェーズでも重要です。病気にかかり、入院した後に急性期、回復期と病院を経て、施設や在宅の中で、ではどこのフェーズで患者さんに介入することがPxを高めることができるのでしょうか。訪問歯科治療は一般的にまだ治療というイメージが強いため、時に入院中に歯科介入するとなると「退院してから~」という言葉を病院歯科の先生はよく聞くフレーズかと思います。 しかし、重要なのは訪問歯科診療で何かしらかかわり(口腔ケア、周術期口腔機能管理など)があれば、そこからつながることができ、最近では退院後の訪問歯科介入まで一貫してかかわることで、患者さんのQOL(生活の質)向上や再入院率の低減に寄与できるといわれています(図2)。図2 入院中の歯科治療(義歯修理の実践)。参考文献1より引用・改変。
入院中からの訪問歯科介入:Patient Journeyの連続性を守る
日本では病院歯科の設置率が約2割と低く、入院患者が歯科介入を受ける機会が限られているのが現状です。特に75歳以上の後期高齢者の入院による歯科受診の低下原因がここにあり、歯科診療の継続が断絶されます。 このギャップを埋めるためには、退院後の訪問歯科診療だけでなく、入院中からの継続的な歯科介入が不可欠です。急性期・回復期病院で介入開始し、地域クリニックでの訪問診療にシームレスにつなげることで、Patient Journeyの断絶を防ぎ、QOLの維持・向上、さらにPxに寄与できるのではないかと思います。まとめ:Patient Journeyを支える歯科医療の未来
今、私たち歯科医師に求められているのは、「治療の提供者」から「患者の人生に伴走するパートナー」への進化です。つまり、歯科医師はExtensivistとして、Patient Journey全体を俯瞰し、Px・Psを意識した訪問歯科診療を実践することです。訪問歯科診療をつうじて、患者さんの「食べる喜び」と「生きる力」を支え、地域社会に新たな価値を創出することが必要です。 参考文献 1.飯田昌樹,石井良昌,白石愛,鈴木宏樹,恒石美登里,寺中智,野原幹司,松村香織,光永幸代,米永一理.別冊ザ・クインテッセンス.病院歯科の現在地.人生100年時代に向けて医療連携で実現する口腔の健康から全身の健康へ.東京:クインテッセンス出版,2023;62-9.
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著者寺中 智
あやせほりきり中央歯科口腔機能クリニック院長(東京都葛飾区)
所属・資格
- 日本補綴歯科学会専門医
- 日本老年歯科医学会専門医・指導医・代議員・理事
- 日本摂食嚥下リハビリテーション学会認定士・評議員)
- 日本有病者歯科医療学会
- 日本プライマリ・ケア連合学会(高齢者医療・在宅医療委員会、生涯学習委員会)
- 日本病院総合診療医学会
- 東京科学大学大学院 高齢者歯科学分野 非常勤講師
- 東京科学大学歯学部附属病院臨床研修歯科医指導医
- 日本ACLS協会BLSインストラクター
- 2003年3月 神奈川歯科大学卒業
- 2003年4月 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科高齢者歯科学分野
- 2007年3月 東京医科歯科大学大学院修了 歯学博士
- 2007年4月 東京医科歯科大学歯学部附属病院 スペシャルケア外来 医員
- 2010年4月 東京医科歯科大学大学院特任助教 摂食リハビリテーション外来(両兼任)
- 2013年12月 足利赤十字字病院リハビリテーション科
- 2020年2月 足利赤十字字病院リハビリテーション科 口腔治療室長
- 2024年7月 足利赤十字字病院リハビリテーション科 副部長
- 2025年4月 現在に至る 著書に『別冊 ザ・クインテッセンス 病院歯科の現在地』(クインテッセンス出版・共著)がある。
略歴
