TOP>コラム>むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:酸性

コラム

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:酸性

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:酸性
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:酸性
2月連休、車の窓から流れ込む潮風には春の気配が感じられた。港にある文化会館に到着すると、車で溢れる駐車場内で運よく船着場に接する一角に駐車スペースを見つけ、受付を済ませると会場の左側前方部に席を確保した。私は何も意識せずに行動しているつもりだが、気づくと大学時代の講義室の席と同じ位置に座っていることが多い。ちなみに酒席では、下座の真ん中が好みの席で、ある時それは皆の顔が見渡せるキャッチャーのポジションであることに気づいた。慣例的な位置取りは、案外だれでもやっていることが多いと思う。

後方列に陣取る女性グループの夕食ネタの談笑が途切れた頃、三豊市とタラ オセアン財団の共催した「海と地球の未来を考えるシンポジウム〜世界の海の現状と自分たちにできること〜」が始まった。フランスで初めて、海に特化した公益財団法人として認定されたタラ オセアン財団は、所有する「科学探査船 タラ号」に科学者とアーティストを乗り組ませて世界中を航海しながら、さまざまな環境的脅威が海洋に与える影響の研究を進めている。寄港地では、教育イベントなどを行い、「科学×アート×教育」の力で海を守ることの重要性を伝えている。タラ号が太平洋プロジェクト(2016~2018)で初来日した際、町の港に4日間滞在した時には私もカメラを持って港に足を運んだ。その後、タラ オセアン財団の日本支部タラ オセアンジャパンと三豊市が連携協定を締結し、海洋環境教育の拠点を市内の粟島に置いたことが、今回のシンポジウムへと繋がった。

私の主な目的は、タラ号で世界の海を見てきたロマン・トゥルブレ氏(タラ オセアン財団エグゼクティブディレクター)の講演を聞くことだった。トゥルブレ氏の話を、参加した聴衆がどれくらい深刻な問題として受け取ったかはわからないが、その日夕食を囲みながら家族や友人に地球や海が危機的な状況にあることを語ったと信じたい。講演の主な内容は、人間がもたらした地球温暖化による海の変化、すなわち海水温の上昇、海洋酸性化そしてマイクロプラスチック問題だった。そしてタラ極地ステーションを、2025年を目標に北極海の海氷の中に設立する予定だという。

海水温上昇やマイクロプラスチック問題は、一般的に理解しやすい事象だが、それに加えて海の中では恐ろしい異変が起き始めている。昨年7月、NHKスペシャル「海の異変 忍び寄る酸性化の脅威」が放映された。人間の活動により放出され続けている二酸化炭素を、世界中の海が大量に吸収し続けている。そして大気中の50倍もの二酸化炭素を蓄積する海に、酸性化という脅威が生じているのだ。

「酸性」という言葉を目にすると、歯科医師や歯科衛生士は瞬時に「う蝕」や「ステファンカーブ」、さらには「歯の酸蝕症」を連想するだろう。われわれは多くの時間を「酸性」との戦いに費やしているため、「酸性」のもたらす現象や脅威については一般の人たちよりはるかに理解しやすい。酸性度は違うが、私たちが口腔内で目にする酸性方向に傾くという現象が、世界中の海で起こっているのだ。

日本の海洋調査船が北極海で調査を行い、炭酸カルシウムの殻を持ったプランクトンである翼足類の殻がもろくなったり、穴が空いたりしていることを確認している。世界の海水はpH8.1で通常アルカリ性によっているが、北極海の海水はpH7.5やpH7.85と酸性に近づいている場所があり、それは海が増えすぎた二酸化炭素を吸収したことによる。有殻翼足類は、他の動物プランクトンや大型の魚のエサになっているので、翼足類がいなくなると、ドミノ倒しのように生物全体に影響が及ぶといわれている。北極海の翼足類の生息数が、15年間でおおよそ5分の1まで減っていて、長引くサケの不漁には翼足類の減少がかかわっているとの指摘もある。さらに日本をはじめ世界の都市沿岸でも、カニや貝が溶けていることも報告されている。そしてこのまま行くと2100年には、海の生き物のおおよそ20%が消滅すると予想されている。

植物プランクトンが光合成を行い、二酸化炭素を減らし、体内に炭素を含む有機物として蓄え、動物プランクトンも増殖し、それを魚が食べ、炭素がフンなどに含まれる形で海の底へと沈んでいく。この海が備えている「天然の二酸化炭素吸収装置」が、今危機にあることもナンキョクオキアミの研究から突き止められている。

地球そして海の悲鳴は、日ごとに大きくなっている。海洋酸性化はその一面にすぎない。「2050年までに二酸化炭素の排出量を実質ゼロにする」には、私たち自身の努力が求められる。とはいえ、シンポジウムから帰宅する山道沿いでは、豊かな緑が切り拓かれ、大量の太陽光発電パネルを設置する工事が進行し、その姿が戦場の墓標を連想させ、胸が痛む。屋根上ソーラーシステムやソーラーシェアリングなど一石二鳥、一石三鳥といわれている方法もあるのだ。自然の緑を保全しながら脱炭素社会を目指す取り組みが、ひとつしかない地球の未来へとつながっている。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

tags

関連記事