TOP>技工情報>歯科技工士と歯科衛生士、ダブル資格をとったことで得られた大きなメリットとは 後編

技工情報

歯科技工士と歯科衛生士、ダブル資格をとったことで得られた大きなメリットとは 後編

歯科技工士と歯科衛生士、ダブル資格をとったことで得られた大きなメリットとは 後編
歯科技工士と歯科衛生士、ダブル資格をとったことで得られた大きなメリットとは 後編

大阪府茨木市で、歯科技工所「有限会社デンタルクリエーションアート」を経営する西村好美さんは、46歳のときに歯科衛生士学校に通いはじめ、3年後に歯科衛生士の資格を取得しました。歯科衛生士学校に通ったことが、技工所の経営とスタッフの成長にも大きな良い影響を与えたと語る西村氏。デジタル化が進む歯科技工士業界で若手はどうキャリアを積んでいけば良いか、語っていただきました。

◼︎歯科技工士という仕事の面白さに目覚めたきっかけ

私の修⾏は、18歳から21歳までの⻭科技⼯⼠学校に通っていた時代から始まります。学校の授業とは別に毎日歯科医院でのアルバイトとともに⺟校の講師である森弘充先⽣の⻭科技⼯所に毎週⼟曜⽇通い、そこで⻭科技⼯全般の基礎、とくに⻭科解剖学の基本を⾝につけました。卒業後は10年間、アルバイト先でもあった藤井歯科医院(大阪府茨木市・当時の院長 藤井隆治先⽣)に勤務し、⽇曜往診の際には⻭科技⼯⽤のエンジンを携えて患者さんのもとに同⾏し、臨床の技術を磨くとともに、スタッフや患者さんとのコミュニケーションの⼤切さも学ばせてもらいました。
歯科技工士学校を卒業してからの2年間ぐらいは当然のことかもしれませんが、得意とする分野もなく、目の前にある業務を漠然とこなす毎日でした。そうした状況と意識を⼤きく変え、その後の⻭科技⼯⼈⽣の「灯」となったのが、22歳のときに⼭本眞先⽣が執筆された『ザ・メタルセラミックス』という⼀書との出逢いでした。同書を⼿にしたときの震えるような感動と、「この仕事は奥が深い」と気づいた衝撃は、今も忘れられません。

当時は保険診療がほとんどの時代で、被せものも臼歯は⾦属が中⼼です。前歯で白い⻭を希望してもひと⽬で作り物とわかるレジンの前装冠が多く、金属焼付ポーセレンもありましたが、色をシェードガイド(色見本)に合わせる程度のものがほとんどの時代でした。しかし、⼭本先⽣の『ザ・メタルセラミックス』の著書の中で⾒た⻭は衝撃を受けるほど、それらとはまったく違っていました。⻭の⾊からシワの⼀本⼀本まで⼈間の⻭そのもので、今でもその時の驚きと興奮は忘れることが出来ないほどです。私はその写真を⾒て、「この先⽣にぜひ会ってみたい」と強く思いました。調べてみると、ちょうど⼤阪で⼭本先⽣の講演会があることがわかり、⾜を運んでみました。ついた会場は満員の⻭科技⼯⼠達の聴衆で埋まっており、そこで⾏われたデモに私はさらなる衝撃を受けます。壇上に⽴った⼭本先⽣は、『ザ・メタルセラミックス』に掲載されていたセオリーをテンポよく解説しながら、天然の⻭と⾒分けがつかない⼈⼯⻭を聴衆の⽬の前であっという間に作ったのです。私はそれを⾒て、「この先⽣から何とか技術を学びたい」と決意しました。私は会場に最後まで残り「先生の技術を教えていただくには、どのようにすればよいでしょうか?」と尋ねました。山本先生は、技術を取得するための長期のコースは行っていないとのことでしたが、弟子の片岡繁夫先生がアメリカから帰国し、学校を設立されるとのことでそちらを尋ねてみてはとご紹介いただきました。ちょうど他からの縁もあり、片岡先生が設立されました「大阪セラミックトレーニングセンター」の週末コースへ参加させていただくこととなりました。山本先生の愛弟子であり、アメリカから帰国されたばかりの片岡先生の指導のもと、ポーセレンの魅力に惹かれていくこととなりました。

片岡先生が設立された学校は1年制のコースとなっておりましたが、入学して半年を過ぎた頃、片岡先生より「この学校で講師をしてみないか」と思いもよらぬお話をいただき、自分に勤まるか大変不安ではありましたが、ありがたくお引き受けいたしました。この講師として一歩を踏み出したことは、私の人生が大きく変わるきっかけとなりました。
それからは、いかに形態や色調が天然歯と変わらないものを作るかということに終始没頭し、24歳ぐらいのときから⻭科技⼯についての講演の依頼もいただくようにもなりました。片岡繁夫先生に教わったポーセレンの技術と森弘充先生から教わった歯牙に対する考え方をベースに⾃分の技術と知識を体系⽴てて、それらを天然歯の形態学として論文をまとめ、雑誌で発表する機会にも恵まれました。33歳の時には、技工人生の節目となる1冊「ネイチャーズモルフォロジー」を片岡先生と出版し、その本は、現在までに7カ国で翻訳され、海外でも多くの⻭科技⼯⼠の参考書として読まれていることは、とても嬉しく思います。

28歳の時、天然歯の追求に終始する日々の中、突然、私のもとに「私の仕事をしてみないか」と電話がかかってきました。その歯科医師こそ、私を患者にとってよいものとは何かと考えることの出来る技工士に変化させてくれた臨床上の師となる、本多正明先生です。本多先生との出会いなくして、現在の私の臨床はあり得ないと思います。天然歯の模倣にばかり興味が向いていた私にとって、本多先生との仕事は臨床の奥の深さを知ることになりました。と同時に歯科技工の大きな壁にぶつかりました。すべてを求められる次元の高さに押しつぶされそうになることもありましたが、先生との仕事を通じて得た歯科技工の喜びと、もっと深く患者さんにとってよい歯を作りたい、自分の作った歯が患者の中でどう機能し、永続していくのかを自分の目で確かめていきたいと思うようになりました。

◼︎歯科衛生士学校に通い始めて変わったこと

本多先生をはじめ、さまざまな考え方を持つ先生方との仕事を通じ、歯科技工に対して時には壁にぶつかりながらも約20年間、勉強を続け、「⻭科技⼯の審美性、機能性や歯周に関する技術について、現段階で学べることはだいたい完了した」という思いを抱きました。46歳から⻭科衛⽣⼠の学校に通い始めたのは、「今まで⾃分が学んだことを忘れて、別の⾓度から改めて技⼯のことを追求したい」という思いも、ひとつの要素でした。
しかし⻭科衛⽣⼠学校に⼊学するには、⼀つ⼤きな問題がありました。当時、息⼦が⼤学に通っており、⾼校⽣の娘も2⼈いて、妻は専業主婦でしたので、私が学校に通いながらどうやって⾃分の会社の経営を続けるか、従業員や家族の生活を守っていくか頭を悩ませたのです。いろいろ考えると前に進むことは出来ず、壁になることばかりでしたが、自分にとって何が重要なのかを考えた時、私の決意は間違いのない選択であるとの思いを固め、家族や会社スタッフをはじめ、周りの方々の理解と応援もあり、入学を決意して、学校に通い始めました。

私を悩ませた会社の業績も実際に私が⼊学した年度の収益は、前年に⽐べて2割ほど落ちましたが、驚くことに、⻭科衛⽣⼠学校に⼊学してから2年後には、創業以来、過去最⾼の収益が上がったのです。
私が衛生士学校へ通う不在時間があるにも関わらず、過去最高の収益につながった理由を考えた時、さまざまなことに気づかされました。衛生士学校へ通う前の私は毎日休みもなく、夜中まで仕事をし、それが当たり前になっていました。しかし、歯科衛生士学校へ通うためには1日5時間ほど不在にしなければなりません。この私が不在となった時間が、必然的にスタッフひとりひとりが成長するきっかけとなり、自ら製品のクオリティに責任と自覚を持って、仕事に向き合うようになっていったのです。このような経験から、仕事を任せることの大切さ、組織での私の役割(マネージメントやコーチング)の重要性などについて考えるようになりました。
昔も今も、技⼯所の多くは複数のスタッフがいても結局のところ「個⼈商店」です。仕事をとってくる経営者の⻭科技⼯⼠が中⼼となって、スタッフは「サポート役」になっているところが多いと感じています。しかし⻭科技⼯を将来にわたって続ける「ビジネス」としたいなら、いつか必ず「個⼈商店」から脱却する必要があります。私の技⼯所では、私が⻭科衛⽣⼠学校へ通うことをきっかけに、ベテランのスタッフが「コーチ役」となって若⼿のスタッフを指導する仕組みが⾃然に⽣まれました。その結果、私の「個⼈商店」ではなくなり、我々に仕事を発注してくれる⻭科医の先⽣⽅、その先にいる患者さんたちに、⾼いクオリティの⼈⼯⻭を安定して納品できる体制が整ったのです。

◼︎歯科技工士がめざす未来とは

こうした⾃分の経験から、⻭科技⼯⼠業界でキャリアを積んでいくには、⻭科技⼯⼠学校の教育のあり方や卒業してから「卒後教育」が極めて重要になる、と感じています。 私のように⻭科衛⽣⼠学校に通ったり、さまざまなセミナーに参加することで、⻭科技⼯に関連するさまざまな技術・知識を学ぶことも⼤切です。さらにこれからの⻭科技⼯⼠は、経営やマーケティング、コーチングなどのビジネスに関する知識を学んでいくことが、必要になると感じています。ITの進歩に伴い、⽇進⽉歩で⻭科技⼯の世界には新たな技術が導⼊され、最新のスキルを⾝につけた⻭科技⼯⼠はより品質の⾼い⻭が作れるようになっています。
CAD/CAMの普及によって、「⻭科技⼯⼠には職⼈的な技術がいらなくなる」という⼈もいますが、私はそれはまったくの逆だと考えています。コンピュータと機械によって、⼯場のようにそれなりの品質の⼈⼯⻭を沢⼭作る技⼯所と、⻭科医師や患者さんと密接なコミュニケーションをとりながら、最適な⻭をデジタル技術を駆使しながらハンドメイドで作っていく技⼯所、その2つにこの業界は分かれていくはずです。お⼝の健康が、⽣涯にわたる健康寿命に直結することが常識になりつつある今、⻭科技⼯⼠の職能はますますこれから社会に求められることは間違いありません。そうした時代を迎えようとしているからこそ、⻭科衛⽣⼠と⻭科技⼯⼠、2つの知識と資格を持つことを、私は多くの⼈に勧めたいと考えています。

歯科技工士と歯科衛生士、ダブル資格をとったことで得られた大きなメリットとは 前編

西村好美さん
有限会社デンタルクリエーションアート

1982年
行岡医学技術専門学校 歯科技工士科卒業
藤井歯科医院勤務
1985年
大阪セラミックトレーニングセンター講師
1988年
日技生涯研修認定講師
1991年
藤井歯科医院退社
有限会社デンタルクリエーションアート開設
1995年
SJCD歯周補綴テクニシャンコース講師
1999年
にしむら塾主幹(東京・大阪)
2001年
松風アドバイザー兼国際インストラクター就任
2002年
咬合・補綴計画セミナー招聘講師
2007年
日本歯科審美学会認定士及び評議員
THE EUROPEAN JOURNAL OF Esthetic DENTISTRY編集委員
2009年
新大阪歯科衛生士専門学校卒業(歯科衛生士国家資格所持)
2010年
大阪大学歯学部付属病院歯科技工スーパーバイザー就任
新大阪歯科衛生士専門学校講師

著者大越 裕

神戸市在住。
2社の出版社を経て、2011年フリーに。
ビジネス・サイエンスを中心に様々なテーマの取材記事を各種メディアに執筆。
理系ライターズ「チーム・パスカル」所属。
http://teampascal.jimdo.com
大越 裕

tags

関連記事