Dental Life Design

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地域のために
警察歯科医ができること―
京都の開業歯科医の挑戦 第1回:
私が警察歯科医になったわけ

2020/4/2 デンタル〇〇デザイン

3月下旬、新型コロナウイルス感染症の情報が毎日絶え間なくテレビやメディアで報道されている。各国首脳が「戦争状態」と表現し、国境封鎖を行い、国内では外出自粛要請が出るなど外出もままならない状態だ。普段当たり前のようにできていたことができない、不自由な状況はこれからもしばらく続くのだろう。日本でも抑圧されたような重苦しい雰囲気が漂っている。1日も早い状況の打開を心から願うばかりである。

出来事はまったく異なるが今から9年前、日本中が悲嘆に暮れ、悲しみのドン底に突き落とされる大災害が起こった。当たり前の日常が突然なくなったのだ。東日本大震災、その後の大津波と、それにともなう福島の原発事故である。


日常臨床のドタバタも過ぎ、気がつけば開業から丸5年が過ぎていた。地域の皆さまにもようやく知られるようになり、歯科医院として順調に成長を遂げてはいたものの、その毎日は朝から晩まで目まぐるしく、忙しく、いつも時間的余裕はなかった。夜遅く家に帰れば、2人の小さい子たちがぐっすりと寝ている。妻からその日の出来事を聞きながら晩ご飯を食べ、感謝しながらも明日の診療に思いを馳せていることが多かった。ボンヤリしていることもあったのだろう。「話聞いてるの?」と怪訝な顔で問い詰められることもしばしばであった。 また、歯周病専門医の下で勤務医をさせていただいていた頃、診療の傍ら歯周病やインプラント治療の勉強を基礎からしたいと願い、大学解剖学講座の門も叩いた。こちらもほぼ毎週実験やそのデータ分析などがあり、約10年にわたってお世話になった講座の先生はいつも優しく、多くのことを教えていただいた。非常にやりがいがある反面、決められた期限のなかで結果を出していくという難しさも感じ、診療とはまた別のプレッシャーも覚えていた。 そんな慌ただしい日々を送っていた2011年3月11日、東日本大震災が発生した。診療の合間に垣間見るテレビに映し出される映像を眺めながら、「これは本当に同じ日本で起こっている出来事なのだろうか」と現実感のない不思議な気持ちに包まれたことを強烈に覚えている。現実だが非現実的、近いようで遠い世界のこと、とその時は考えていた。歯科医療救護の要請があるまでは……。 発災から間もなく、京都府歯科医師会より検視業務や歯科医療救護活動の要請に応じるか否かのアンケートがあり、特に深く考えもせず、「応じる」にチェックを入れ返信した。心の中では、自分にできることをなんとか手伝いたいという気持ちがあったのだろう。結果、厚労省経由で歯科医療救護活動への派遣要請があり、宮城県の石巻市や南三陸町に1週間赴くことになった。 詳細は次回以降で述べるが、普段の私たちの生活とはまったく違った光景がそこにはあった。当たり前の日常が一瞬にしてそうではなくなり、圧倒的な現実感を現地で思い知らされた。テレビやネットで見ていた光景が目の前に広がっていた。各避難所では、段ボールなどで区切りを作り各人のプライバシーを確保している状況も見られたが、避難者の歯科医療救護(治療)をしていると、やはり物音をあまり立てられない窮屈さやしんどさなども伝わってきた。 しかし、このようなたいへんな状況にあるにも関わらず、多数の避難者から感謝と労いのお言葉をいただいた。そしてさらには、後日わざわざ歯科医師会にお礼のはがきを送ってくれる人もいた。避難所や被災を免れたご自宅での治療(歯科医療救護活動)はたいへんなところもあったが、同時に現地の人と心の触れ合いをもつこともでき、自分自身の気持ちに大きな変化が起こっていることを感じた期間となった。 また、別チームでは検視業務活動も行い、不幸にも津波などで亡くなられたご遺体の身元確認のため、過酷な状況の中で口腔内チャート作成を遂行された先生もいた。 これまで私は災害時の歯科分野の活動について、深く勉強したことも考えたこともなかったが、こうした経験をしたことから、大規模災害時の歯科医療や検視業務を主に行う警察歯科医の仕事に大きな興味をもつことになった。 いつもは歯周病治療やインプラント治療も含めた一般治療を行う、普通の「町の歯医者さん」である。そうした人間でも、地道に勉強を続け、警察歯科医として活動する時にはその時点での知識と経験をフルに活用し、できるだけ役に立ちたいと願っている。 次回以降、実際の活動業務や京都府歯科医師会での取り組みなどについて紹介していきたいと思う。 安田歯科医院ホームページ http://www.yasuda-dc.com