Dental Life Design

あなたのデンタルライフを彩るメディア

地域のために警察歯科医ができること
―京都の開業歯科医の挑戦 第2回:
9年前のあの日々~警察歯科医になるきっかけとなった、
東日本大震災での歯科医療救護活動

2020/4/16 デンタル〇〇デザイン

京都市内にある私の歯科医院では、昼の診療が14時から始まる。2011年3月11日の午後は、上顎前歯部の精密印象からだった。出血も起こらず、良好な印象を採得できた。マスクの内側では自然と笑みがこぼれる。その後、上機嫌で隣のチェアへ。インプラント治療後の抜糸のため傷口を確認。今のところ問題なく治ってきていますよ、と患者さんと一緒に喜び合う。金曜日、もう少しで今週も終わる……。

その時、小刻みに地面が揺れ、頭がふらついているような感覚に襲われた。気のせいかもしれないと、思う間もなくさらに頭がふらつく。もしかして忙しさからのストレス?それとも何かの病気?と不安になった。とその時、横のテレビから緊急地震速報が伝えられた。ふらつきではなく、地震から来る揺れがここ京都にまで伝わってきていたことにようやく気づいた。

15時を過ぎ、治療の合間に垣間見るテレビから映し出される津波の映像は、何か現実感のない、それでいて生々しいものであった。同じ日本でまさかこんなことが……。地震で、津波で本当に多くの大切な命が奪われた。また、福島第一原発事故も併発し、さらなる不安が日本中を襲ったのだった。

歯科医師会からは検視業務支援と歯科医療救護活動の要請があり、予約患者さんの診療のことが気にはなったが承諾の返事をした。結果、宮城県石巻や南三陸町に1週間、歯科医療救護活動に赴くこととなった。意外にも患者さんはじめスタッフのみんなは快く送り出してくれ、本当にありがたかった。

同行者である同じ京都市内で歯科医師の澤田卓男先生とは、事前にメールや電話で打ち合わせをしたが、何を持っていけばよいのか、どんな装備で行けばよいのか、情報が少なくわからないことが多かった。それでも後押ししてくれるみんながいる、ということが私の気持ちを奮い立たせてくれた。

初日、交通事情の混乱により迷いながらも、なんとか仙台にある宮城県歯科医師会にたどり着きブリーフィングが行われた。歯科医療支援のために用意された車を私が運転し石巻へ。澤田先生と、京都府歯科衛生士会より同じく要請で来た2名とを乗せたが、地震により道がひび割れていて相当の悪路だった。さらに慣れない道を走る緊張が続く。なんとか石巻の宿泊地へ到着する頃にはヘトヘトになっていた。

翌日、さらに車を飛ばして到着したのは、風光明媚な場所として知られる南三陸町。だが足を踏み入れると、自衛隊により津波で破壊された家々の撤去作業が粛々と進められている、瓦礫が山積みになった光景が広がっていた。


津波により破壊された建物が瓦礫となり、山積みになっていた

地元の歯科衛生士、三浦 夕さんはご自身も家を流された被災者だった。大変なはずなのに「遠いところから本当にありがとうございます」という感謝の言葉。胸が張り裂けそうな気持ちをこらえ、挨拶もそこそこに避難所や個人宅を案内してもらう。


案内していただいた歯科衛生士の三浦さん(右から2番目)と、要請により京都から赴いた歯科医療救護活動メンバー避難所となっていたホテル観洋の前にて

体育館を利用したある避難所では、被災者同士の間についたてもありプライバシーが守られているが、空気がよどむ。同じ体育館でも別の避難所では、換気は良いが、ついたてもなく生活が丸見えの状態。自宅ではないどの場所にいても、どなたも心休まる暇はなかっただろう。

ふと、入れ歯で悩む女性が声をかけてこられ、ひそひそ声で「歯ぐきに当たって痛いんです」と相談してきた。処置をして痛みがなくなると、「どこから来られたのですか? 京都!お疲れ出ていませんか? 遠いところからわざわざすみません」と、こんな状況にもかかわらず、こちらへの心配やねぎらいの言葉をいただいた。

毎日5カ所ほど回り1週間で20カ所ほど、延べ200人以上の歯科医療支援活動を行った。できる治療は限られていたが、義歯調整(修理、増歯)、保存処置、P処置、ブラシング指導(主に同行の歯科衛生士)を行う。微力ではあるが津波に流され稼働できなくなった最寄りの歯科医院の代わりになればと、そこら中を巡った。ご苦労ばかりのはずなのに、皆さん感謝の言葉をかけてくださった。


仕切りのない避難所では、入れ歯の悩みもヒソヒソ声で相談しておられた


歯科医師は2人1組となり、処置の内容や歯式の記入などを行う

また、高台にある避難所となったベイサイドアリーナでは災害対策本部も設置され、入口の掲示板に身元不明のご遺体に関する情報がびっしりと貼られていた。京都府歯科医師会の別チームは、石巻にて身元確認のための検視業務支援にあたっており、そうした業務により得られた歯科に関する情報も記載されていた。


びっしりと貼られた身元不明のご遺体情報

京都に帰り、日常臨床に戻ったが、1週間とはいえ被災現場を見て回った衝撃はなかなか頭から離れなかった。反面、赴いたことで数多くの人間関係もでき、また被災された人と多くの話をすることができ、本当によかったとも感じた。そして災害時の歯科医療支援はもちろん、警察歯科医の行う災害、事故、事件時の身元確認についても、より身近なものとして感じることとなった。

多忙を極める毎日ではあったが数年後、近隣の中京警察署の嘱託を受けてほしいとの話があった時、迷わず警察歯科医になろうと思えたのは、間違いなくこの時の体験があったからである。そして京都府歯科医師会では警察歯科委員会にも所属することとなり、地域の警察歯科医として少しずつ勉強を始めることとなった。
(続く)


安田歯科医院ホームページ
http://www.yasuda-dc.com