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東日本大震災の身元確認を振り返って

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歯科医にしかできない重要な任務
東日本大震災の身元確認を振り返って

歯科医にしかできない重要な任務<br>東日本大震災の身元確認を振り返って
歯科医にしかできない重要な任務
東日本大震災の身元確認を振り返って

奈良県の池元歯科医院の院長、池元泰先生は、2011年の東日本大震災の発生後に、岩手県でご遺体の身元確認に従事されました。いつかまた起こりうる「その日」に向けて、歯科医師は何を準備し、どんな心構えを持っておくべきなのか。当時のご経験を振り返っていただきました。

2011年3月11日に起きた東日本大震災。私はその2ヵ月半後、5月25日から29日までの5日間、岩手県でご遺体の身元確認に従事しました。私を含め、奈良県歯科医師会から3人、奈良医大系列病院から1人(歯科医師)の計4名が同県に派遣されたのです。
現地に行くことを決めたのは、5月13日に奈良県歯科医師会から、県内の歯科医師にFAXで出動の依頼が来たことがきっかけです。震災直後から、被災地では現地の歯科医師たちが懸命に身元確認作業にあたっていました。しかしご存知のように、地震が東北の広範囲にもたらした津波の被害はあまりに大きく、身元確認の必要なご遺体も膨大な数となりました。そこで日本歯科医師会が中心となって、全国各地の歯科医師に応援が要請されたのです。
私は母の実家が東北の宮城県で、私自身も福島県の奥羽大学を卒業しています。そのため東北は私にとって大切な土地という意識があり、FAXを見て自然に「行こう」という気持ちになりました。
とはいえ、身元確認作業の訓練を受けたことはありませんし、ご遺体を扱ったのは学生のときの解剖実習のときぐらいです。行く前の2週間は「果たして自分にできるのだろうか」と心配が募り、自分のクリニックを1週間休むための準備などもあって、かなり精神的にしんどかったことを覚えています。
震災直後は現地の状況も混乱しており、何を準備すべきかも判断がつきませんでした。食料や寝袋がいるかもしれない、破傷風の予防接種を受けたほうがいい、といった情報もありました。とりあえず宿泊場所は盛岡市内のホテルが確保されていると聞いて、食料等は必要ないとわかりましたが、現地で必要になるかもしれない器具は、すべて持っていくことにしました。
当時、飛行機はすでに飛んでいましたが、ナイフやハサミなども持っていくことにしたので、開通したばかりの新幹線で現地に向かいました。高速道路はまだ、警察車両等しか通行できず、一般の車で向かうことはできなかったのです。現地で電気が復旧していない可能性もあるので、充電式の携帯レントゲンも持っていくことにしました。

同行したのは、奈良県から派遣された3人の歯科医師です。盛岡市内のホテルに到着するとすぐに、私たちの前に5日間身元確認にあたっていた愛媛県の歯科医師会から派遣された3人の歯科医師から、申し送り作業を受けました。そこで初めてどういう状況なのかを聞いて、具体的な作業手順を確認いたしました。その打ち合わせには岩手医科大学の法医学の先生も同席してレクチャーを受けました。
翌日からは2つの班に分かれ、それぞれの担当する遺体安置所で確認作業を始めました。担当したのは3箇所ですが、いずれも海沿いで、小学校の体育館やすでに廃業されていた造林会社の倉庫が作業場となりました。安置所に近い海沿いのホテルは、災害ボランティアや復興作業員の方々に優先的に割り当てられていたので、我々は毎朝、警察車両に乗って2〜3時間かけて遺体安置所に向かいました。
体育館に着くと、床にはブルーシートが敷き詰められており、その上に大量の遺体袋と棺が置かれていました。棺の前にはご遺体が着ていた衣服がビニール袋に詰めてあり、中には免許証などの身元確認書類も見えるように入っていました。しかし震災から2ヵ月半が経ち、ご遺体の腐敗も相当進んでいたので、それが確実に本人のものであるかどうかはわかりません。身元確定のためには、やはり歯型確認が必要になるのです。
衝立てに囲まれた作業スペースには、岩手医科大学から貸し出しされた解剖台が設置され、そこで身元確認を行っていきました。震災直後は解剖台もなく、地元の歯科医の先生たちは冷たい床に膝をつけて何百体ものご遺体を一人で診ていたために、腰を痛める人がたくさんいたと聞きました。

我々が作業に当たった頃は、一日に平均5人のご遺体が警察や自衛隊により発見されて、安置所に運ばれてきました。ご遺体の多くは水中や瓦礫の中で発見されるのですが、とくに瓦礫の中のご遺体は腐敗が厳しく、真っ黒になっており、全身に蛆虫が何千と付着していました。口腔内にも大量の蛆虫が湧いており、我々が診る前に警察の方がそれを一時間ぐらいかけてきれいにしていきます。水道はまだ復旧していなかったので、貴重な水を無駄にしないために、濡らしたタオルで丁寧に蛆虫を落としていき、ため水で入れ歯を洗います。その作業を間近で見せてもらいましたが、あれは本当に辛い仕事だったと思います。作業に当たる警察官の中には女性もいましたが、丁寧に淡々とご遺体を清める様子に、ただただ頭が下がる思いでした。
ご遺体は一人ひとり医師が死亡診断書を書き、その後で我々歯科医が検視に入ります。間違いがあってはいけないので、3人の歯科医師で作業に当たりました。安置所の壁には、犬や牛馬の骨の特徴が描かれている紙が貼られていました。津波で亡くなったのは人間だけでなく、多くの動物も死んでいるため、人骨と見分ける必要があったのです。
水中で発見されたご遺体の顔は腐敗ガスのため、家族が見てもわからないほど膨れ上がっており、皮膚は石鹸のように溶けている状態でした。そのようなご遺体でも、歯を見れば個人を特定することができます。作業では口腔内を見て、どの歯が抜けているか、治療の跡がどうなっているか、一人につき1時間ほどかけて歯式を書いていきます。現地では充電式の携帯レントゲンが準備されていました。下の前歯がないご遺体のレントゲンを撮ってみると、歯槽窩(歯根が収まっている骨のくぼみ)がはっきり映っていたので、死後に脱落した可能性が高いとわかったのです。震災以前に治療で歯を抜いていた場合、歯槽窩が映らないはずなので、何かにぶつかって脱落した可能性があることがレントゲンでわかるのです。またレントゲンで埋伏歯であることがわかれば、明白な個人特定につながる情報になります。
私たちの検視の後でご遺体は火葬されて埋葬されますので、その場で歯式のチャート記入を間違いなく行わなければ、身元確認ができなくなってしまいます。そのため作業には細心の注意を払いました。海沿いの歯科医院の多くは津波で流されて、カルテが無くなっている患者さんも多くいましたが、あるご遺体は家族が以前に歯科に通ったときに渡された「虫歯診断書」を保管しており、それで個人特定をすることができました。 私たち奈良県から派遣された4人の歯科医師は、「一人でも多くの方を、ご家族のもとに帰すことが我々の任務である」と認識しながら、身元確認作業にあたりました。一連の作業を通じて改めて強く思ったことは、我々歯科医師が日常当たり前の業務として行っている、初診のときの口腔内診査が、身元確認のためには極めて重要な情報となるということです。
検視に当たっていた3日の間に、私たちのところへ運び込まれたご遺体は15体です。そのうち4体の身元を、作業によって判明することができました(その後、残りの11のご遺体も地元歯科医師会等の努力で判明しております)。

地元の警察官の方々からは「この悲惨さを、ぜひ伝えて欲しい」と頼まれました。任務終了後、私は奈良の歯科医師会で報告を行い、そこで現地の作業の様子をスライドで発表いたしました。しかし、写真や映像でどうしても伝えることができないのは、臭いです。海沿いの被災地には、私たちがいる間ずっと、魚が腐ったような異様な臭いが立ち込めていました。その臭いは、ホテルに帰り風呂に入っても、ずっと鼻の奥を漂っているような気がしました。
滞在中に救いとなったのは、歯科医師の仲間の存在です。奈良県からは4人の歯科医師が岩手に向かいましたが、毎晩、作業後に彼らと一緒に食事をし、その日のことを話し合うことで、辛い作業を乗り越えることができました。事前に歯科医師会からも、「寝付きが悪かったりするかもしれない」とPTSDに注意するよう言われていましたが、実際に4人のうち1人の仲間は、普段はまったくお酒を飲まないのに、3日間とも自ら帰り道のコンビニに寄ってビールを買っておられました。一緒に身元確認にあたった4人の仲間は、今でも年に一度は集まって、当時のことを振り返っています。
私たちが作業に従事したのは3日間だけですが、震災直後は体育館が一杯になるほどの、何百体ものご遺体が運び込まれたと聞きます。そこで黙々と確認作業を行った地元の歯科医の先生たちは、本当に精神的、肉体的にたいへんだったはずです。

日本歯科医師会が東日本大震災の前に、地震等の大災害時には被災者の口腔のケアなどが必要になると想定して、シミュレーションを行っていました。しかし現実の地震は、その想定を遥かに越えており、突然膨大な数のご遺体の身元確認が必要となったのです。先程も述べましたように、津波によって多くのカルテが流されてしまい、個人特定が遅れることになったことを考えると、今後は個々の患者のカルテのデータベースを県や国単位で保管することを検討する必要があるでしょう。もちろん、患者のカルテは重要な個人情報ですので、十分にプライバシーに配慮する必要はありますが、南海トラフ地震や首都直下地震などが懸念される今のうちに、「そのとき」に備えておくことが重要だと考えます。

奈良県に戻った後で、日本歯科医師会の会長から、感謝状をいただきました。そこには、私たち歯科医師が身元確認を行う意義について、次のように書かれています。

「一つは、ご遺体をご家族のもとにお返ししてあげること。もう一点は、人のアイデンティティの基盤は、どんな名前で人生を生きてきたかであり、身元確認はその人のアイデンティティの最後の確認であること」

日本歯科医師会が後にまとめた集計によれば、震災後5ヵ月間で、全国の歯科医が歯型採取を行ったご遺体は8750体にもなりました。作業にあたった歯科医師は2600名に上ります。歯型による身元確認は、歯科医師であれば誰でもできます。しかし、歯科医師にしかできない極めて重要な任務であるのです。そしてその任務を間違いなく完遂するためには、日頃から歯科医師一人ひとりが、きちんと患者の歯式をカルテに記録していく積み重ねが、何よりも大切になります。本稿を通じて、我々の現地での経験と思いが、日本全国の歯科医師の方々に届くことを心より願っております。

池元歯科医院 https://ikemoto.dental-net.jp/

ープロフィールー
池元泰先生

1993年
奥羽大学歯学部 卒業
同年歯科医師免許 取得

1999年5月
池元歯科医院 開院

・日本スポーツ協会公認スポーツデンティスト
・奈良県総合医療センター登録医
・市立奈良病院登録医
・奈良市立平城西中学校 学校歯科医
・奈良県警察協力歯科医

著者大越 裕

神戸市在住。
2社の出版社を経て、2011年フリーに。
ビジネス・サイエンスを中心に様々なテーマの取材記事を各種メディアに執筆。
理系ライターズ「チーム・パスカル」所属。
http://teampascal.jimdo.com
大越 裕

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