日本は「人生100年時代」といわれる時代に突入し、65歳以上の高齢者の割合が総人口の30%に迫ろうとしています。高齢になるにつれ認知症・全身疾患の発症や重症化がみられ、おのずと診療所への通院が困難となり、訪問歯科への依頼が増加してきています。そしてその現場では、多くの方が食べることに不自由を感じながら日々の生活を送っており、その結果、低栄養や合併症などで亡くなる方も多くいらっしゃいます。まさに「食べることは生きること」、歯科は命につながっていると実感します。 さて、今回より6回にわたり、私が訪問歯科医師になったきっかけから、現在の取り組み、多職種と職種内連携の重要性、現在の高齢者医療における課題と今後の展望についてお話させていただこうと思います。これからの日本の歯科医療に求められている「一生涯のかかりつけ歯科医院」として、皆さんの高齢者医療、特に訪問診療における臨床の引き出しのひとつとなれば幸いです。 私が歯科医師を目指したのは、忘れもしない小学5年生の時でした。歯科医師である父が、明らかに姿勢の崩れた障がい者の方に一生懸命治療を行っている姿を見て、子供ながらに感動したことが歯科医師を目指すきっかけとなりました。その後、念願の九州大学歯学部に入学し、卒後は同大学の第一口腔外科に入局しました。 口腔外科時代は、当時上司であった中村典史先生(鹿児島大学口腔顎顔面外科教授)による「患者さんを家族と思え」という教えの下、口腔がんや重度の全身管理を必要とする方の治療に携わりました。命を預かっているという厳しさはありましたが、それ以上にやりがいをもち、非常に充実した時期を過ごすことができました。また在籍中には、救命救急センターや歯科麻酔科での研修、NST(栄養サポートチーム)や褥瘡対策委員会などのコアメンバーとして多職種でのラウンドや会議に参加し、現在の臨床で重要なウエイトを占めている全身疾患や死生観の理解、多職種連携の機会を数多く経験させていただきました。 そして口腔外科での11年間の勤務後、一般開業医院に勤務させていただきました。郊外に位置している医院のため、咬合崩壊した高齢者が多数来院され、院長の大賀信之先生からは、「とにかく噛む環境を第一につくれ」「治療法は3通り考え、その患者にとってもっとも適切なものを選択せよ」とご指導いただき、低栄養を防止する「可及的早期に咀嚼能力の回復を目指すこと」や、多様性に富む高齢者医療に必要な「ソフトランディングを目指した治療法の選択」という、現在の私の治療指針の柱がここで構築されました。 このように充実した一般歯科診療でありましたが、口腔外科での経験をもっと活かすべく、別府歯科医院の訪問診療部に勤務しました。そこには、認知症や全身疾患で姿勢が崩れた方、咬合崩壊して治療が必要な方が多くおられ、全身疾患への理解や多職種連携が不可欠でした。このとき、幼少期の思いや口腔外科と一般歯科での経験がすべて1本のラインとしてつながり、高齢者医療分野は人生を賭す価値のある仕事だと強く感じ、現在に至っています。次回は、現在の私が臨床で大切にしていることや取り組みについてお話しさせていただこうと思います。
著者中尾 祐
別府歯科医院
訪問診療部 副院長
略歴
- 九州大学歯学部卒業
- 2001年 同大学歯学部付属病院 旧第一口腔外科(救命救急センター、歯科麻酔科勤務含む)
- 2013年 一般開業医勤務
- 2016年 医療法人福和会 別府歯科医院 訪問診療部 副院長
- 現在に至る
- 日本摂食嚥下リハビリテーション学会 認定士
- 日本老年歯科医学会
- 日本代謝栄養学会
- 日本口腔外科学会
- 日本化学療法学会