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「WHO(世界保健機関)のコロナ禍における口腔保健サービスのガイダンス」を巡って

「WHO(世界保健機関)のコロナ禍における口腔保健サービスのガイダンス」を巡って
「WHO(世界保健機関)のコロナ禍における口腔保健サービスのガイダンス」を巡って



2020年8月11日にWHO(世界保健機関)から、"Considerations for the provision of essential oral health services in the context of COVID-19" という暫定的ガイダンスが発表されました。コロナ禍での、必要不可欠な口腔保健サービスの提供において勧告がまとめられています。
https://www.who.int/publications/i/item/who-2019-nCoV-oral-health-2020.1

必要不可欠な口腔保健サービスに入っていないものは、定期健診、クリーニング、予防処置、審美歯科処置などで、これらはCOVID-19の感染率が十分に減少するまで延期すべきとしています。口腔保健サービスを行う際のガイダンスとして挙げられている項目の一部を抜粋します。

- PPE(個人防護具)は、長袖付きガウン、グローブ、フェイスシールドまたはゴーグル、医療用マスクを含むこと

- エアロゾルが発生する処置(スリーウェイシリンジを使う処置、超音波スケーラーを使う処置、ハンドピースを使う処置、クラウン・ブリッジのセメンテーション、機械的エンド処置、抜歯、インプラント)では、マスクはN95かFFP2を推奨、そして、four-handed dentistryで行うこと

- 患者ごとにマスク、ガウン、グローブを取り替えること

- マスクが不足している時は、フェイスシールドを代替案として考慮すること

- 手に見える汚れがついていない時は、擦式アルコール消毒薬、目に見える汚れがあれば水と石鹸で消毒すること

- 1時間に6-12回換気をすること

このガイダンスに対して、すぐにADA(米国歯科医師会)、CDA(カリフォルニア州歯科医師会)、NYSDA(ニューヨーク州歯科医師会)AAP(米国歯周病学会)、AGD(米国一般歯科医会)、IADR(国際歯科研究学会)やAADR(米国歯科研究学会)などが、"respectfully yet strongly disagree"(尊重しつつ、強く反対する)と声明を出しました 。理由は、日常的な歯科処置を延期すべきでないとする見解からです。これらの団体は、上記のような厳格なPPEや感染防護策に加えて、他にもラバーダム装着やハイスピードバキュームの使用、超音波スケーラーの代わりに手用スケーラーを用いることを勧告することで、この数ヶ月間、定期健診を含むすべての口腔保健サービスを行ってきたが、クラスターは発生していないと主張しています。

https://www.ada.org/en/publications/ada-news/2020-archive/august/ada-respectfully-yet-strongly-disagrees-with-who-guidance-recommending-delay-of-dental-care

https://www.cda.org/Home/News-and-Events/Newsroom/Article-Details/cda-and-ada-respond-to-who-recommendation-dentistry-is-essential-health-care

https://www.dentistrytoday.com/news/industrynews/item/6797-organized-dentistry-disagrees-with-who-covid-19-recommendations

https://www.nysdental.org/news-publications/news/2020/08/17/nysda-and-ada-strongly-disagree-with-the-world-health-organization%27s-statement

さらに、BDA(英国歯科医師会)も、WHOのガイダンスは英国の事情には当てはめられないと批判しています。なぜなら、英国ではエアロゾルを発生する処置に対して歯科医院もICU(集中治療室)と同じレベルの厳格なPPEを義務付け、エアロゾルを発生する診療をした後は次の患者を呼ぶまでに診療室に60分間の休閑時間を設けていて、クラスターは発生していないとのことです。

https://www.nature.com/articles/s41415-020-2088-3

FDI(国際歯科連盟)は、各国の事情がそれぞれに違っていて、WHOのガイダンスはただの「ガイダンス」で「ガイドライン」ではないとし、安全な感染防止策の下では、日常的な歯科処置は行うべきであるという見解を発表しました。FDIによる感染防止策とは以下のようなものです。

- 患者をスクリーニング、トリアージすること

- 厳格な手指衛生と消毒方法を実行すること

- すべてのスタッフにPPEが行き渡ることと、正しいPPEの使用を確実にすること

- 待合室で患者のフィジカルディスタンシングとマスクの使用を遵守してもらうこと

- 患者のコンサルテーションには、オンライン歯科診療を利用すること

- すべての歯科インスツルメント、装置、設備に厳格な滅菌処置を行うこと

- COVID-19のリスクを軽減するために歯科医院の換気を行うこと

https://www.fdiworlddental.org/news/20200814/fdi-responds-to-whos-latest-guidance-on-the-provision-of-oral-health-services-in-the

各国の歯科医院は、今、定期健診や予防処置などを延期せよというWHOのガイダンスを適用されてしまうと、"Nail in the coffin"(終焉をもたらす)であるという経済事情が背景にあります。そこで、WHOのガイダンスには従わず、それ以上の感染防止策を施すことによって、安全な口腔保健サービスを手探りで運営していて、今のところ、この経験則が成功しているというのが実情のようです。

https://www.dentistry.co.uk/2020/08/12/dental-profession-reacts-guidance-oral/

日本歯科医師会は2020年8月17日にWHOのガイダンスについて反論する声明を発表しました。こちらは米英とは別の理由、すなわち、日本では市中感染が爆発的に起こっていないという理由で、このガイダンスは日本の現状には当てはめられないとしています。

https://www.jda.or.jp/corona/pdf/who-20200817.pdf

ということで、WHOのガイダンスは「帯に短し襷に長し」(感染率の高い国ではガイダンス以上の感染防止策によって日常診療を行っている、感染率の低い国ではそもそもガイダンスを使わない)という感じで、遵守する国や地域は限られそうです。ただ、このガイダンスは、まだ全貌が解明されていない新型ウイルスについて、理論的に感染リスクの高い歯科医療現場に絶対的な安全は確立されていないということを人びとに喚起し、感染率の高い欧米で通常の歯科診療を再開後にクラスターが発生していない理由は何なのかを考えさせる契機になったのではないでしょうか。

著者西 真紀子

NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長・歯科医師
㈱モリタ アドバイザー

略歴
  • 1996年 大阪大学歯学部卒業
  •     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
  • 2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
  • 2001年 山形県酒田市日吉歯科診療所勤務
  • 2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修了 Master of Dental Public Health 取得
  • 2018年 同大学院修了 PhD 取得

西 真紀子

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