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むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:鬼仏表(きぶつひょう)

2021/5/14 デンタル〇〇デザイン

五月晴れの青を背景に橋梁を渡る二両編成列車を見ながら佇んでいた。仁淀川を横切ってくる風が心地よい。3本の飛行機雲が橋と平行に伸びるとやがて緩み、青の中に溶け込んでいった。心地よく揺れる草木の緑の中で、足もとの透明な水の中を自由に泳ぐ稚魚の群れが目に入ると、これまでの自分の人生でいちばん自由な時間を与えられたのはいつだったかと考え始めた。

それは、大学教養学部2年の1年間だったことに間違いはない。当時は2年間の教養学部で必要単位を取得し、初めて学部への進級が許されるシステムだった。そこで威力を発揮したのが鬼仏表(きぶつひょう)、これは鬼仏帳ともよばれ、大学の学生が教員に対し、単位の取りやすさという観点から情報を収集し評価を行ったもので、形は違ってもどこの大学にも存在していると思う。出席、レポート提出、試験の頻度や難易度など細かな情報を集めた表を先人たちの知恵の結晶だという人もいた。先輩から後輩へのアドバイスとして伝達され、それがまとめられ紙媒体で印刷物となり、いまやインターネットの普及でサイト上にもアップデートされるものまで出ているらしい。

待ち望んでいた大学生活はこの鬼仏表の入手から始まった。そして必須科目を確実に取得することと、選択科目では仏(ほとけ)教官を多く選び、できるだけ早く必要単位数を取得することを考えた。なんとも不精な学生だったと思う。

この表のおかげで週休4日、しかも体育だけのために大学に通う曜日がある2年目の大学生活が始まったのだった。とにかく自由な時間はたくさんあった。しかし、そもそも若さというものは時間が無限にあるように感じさせるものの、今になるとあの1年間をもう少し有意義なことに使えなかったかと悔やんでいる。そして自分の後悔の念を和らげるためには、共感できるような体験をもつ諸氏は多いものと信じたい。

学部に進級すると、教官たちとのかかわりもより密なものとなった。明文化された鬼仏表はなく、先輩たちのアドバイスなどから教官を「鬼」、「仏」あるいは「神」などと無意識のうちに、時には密かに評価し対応するようになった。以前、ある学部生が「人間はむずかしい」「生物、例えばヒョウモンダコは危険と図鑑に書いてあるのでそのつもりで対応すれば問題はない。ところが人間はある時、ある出来事がきっかけで自分に害をあたえる存在になってしまう」と話し始めた。私はその時なるほどと思いながら鬼仏表を思い出していた。

目の前では説教しかしなかった恩師が、自分のことを高く評価し陰からバックアップしていたことを知り、「鬼」ではなく「仏」だったのかと自省したこともよみがえってきた。生きている限り鬼仏表のようなものが少なからず心の中には存在していて、毎年、毎日少しずつだがバージョンアップしているよう思う。なるほど人間は難しい。

先日、主任歯科衛生士と投稿原稿のことで打ち合わせをしていると、会話の途中で「新人歯科衛生士は入局して1年が過ぎました。このまま頑張ってほしいと思います。彼女は先生が怖くはないらしいです。私たちは入局してからずっと怖かったのですけど……」という言葉を笑いながら口にした。そのようなことが話せるということは、20年以上の長い時間をかけながら、私は「鬼」ではなくようやく「人」になれたのかと心の中で苦笑した。

今新たな新卒歯科衛生士も加わり、次の世代の歯科衛生士たちが次のステップをふみ出している。彼女たちには就職面接時に、「うちの医院に長く通ってくださっている患者さんたちは、良識をもち合わせ、人柄が良い人が多い」ことを強調している。スタッフたちが力を結集し、患者さんたちとの強い信頼関係をつくり上げてきた。

とはいうものの、私もベテラン歯科衛生士たちも、心の中の鬼仏表に照らして合わせながら新しい仕事を任せることが不可欠、人間は難しい生物である。