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むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:大転換

2021/10/15 デンタル〇〇デザイン

10月5日、米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎さんのノーベル物理学賞受賞のニュースが流れると、報道番組やワイドショーがその功績を繰り返し伝えるようになった。受賞発表直後の記者会見で、日本を離れ米国国籍を取得した理由を、「日本の他人の目を気にする風潮が合わなかったこと、なぜなら私は他の人と調和的に生活することができないからです」と応える90歳の学者の言葉の意味と、口元からのぞく天然歯列に着目した歯科医療従事者は、私以外にもいたはずだ。

真鍋さんは1950年代末に米国に渡り、流体力学の方程式を用いて、大気の振る舞いを統一的にコンピューター上で再現する大気大循環モデルを世界で初めて開発した。その後、さらに別々に研究されていた「大気」と「海洋」の循環を統合した「大気海洋連結モデル」を作ることにも成功している。このことが地球温暖化予測につながる研究を切り拓くことになった。

その前々日の10月3日、国立環境研究所地球システム領域副領域長の江守正多さんの地球温暖化に関する講演会が開催され、私の勧めで診療所スタッフたちも受講したので、受賞ニュースはまさに絶妙なタイミングとなった。

この講演では、地球温暖化を食い止める「脱炭素化」は、しぶしぶ努力して達成できる目標ではなく、社会の「大転換」が起きる必要がある。「大転換」とは制度や技術の導入だけでなく、人々の世界観の変化をともなう過程だと説明がされた。言葉だけ見るとそれは難しそうにも思えるが不可能なことではないとして、すでに達成できた「分煙革命」を「大転換」の1事例として示していた。たしかに昔私たちは、特に疑問ももたずタバコの煙の中で生活をしていた。

その言葉を聞き、私たちの専門領域で人々の世界観の変化をともなうほどの過程があっただろうかと考え始めた。

30年前、私は大学で学生の臨床実習での指導役を任されていた。臨床実習では、時に学生が予想もしない処置や行動に出ようとすることがあった。他大学から入局してきた同僚たちの話でも、どの大学でも伝説のような逸話は語り継がれているらしい。

そんなある日、主任教授に臨床実習で起きた"事件"について報告したことがあった。私の話を聞き大笑いした教授は、笑みを消さないまま話し始めた。「今はとんでもないと思えることでも、やがてそれが常識になることもあるよ。笑えないのかもしれないよ」と言い、そして「僕が学生時代、鋳造リングなしで埋没し鋳造しようとした学生がいて、教官も同級生も驚いた。ところが今のアルゴンキャスターでは鋳造リングは使わない」と続けた。それは初めて30年後の歯科医療を意識した出来事だった。

開業した翌年、今から27年前に某大学の同窓会主催のセミナーに参加すると、米国留学から帰国した歯科医師が、「これからの歯内治療はマイクロスコープの時代になります」と紹介していた。より確かな治療が可能になることや必要性については納得したものの、一般に普及していくのは遠い将来のものと考えていた。

しかしそのセミナーを受講して15年ほど経つと、診療所を増築し歯科用CTや歯科用マイクロスコープを導入することになった。退官されていた恩師の教授はそのことを聞き「昔ある企業に、歯科用CTができないかと話をもちかけたが、その時は相手にもされなかった」と笑った。技術革新の波は私が想像しているより速い速度で押し寄せている。しかしそれらが、歯科保健医療において人々の世界観が変わるほどの「大転換」となるだろうか。

そんなことを考えていると、9月にイギリス政府が出したという「水道水フロリデーションを推奨する声明文」を検索するためにインターネットを立ち上げることになった。ポータルサイトには「むし歯も治療できない……歯磨きも入浴もせず同じ服を着て過ごす子どもたちの現実とは」という見出しのCMが表示されていて、7人に1人の子どもが貧困にあり、これは先進国の中では最悪であるという。一方、見つけ出したイギリス政府の声明文には、「むし歯は人生のあらゆる段階で人々に影響を与え、貧困との強い関連性がある。フロリデーションは、歯の健康の格差を改善するための効果的な公衆衛生方策であるという強い科学的根拠がある」と結ばれていた。それを読みながら「水を飲むだけでむし歯が半減する」フロリデーションは、日本では確実に「大転換」となる方策であると再認識した。

「大転換」が起きれば、その存在自体が当然のものとなる。30年前には、電話機やパソコンをポケットに入れて歩くことなど想像することもなかった。海岸沿いの公衆電話ボックスを見かけるたびにそのことを実感する。硬貨の落ちる音も懐かしくはあるが……。