TOP>コラム>医科歯科ボーダレスな診療を目指して エピソード2:第5回 診断することより大切なこと

コラム

医科歯科ボーダレスな診療を目指して エピソード2:第5回 診断することより大切なこと

医科歯科ボーダレスな診療を目指して エピソード2:第5回 診断することより大切なこと
医科歯科ボーダレスな診療を目指して エピソード2:第5回 診断することより大切なこと
誤解を恐れず言いきってしまうならば、診断することは、それほど大切なことではないと思っています。

私の歯科医療の原体験を「医科歯科ボーダレスな診療を目指して(第1回)」にご紹介しましたが、今回は自身の医療における原体験をご紹介いたします。

幼稚園卒園式の直前に、私は麻疹(はしか)にかかり、続いて肺炎を患いました。入院はしなかったものの、小学校に入学してすぐの胸部X線検査で右肺野に10円玉より少し大きな球形の陰影が見つかりました。

近くの小児科医院から紹介されて、京都大学医学部附属病院を受診しました。1971(昭和46)年当時、京都大学附属病院にはX線CT装置はなく、正面像や側面像といった単純X線撮影のほか、X線断層撮影で何度も撮影された記憶があります。6歳の子どもの体に対して、X線フィルムは大きく、胸部の撮影でも骨盤まで写るくらいでした。現在であれば必要のない部分への曝射を防止するため防御するのは当然ですが、当時はそんな配慮はありませんでした。母が主治医と放射線技師に掛け合ってくれて鉛入りのエプロンをさせてくれたのを記憶しています。

いろいろな検査を続けても確定診断には至らず、結核の可能性が否定できないということになり、京都大学医学部附属病院の西側にあった結核研究所に入院することになりました。そこは基本的に結核患者さんのための病院で、小児で結核の確定診断がついた患者さん用の病棟はあったのですが、未確定の私がそこに入院するわけにもいかず、結核以外の大人の患者さんと一緒の部屋に入院しました。大人用の6人部屋に6歳の男の子が入院している光景は、今考えるとかなり違和感がありますが、当時の私は気づいていませんでした。

入院中の検査で一番辛かったのは結核菌培養検査のための胃液採取で、少なくとも2回経験した記憶があります。ちょうど経鼻胃管の要領です。長いチューブを鼻腔から挿入し、胃内部に進めて胃液を回収します。

肺炎後の炎症性変化としては典型的でないこと、数か月経過をみても縮小していないこと、肺結核が否定できないことなどから無治療で経過観察の選択肢はなかったようです。それで、確証のないままに肺結核の治療を受けることになりました。抗結核薬は何種類か試したようでしたが、筋肉注射は痛くて嫌でした。

体は元気でしたから入院生活は退屈でした。読書や勉強の合間に、時間があれば絵を書いたり、工作をしたりして過ごしました。食事が進まない時には、病棟の看護師さん(当時は看護婦さん)が病院食のごはんでおむすびをよく作ってくれたのを覚えています。

ある時、空き箱でお墓を作り、お経をあげたいといって般若心経を買ってきてもらい、いつの間にか諳んじました。病室でお墓とお経は縁起でもないと、母親が仏画集を買ってきてくれ、普賢菩薩像、阿弥陀如来像などをスケッチブックに模写したことを覚えています。

ちょっと変な子どもだったようです。よく覚えていないのですが、何か怖いものを感じていたのかも知れません。同室者には肺がん、サルコイドーシスなど肺結核以外の呼吸器疾患の患者さんがいらっしゃったのですが、何人かが重症となり亡くなりました。数日前までお話ししていたおじさんが、夜中にベッドごと観察室に運ばれていきました。数日するとご家族が荷物をまとめて片付けておられるのを見かけました。直接は聞いていませんが、お亡くなりになったのだと子どもでもわかりました。

肺結核の確証もないままに結核の治療を開始して数か月が経ちましたが、肺の陰影は変化なく、結核の可能性が低いといったん治療を中止して退院することになりました。

今思うと、手術すれば組織診断が確定できるので、そういう選択肢もあったのかも知れません。

主治医はいったん退院の方針でしたが、同じ科の先生の中には診断がつかないまま退院させることに反対されていた先生もいらっしゃったと両親から後日聞きました。主治医の先生には私と同年代のお子さんがいらっしゃって、他人事とは思えなかったのかもしれません。

主治医の先生は、私の退院と同じ頃、京都市内の診療所に赴任されました。私はそこに通院して経過をみていただくことになりました。幸いなことに、肺の陰影は数年かけて縮小し、4年生になった頃にはほぼ消えてしまいました。

この時の経験が、私の医師としてのあり方に大きく影響していると思っています。

病気は人が創ったものではなく存在する。病名は人が名付けたものにすぎない。診断名を確定すること自体に必ずしも大きな意味や価値はない。

大切なことは、その患者さんの予後の人生です。放置すると進行して手遅れになるもの、後遺障害を残すものについては、診断し治療しなければなりません。

時には現時点で診断がつかないと謙虚に認めることも必要でしょう。医学は科学ですから、その時点の医学で解明されないものもあると認めることが、真に科学的姿勢と思います。

歯科医学においてはいかがでしょうか? 医科歯科問わず医学全般にいえることではないでしょうか?

ご参考までに、X線CT装置は1972(昭和47)年に世界で初めて英国のEMI社から発売され、またたく間に全世界に普及しました。このCT装置を発明したハンスフィールド博士とコーマック博士は、後にノーベル医学賞を受賞しています。当初は撮影に数分かかり、頭部専用だったそうです。

胸部X線で肺内にCoin lesion を認めた場合の鑑別診断をご紹介します。Coin lesionの定義ですが、胸部X線写真上、直径6cm以下の孤立性の結節のことをいいます。

肺内にCoin lesion を形成する病因は非常に種類が多いのですが、もっとも頻度が高いものは、肺結核に起因する結核腫、原発性あるいは転移性の肺癌、動静脈奇形、肺内の過誤腫などです。

著者細田正則

ほそだ内科クリニック 院長・医師・医学博士

略歴
  • 1964年 米国ミシガン州生まれ
  • 1990年 京都府立医科大学卒業
  •     医師免許取得
  •     京都府立医科大学第三内科(現在の消化器内科)入局
  • 1998年 京都府立医科大学大学院修了 医学博士号取得
  • 2011年 ほそだ内科クリニック 開院
所属学会・専門医など
  • 日本内科学会認定内科医
  • 日本消化器病学会認定消化器病専門医・指導医
  • 日本消化器内視鏡学会認定消化器内視鏡専門医
  • 日本医師会認定産業医
細田正則

tags

関連記事