Dental Life Design

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地域に求められる歯科医院の未来
第3回:地域に求められる
歯科医院を目指す私のルーツ

2021/12/3 デンタル〇〇デザイン

実は4代目の歯科医師

私は長崎県出身で、実家が歯科医院です。祖父が実家の馬場歯科医院を開業しました。表紙の写真は、祖父が開業した後の1950年の馬場歯科医院です。祖父が開業し、父が継承し、母が継承し、今に至ります。祖父は長崎の銅座町という、長崎ではその当時の中心街の浜の町の隣町で開業しました。 その頃の歯科医院は患者さんであふれ、虫歯の洪水と言われるもっと前の時代なので、つねに治療をするというスタイルだったと聞いています。祖父が開業した馬場歯科医院を父が継承しました。私は子どもの頃、学校帰りに馬場歯科医院に寄って、家に帰っていました。 父が継いだ後の1990年頃の馬場歯科医院。 小学生の頃の筆者。馬場歯科医院の院長室にて。 父はとても社交的で、長崎の街の中にあった歯科医院の父の院長室には、いつもお客さんがいました。父の院長室でコーヒーを飲みながら、ずっと居座っている大人が何人もいました。この人たちは何をしているのだろう?子どもながらにそう思っていました。 今思うと、治療に来ているわけではない人が歯科医院にたくさん来ることはとても珍しいことで、実家の歯科医院の敷居はとても低かったのだと思います。患者さんも父もいつも冗談を言いあって、歯科医院は活気に溢れていました。私も子どもの頃は、歯科医院のスタッフに可愛がられたことを覚えています。 父の治療のことはよくわかりません。しかし、父は患者さんにも地元の人にも愛されていた人でした。私はそんな父の姿を見て育ちました。

アクセルソン先生、実家に来る

筆者の実家でのアクセルソン先生との写真。 私が幼稚園生の時、アクセルソン先生が家に来ました。そう、あの「30年の予防メインテナンス論文」で著名なアクセルソン先生です。今考えると、すごいことです。おそらく、幼稚園生だった私をアクセルソン先生は抱っこくらいしているはずだと勝手に思っています。私と2人で写っている写真の1枚でもなかったのかなと……(笑)。母に聞いても事実はわかりません。幼稚園生の私の中では、外国人が家に来てお酒を飲んでいたくらいの記憶です。 福岡歯科大学の学生の時に、母に写真を見せられて、「これアクセルソン先生よ」と言われました。ふ~んと言いながらアクセルソン先生を調べ、「教科書にも載っている人なんだ~」と思ったのを記憶しています。その後、日本ヘルスケア歯科学会の合宿などに参加させてもらう機会があり、その時もアクセルソン先生について調べました。ちょうど開業前だったこともあり、その時はとてもびっくりしました。私が実践したい歯科医療をスウェーデンで1970年頃からされていた人が、実家に来てお酒飲んで帰ったなんて。私の人生の中でおそらく一番自慢できるエピソードです。地域医療に予防が大事だと思ったのも、このエピソードがきっかけでした。できれば歯科医師になってもう一度お会いしたかったです。

多くの人に愛されていた父の死

2001年、私が大学2年生の時、父は亡くなりました。51歳でした。父の葬式の時に、私たち家族の知らない多くの人が来て、いろいろなエピソードを話してくれました。そこには、私たち家族の知らない父の姿がありました。父は本当に多くの人に愛されていたのだと思いました。そして、馬場歯科医院も地域に愛されていました。 父の死後、母が馬場歯科医院を継承しました。母が私たち3人の兄弟を働きながら育ててくれました。母には感謝しかありません。しかし、そんな私は実家を継がずに大野城市で開業することを選びました。実家を継がない選択をした時、母は「あなたがしたいようにしたらいいと思うよ」と背中を押してくれました。 大野城市で開業した時、地域に愛される歯科医院になりたいと強く思うと同時に、実家を継がずに自分でやるなら失敗は許されない、そんな想いで今までやってきました。(つづく)