TOP>コラム>むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:声

コラム

むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:声

むし歯の少ない町の歯科医師の日常<br>シーズン2:声
むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:声
1月上旬、私も含めて多くの歯科医師が先達として尊敬する先生から、講演という貴重な機会をいただいた。講師の役目を終えた帰りの電車では必ず、話の組み立てを反省し、滑舌の悪さと声の通りにくさに、ため息をつきながら車窓を流れる景色を眺める。大学での講義も含めて30年間で、どれほど満足な話ができただろうかと振り返ってみた。その確率はきわめて低い。講師役を務めている方々に、一度その割合を尋ねてみたいものである。

名古屋駅で新幹線に乗ると、印象に残っている過去の講演が思い出され、その中に月日が流れても、当時の不安な気持ちと申し訳なさが鮮明によみがえるものがあった。18年前のことである。東海地方に開業されている先生から講演の依頼をいただいた。その頃の私には、睡眠不足も気にしない若さと体力があった。話す内容をあれこれ熟思する過程にも大きな喜びを感じながら、毎日診療が終わると時間など気にせず思索に浸り、講演準備を進めていた。ところが、スライド作成も完成間近となった講演会開催の1週間前、目覚めると突然声がまったく出なくなっていた。出ないというより声は出るのだが、かすれて音にならない。当然大きな不安に襲われた。

その日診療室では、スタッフたちのサポートを受け、ささやくような声に身振り手振りを加えれば、何とか診療は続けられたので少し安堵し、2、3日もすれば元どおりになるだろうと気楽に考えていた。ただ風邪を引いたわけでもなく、原因が思い当たらないことが気掛かりではあった。

ところが2日、3日経過し講演日が近づいているというのに、症状はまったく改善しない。窮地を聞きつけた身内の医師が、薬剤を処方してくれたが効果は見られなかった。結局かすれたささやき声しか出ない状態で、本番当日を迎えることになったのである。

演台に立ちマイクを口に押しつけ話し始めると、参加者はすぐに状況を理解したようだった。静かな会場では、スピーカーから私のささやくような弱々しい声が流れ、それを聴き逃すまいとする真剣な眼差しが並んでいた。それだけに講演が終わると申し訳ない思いはさらに大きくなり、帰路ではその気持ちが何倍にも膨れ上がっていた。

声はすぐには戻らなかったが、緩解し始めた頃、喉仏あたりに触れてみるとしこりがあるのがわかった。開業医を受診すると、すぐに総合病院に紹介され、精密検査を受けることになった。結果は甲状腺の良性腫瘍との診断で、担当医師からは「手術を行うと声帯に指令を伝える反回神経の切除・損傷が避けられないので、経過観察する方がいいと思います」と説明を受けた。さらに医師は「今の状態から判断すると、これからもずっと高い声は出ないと思います」と付け加えた。言葉の内容とは対照的に、その医師の声は良く通り、頭のてっぺんから出ていることで、その言葉がさらに強く印象に残った。

新幹線が岡山駅に到着した頃、地元の文化会館ホールで長編ドキュメンタリー「プラスチック汚染問題にニューヨークの小学生が立ち上がる!マイクロプラスチックストーリー ぼくらが作る2050年」の上映会があるとメールが届いた。これはニューヨークブルックリンの第15小学校の5年生たちがプラスチック汚染問題の根本を彼らの視点で問い、解決に向かって地域からアクションを広げていくまでの2年間を追ったものである。私は地元の駅で下車すると、そのイベント会場に直行した。

すでに上映は始まっていて、入口のドアをそっと開けると、舞台のスクリーンにはニューヨークの小学5年生たちが映し出されていた。表情や声から子どもたちのまっすぐな熱意が伝わってきて、声が心に響いた。そして今こそ、子どもたちや若者たちが自分たちの将来のために発する声に社会や政治家が耳を傾けてほしいと思った。

翌朝、父母ヶ浜に立つと、冬の風の音が歌声のように聞こえた。周りを気にしながら、少し大きな声を出すと、私の声とは対照的なバリトン歌手の重厚な歌声がよみがえってきた。この浜で夕日を背にオペラ歌手が声を響かせる。時にはそんな姿を想像しながら、地球の未来のために足もとのプラスチックゴミを拾い上げるのも楽しい。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

tags

関連記事