TOP>コラム>むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:道具

コラム

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:道具

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:道具
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:道具
春の光の中で楓や欅の新芽がわずかに顔を出し始めていた。午前の診療が終わり、自宅へ続く緩やかな砂利道を登り始めると、生垣の根元に不自然に置かれた白い容器が目に止まった。誰かが野鳥のためにエサ入れを設置したのかと近づいてみると、シートの一部が残ったままの豆腐のパッケージである。周りを見渡すと、石垣の上にも同種の容器があり、それらの配置にはあまりにも違和感があった。

その直後に家人の「カラスは賢いよ」という言葉を聞くだけで、ことの一部始終を理解した。以前、カラスが宅配サービス業者の置いていった発泡スチロールの箱に上手に穴を開け、美味しい食品を選び出し食べていたという話を聞いていた。

きっと日本中のカラスがそうなのだろう。この近辺に住むカラスたちも、人間たちの日常生活を観察しながら、よりうまく生きるためにいろいろと学んでいることがわかる。庭師がおやつを縁側に置いておくと、目を離したわずかな時間にそれを奪い去っていく。当然それに対抗するために人も手を打つのだが、庭師が手入れをしているという特別な状況を理解できるらしく、その日は特に鳴き声や活動が活発化する。先月、診療所から海岸方向に少し下った道路沿いにある地産野菜の無人販売所も餌食となった。野菜が袋詰めされて棚に並べられていたが、翌日にはすべて地面に落とされ、袋からは野菜が顔を出していた。それ以来棚には野菜は並べられていない。彼らは日々学び確実にその能力を増している。

カラスの知的能力は、その一部を切り出せば6~8歳程度に匹敵するといわれているので、これくらいの行動は至極当然なのだろう。クルミを道路に置いて車に轢かせて割るという話は有名だし、以前公園の水飲み場の水栓をひねって水を出し、なおかつ水を飲む時と、水浴びをする時で水量を変えるというカラスが話題になった。社会的知能が高く、群れの中では順位があり、強いカラスには忖度をする。

野生状態で道具を作り、それを使ってエサを取るカレドニアカラスは、「道具を作る」カラスとして認知されている。枝を曲げたり、葉を切り取ったりして作った棒状の道具で、朽木の穴の中にいるカミキリムシの幼虫を上手く釣りあげる。しかも出来の良い道具は保管し、繰り返し使うという。道具を使うのが人間だけの特徴だと考えがちだが、現在では道具を使って道具を作ることが人間の特徴だということになっているらしい。

たくさんの道具を使い、工夫を重ね完成された道具は、私たちの生活に多大な恩恵をもたらし、それは日ごとに加速している。歯科領域においても同様だ。例えば40年前の学生時代、初めての歯内治療の臨床実習では、十分に見えない大臼歯の根管口に四苦八苦し、手探りで行うような治療に強い不安を感じたことを覚えている。ところがマイクロスコープや歯科用CT、NiTiファイルという道具の登場により、その不安は大きく改善された。また大学勤務時代を思い出すと、多くの歯科用金属アレルギー患者を担当していた私は、補綴修復材料の選択に頭を悩ませていた。しかし現在では、歯科用CAD/CAMシステムという一つの道具がその問題解決となっている。

私たち人間が既存の道具で新たな道具を次々に作り出すことが、より便利で快適な日常生活を生み出す手段の一つであることは間違いがない。しかしこの"マルチ道具"という人間の特徴が、負の方向に働き不幸をもたらしているのが現在のウクライナの惨状だろう。改良が重ねられた兵器が、一瞬にして多くの市民の命や平穏だった日常生活を奪い去っている。生きるために道具を使ってエサを取るカラスと、戦争において高度な道具を使う人間、その姿があまり対照的に思える。

その翌週、医院の屋根に取り付けてある太陽発電のパワーコンディショナーの修理のために納屋を片付けていると、目の前の木でウグイスが鳴き出した。聴き慣れた澄んだ声が春の青空に響き、平和な日常が続くことを祈るようにさえずる姿をしばらく眺めていた。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

tags

関連記事