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むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:恩師

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:恩師
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:恩師
真夏の強烈な日差しは、火炎放射器を連想させる。アスファルトやコンクリートはその熱を貯め込み、夕闇に包まれても、肌にまとわりつく空気が熱く疎ましい。

7月末、光と熱に耐えている緑への水やりを終え、室内の冷風で一息ついた頃、聴き慣れたスマホの着信音が響いた。ポケットから取り出しディスプレイに目をやると、私が父と慕う恩師の名前が浮かび上がっていた。「応答」をタップし、「もしもし」という女性の声が聞こえた瞬間に、告げられる話の内容は予想ができた。

その日、なんとはなく予感があった。診療の合間に、朝方にベッドから落下した痛みで目覚めたことをスタッフに話しながら、夜明け前に届いた新聞記事に親友の名前を見つけた朝の静かで重い空気を思い出していた。あの40年前の朝以来、異様な目覚め方は「虫の知らせ」という言葉と結びつくようになった。

声の主はお嬢様で、落ち着いた声で恩師の訃報を告げた。1か月ほど前、奥様から近況を綴ったていねいな葉書をいただき、その内容を思い出すたびに覚悟はしておこうと自分に言い聞かせていた。その一方で、奇跡のような回復を信じ願う自分がいた。スマホに耳を当ててはいるものの、うまく返答ができない状態が続く。「生前、何かあれば浪越先生にだけは知らせるようにと本人が言っていました」という言葉を聞き、浮かんでくる涙を傍にいた息子には見られないようにとそっと拭い去った。

「あの先生がいたから、今の私がいる」。生涯でそんな恩師との出会えた人は、幸せな人生だと思う。還暦を過ぎた今、歯科医師としての道のりを振り返るたびに、この恩師のもとで過ごした7年間が、自分の人生においてもっとも重要な時間であったことを再認識することが多い。

母校の長崎大学歯学部は新設の学部で、大学院2期生として入局した補綴学講座は恩師である教授の下で創成期にあった。勤勉学生ではなく、「研究」という言葉に漠然とした憧れを抱き門を叩いた私を、教授が最初どう思われていたのかはわからない。

恩師は世界で初めて咀嚼筋におけるH wave の導出記録に成功した、視野の広い補綴生理学の研究者として知られていたので、生理学に関連する研究テーマを提示されると予測していた。ところが入局してしばらくすると「歯科金属アレルギー」をテーマに取り組んでみないかという提案をいただいた。一人の歯科金属アレルギー患者との出会いと、私が薬学部経由で歯学部に入学したことが決定要因だったことを後になって聞かされた。それと同時に、その年の日本歯科補綴学会秋季学術大会(当時春季、秋季と年2度全国大会が開催されていた)でこの患者について症例報告をするように指示された。

何もわからない私は戸惑うばかりで、教授と歯科理工学教授の強力なサポートもいただきながら作成したポスター発表は、今思い返すと甚だ決まりが悪い出来だった。これを幕開けに本格的に金属アレルギーに向き合う、昼間は診療、夜は実験という大学院生活が始まった。

大学院生の4年間は、思っていたよりも短く感じられた。その間、論文の執筆、他大学との共同研究なども経験しながら、7回の学術大会での発表機会をいただいた。教授は「やりたいようにやってみなさい」と言いながら、その一方で、私を目の前に、学会発表抄録、発表内容、原稿の細部にまで添削を繰り返してくださった。テーシス形式で提出した私の学位論文を仕上げた時は、正月返上で指導をいただいた。そして私は書くことのすべてを、教授と共有した時間と空間で学んだと思っている。

その日の朝、西空に虹が出ていた。家族葬に参列させていただいた私は、瀬戸大橋を渡る列車の窓から、遥か遠く長崎のある西方向をみながら、教授との日々を思い出していた。私には宝物になる時間だったのだ。翌々日の夜、奥様が電話をくださった。「主人が小康状態にあった時、本や資料をすべて片付けました。ところが今日本棚を見ると、浪越先生の論文だけが残されていました。先生のことは特別だったのだと思います。近々郵送しますね」の言葉に「ありがとうございます」と応えた私は、もう涙が止まらなくなった。

大学助手として勤務した後、大学に残ることを強く勧める教授の言葉に反して開院した私だが、いつも口にされていた「与えられた環境で最大限の努力をすること」という言葉を忘れたことはない。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

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