わが国では、1980年代に癌が死亡原因の1位になり、現在では、人口10万人当たりの癌年間死亡者数も300人を超えている。一般的には2人に1人は癌に罹患し、4人に1人は癌で亡くなる時代といわれ、その中にあって口腔がんは人口10万人当たり6~7人の罹患率であり、どちらかというと希少癌である。わが国の「がん研究10か年戦略」では、希少癌として“口腔がん”が明記されており、重点研究領域とされている。将来的には、口腔がん診療の均てん化が行われた前提で、ある特定の診療施設に集めて診療経験を蓄積させる集約化への方向性も検討されるかもしれない。 食生活の欧米化や生活様式の変化による影響からか、最近の全国的な疫学研究では、口腔がんは増加傾向にあるとのデータも示されている。そのような状況の中で、症例数などの診療実績のみならず、人材育成・臨床研究さらに病診連携の実施状況までが評価されることが想定され、その状況下で確固たるプレゼンスを示し、多くの症例に携わるためには診療ガイドラインなどに基づいた標準治療を行うことが求められている。 ここで、あらためて標準治療とは何かを考えてみたい。米国国立がん研究所が配信する「がん情報」において、Standard therapyとして、「標準治療とは、特定の疾患に対する適切な治療法として専門医の間で認められている治療で、医療専門家により広く使用されているもの」と定義されている。「best practice(ベストプラクティス)」、「standard medical care(標準医療)」、「standard of care(標準治療)」ともよばれる。一見、「標準治療」というと、平均的な治療とか、もっと良い治療法がある前提での治療なのではないかと誤解されていることもあるが、「もっとも適切で手本となる治療」ということになろうかと思う。 現在、国内外にはいくつかの口腔がん診療ガイドラインがある。国内では、われわれ口腔外科医が中心となっている日本口腔腫瘍学会と日本口腔外科学会が作成した『科学的根拠に基づく口腔癌診療ガイドライン』で、もう一つは、耳鼻科・頭頸部外科が中心の頭頸部癌学会が作成した『頭頸部癌診療ガイドライン』がある。 そして国際的には、全米を代表とする有数のがんセンターで結成されたガイドライン策定組織であるNational Comprehensive Cancer Network(NCCN)が作成し、年に 1 回以上改訂を行い、世界的に広く利用されているがん診療ガイドラインであるNCCNガイドラインがある。これは世界中で広く取り入れられているガイドラインで、おそらく他領域以外の臓器のがん治療においても、もっとも信頼の高いガイドラインとして認識されている。 それらのガイドラインによると、口腔がんは切除可能であれば切除を行い、術後病理診断で原発巣切除断端陽性(癌細胞が残存)や転移リンパ節の節外浸潤(リンパ節の被膜を破って浸潤)などの再発高リスク因子が認められた場合は、術後に放射線と高用量のシスプラチンを併用した化学放射線療法を行うことが標準治療とされている。また病理組織学的に神経周囲浸潤などの中等度再発リスク因子があった場合は、術後放射線単独の療法を行うとされている(図1)。 図1 口腔がんの標準治療。 しかしながら、歴史的に手術前に化学療法や放射線療法を行うことが比較的多くの施設で行われていた。私が口腔外科入局時には、まず口腔がんの患者さんが受診した際には、とりあえず内服や点滴の抗がん薬を処方して、放射線療法30Gyを行い、それから手術をすることが多い時代であった。当然診療ガイドラインを目にすることなく、それがまさしく“標準治療”と思い込んでいたわけである。このような術前治療の功罪は何なのか? なぜ標準治療とならなかったのか。次回、詳細に考えてみたい。
著者柳本 惣市
広島大学大学院医系科学研究科口腔腫瘍制御学・教授
略歴
- 1996年3月、長崎大学歯学部卒業
- 1996年6月、長崎大学歯学部附属病院第一口腔外科・研修医
- 1998年4月、長崎大学歯学部附属病院第一口腔外科・医員
- 1999年4月、長崎大学歯学部第一口腔外科・助手
- 2006年4月、長崎大学病院・講師
- 2022年1月、広島大学大学院医系科学研究科口腔腫瘍制御学・教授
- 現在に至る
【資格】
日本口腔外科学会認定「口腔外科専門医・指導医」
日本がん治療認定医機構「がん治療認定医(歯科口腔外科)」
日本口腔腫瘍学会認定「口腔がん専門医・指導医」
日本口腔インプラント学会認定「口腔インプラント専門医」
日本睡眠歯科学会認定「認定医・指導医」