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むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:記憶

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:記憶
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:記憶
昨年末、母親が翌年2月の86歳の誕生日を機に運転免許証を返納するつもりだと言い出した。なんといっても55年間以上、無事故無違反である。徹底した安全運転は十分認識している。

十数年ほど前だったか、隣町へ続く峠道の前方に、制限速度を超えないようにノソノソと走る車がいた。急いではいたが煽るような行為はせずに、あきらめてその車に付き合うことにした。後方につき数百メートル走った頃、その車が左側ウィンカーを出しながら路肩に停車し、ドライバーが右手で追い越せというサインを出してきた。「いい判断だよ」と思いながら、すれ違いざまに運転席を見ると、母親の顔が目に入りその表情をバックミラーで確認しながら、「事故についてはわからないが、少なくとも違反はしないよな」と声を上げて笑ってしまった。

田舎暮らしには車、特に自家用車は必需品である。市内にはコミュニティバスが運行しているものの、運行経路のバス停から離れていると買い物や通院だけでも一日仕事となることも珍しくない。開院から30年経つと遠方から定期的に通院してきた患者さんから、免許証の返納や自家用車を手放すので通院できなくなると報告を受けることがあるようになった。これは田舎では普通に遭遇する課題の1つである。  

「事故などを起こして迷惑をかける前に……」という母親の判断は妥当なのだろう。荷物運搬時には彼女の愛車の軽トラック(以下、軽トラ)を頼りにしていた私は、自分用の軽トラを購入することになった。そして今、緑の壁に囲まれる山道や、曲がりくねった緑のトンネルがある半島の細道での、小回りのきく軽トラの快適さに驚いている。

GW前、愛用のワイヤレスイヤホンが充電ケースごと行方不明になった。スマホのアプリを使い探してみると、少し離れた実家の車庫近辺が表示された。軽トラの助手席に置いたような記憶があったので、運転席や助手席の足元まで、くまなく探したが見つからない。その後首を捻りながら、車庫近辺の道に接するみかん畑までを覗き込み、周辺をうろつき回ることになった。

一面に咲くみかんの花は可憐で美しく、甘い匂いには懐かしさが感じられた。スマホを取り出して花の写真を撮り、友人や知人に送信してみたが、みかんの花だと言い当てた人は1割以下だった。同時に画像では伝えられないみかんの花の匂いが、浪人時代の春の記憶を鮮明によみがえらせた。わずか数日前のイヤホンに関する記憶は不確かなままだというのに。

40年以上前、第一志望の大学受験に失敗すると、共通一次試験の導入が待ち受けていて、理系の受験生にも社会科の2科目が課されることになった。人名の洪水のような授業だったが、少しだけ興味がもてた世界史をその1つとして選択し、古代西洋史から少しずつ勉強を始めていった。何がどう私のツボにハマってしまったのかわからないが、資料集を読みふける時間が日毎に長くなり、高校の補習科に通うバス停までの道のりでは、みかんの花の匂いに包まれながら、世界史の内容ばかりを思い浮かべていた。その時間を他の教科の勉強に割り当てれば、もっと効率的に成績上昇に結び付けられたことは確実だったが、人はどうしても興味があるものを優先してしまう。共通一次試験の世界史の成績は、全国1位にはならなかったがそれに近い点数だった。そして少しの満足感と他の教科での失敗を嘆きながら2次試験に臨んだ。

ところが大学に入学して1年もすると、あれほど記憶していた人名や年号、地名や王朝名なども泡が消えるように、記憶からなくなっていくことに気づいた。いつか記憶の底から引っ張り出せる機会があるだろうと思いながら、気づくと40年が経過していたのだ。そのことに気づき、とりあえずその日のイヤホン捜索はあきらめ、何故あの頃あんなに世界史に興味をもったのだろうと考えながら帰宅した。

GWが始まるとその答えを求めて、世界史の本を傍に置き、YouTubeにアップされている世界史の講義のシャワーを浴びながら毎日を過ごすことになった。記憶の隅に微かに残る人名、国名、戦い、歴史の流れが顔を出すとテンションが高まっていく。おまけに映画「ALEXANDER」や「300」までに手を出したものだから、気分はまるで西洋古代人だ。惹かれる理由を言葉で表すことは難しいが、好きだったものの記憶が完全に消失することはないというのはたしかなようだ。何かに没頭できた時間や感覚は記憶され、人生のどこかで芽を出し幸せな時間をもたらすことを知ったGWとなった。

あれほど探し続けていた充電ケースに入ったワイヤレスイヤホンが、数日後に軽トラの助手席の足元で、保護色をまとった生き物のように佇んでいるところを発見されることとなった。井上陽水さんの歌の中にある「探すことをやめた時、見つかることもよくある」いう歌詞どおりである。

そして「私の記憶どおりだった」と家人に報告する私の言葉には、照れと不甲斐なさが混じっていた。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

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