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むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:思わぬ贈り物

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:思わぬ贈り物
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:思わぬ贈り物
梅雨空の晴れ間から魚が落ちてきた。土曜日の昼前、診療室の奥からカルテを手に歩く私に、スタッフが「先生、玄関前に大きな魚が落ちています」と、両手でその大きさを示しながら報告に来た。診療室から待合室へと急ぐと、自分の順番を待ち焦がれている患者さんの視線が少し痛い。玄関に出ると、今しがた模型をケースに入れて帰りかけていた歯科技工士が指差す先には、大きなチヌ(クロダイ)が横たわっていた。少し腰を屈め観察すると、玄関から1メートルほど先の南側のアスファルトの上に、新鮮な血痕と鱗が認められた。

小さいが鮮やかな血の赤色は、事件現場にいる監察官の姿を連想させる。魚を捕獲したミサゴなどの猛禽類が、飛来中に何らかの原因でこの魚を落下させて、バウンドしながら最初の位置に血痕や鱗を残し、玄関の正面で止まったのだろうと検証した。

「日本昔ばなし」なら、毎朝ゴミ拾いに通っている父母ヶ浜からの贈り物ということになるのだろうと、急いで診療所裏の川の土手まで魚を運びながらそっと笑みを浮かべた。とはいうものの、鳥によって玄関に新鮮なチヌが届けられる確率は、宝くじに当選する確率よりも低いのではないか、これはSNSに投稿する事象だろうと思いながら診療室に戻った。

梅雨から夏へと季節が移っていくと、日課の1つとなっている椿たちへの水やりに要する時間が、年々大幅に増えていくのを実感してきた。みずから望み招いた鉢植え数の増加、そして椿たちの成長がそれに拍車をかけていた。25年が経過し、大きくなった椿たちは鉢の中にとどまることに悲鳴を上げているようにも見え、何よりも私自身が猛暑下の水やりに限界を感じていた。

そんなこともあり、今年春に隣接地を入手した頃から、鉢植えすべてを地植にすることを考えていた。駐車場の工事を担当した会社社長からセンスの良い庭師を紹介していただき、現地で打ち合わせをすると「椿の森」を造設という話になった。数日後、提案された図面が一目で気に入った私は、「暑くなる前に完成させる」「自動スプリンクラーを設置する」という条件を提示した。

6月になると待ち侘びた森の造成が始まった。庭師の描いた当初の図面には椿約100本と書かれてあったが、移植が終わり空になった鉢数を数えてみると実際は220本だということが判明した。しかも220種である。庭師はフェンスの奥に隠れていた鉢を見落としていたこと、何よりも育ててきた私自身が、その数を完全には把握できていなかったことは滑稽というしかない。好きな物に囲まれれば満足、オタクとはそんなものかもしれない。

数日間、椿たちが運ばれていくのを診療室の窓から見ながら、成長した子どもを送り出す親の気分を味わっていた。また、25年続けてきた朝晩の長時間の水やりから解放されるという安堵感とともに、地面にしっかり根を張り伸び伸びと育つ椿の枝、光に輝く緑の葉、美しい花々を想像すると心が弾んだ。

そしてかつて大きな欅とギンモクセイの下に並んでいた鉢植えたちは、思わぬ贈り物を私に残していった。それは木陰に揺れる自然交配した椿の群生である。鉢の跡の周りには落ち葉が柔らかな腐葉土を作り、その上を実生の椿たちが覆っていた。芽を出したばかりの1年生から、今年花を咲かせそうな物まで、葉の形や大きさ、色も微妙に異なる。さっそく散水チューブを設置し水道蛇口をひねると、噴き出された霧のような水を浴びる緑の絨毯の上を風が駆け抜けていった。

25年間をかけ私に残してくれた鉢植えの後輩の椿たちが、今日も木陰で風に揺れている。220種の椿たちから、どんな花を咲かせる椿が登場するのだろうか。その姿を眺めていると、新人スタッフたちのことを思い出した。もう少し時間が経てば、彼女たちも個性ある花を咲かせてくれると信じている。ちなみにもう1つの「贈り物」である新鮮なチヌは、私の胃袋は通過せず自然の元へ帰還した。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

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