5月中旬の昼前、学会参加のため瀬戸大橋を渡り、岡山駅から電車を乗り継ぎ長崎へと向かった。瀬戸大橋上の車窓から長崎方向の西空に立ち込める雨雲が目に入ると、キャリーバッグに入れていた傘の存在を意識するようになった。そしてそれは、長崎に降る雨に濡れる紫陽花の姿と、和柄傘の上を流れ落ちる雨粒音への連想へと繋がっていく。 長崎から故郷に戻り、もう31年が経過したことになる。その前の大学生時代を含めた13年間は長崎に暮らし、そして開院して数年後からの12年間は、大学の講義を担当し頻繁に足を運んでいた。街のどこに行けば自分の求めるものがあるかは、おおよその検討はついていた。 ところが駅前に降り立ってみると、コロナ禍の期間を含めた十数年間でのこの街の変貌ぶりには驚くばかりだ。そして私と同じ時期に長崎を離れた大学の同窓生たちからは、かつての長崎駅前の姿を懐かしむ声を聞くこともある。 永遠に同じ姿をとどめる物はなく、形のあるものは必ず壊れる。新しい時代に合うようにと、人は案を練り、手を加えていく。その変化のスピードは、毎日目にしている人々にとってはそれほど認識するものではないかもしれないが、時折訪れる者にとっては変化が際立って目に映る。街は便利で美しくなりながら、次世代への受け継がれていくのだが、残してほしい景観や街並みがあることは確かだ。 6月に入ると歯と口の健康週間行事が始まり、それにまつわるイベントなどが開催される。今年は恒例になっている行事での子どもたちへの講話を依頼され、演台に立つことになった。準備をしていると、いつものことだがあれもこれもと伝えたいことがたくさん浮かび、スライドの枚数が多くなってしまう。いちばん伝えたかったことだけは、理解してもらえたはずだと話を終えたが、その講話時の自分の姿を写真で見ると、長崎の街の変貌ぶりを目にした時と同じような驚きは隠せなかった。毎日鏡に映る姿は見ているはずなのに。 動物も植物も、生き物である限り最後には命が絶える。私たちの体は、赤ちゃんや講話に耳を傾けていた子どもたちのように、みずみずしい肌ではいられない。歳をとって老いていき、最後にはみずから息を引き取るようにプログラムされているので仕方がないことだ。 長崎、京都、大阪へとの出張が続き、夜の車窓に映る疲れた自分の顔を見みると、コロナ禍に読んだ稲垣栄洋氏が著書の中で書かれていた言葉が思い出された。「生きることに力はいらない」。考えなくても生きていくことはできる。人間の指は5本で、目は2つで、それはだれかが考えたことではない。赤ちゃんはだれかに教わらなくてもお乳を吸い、だれかに励まされなくても、自分の足で立ちあがろうとする。「頑張らなければ」と歯を食いしばって、血のにじむような努力をしているわけでもない。赤ちゃんはやがて子どもになり、成長して大人になる。大人は歳を経て老人になっていく。そこには何の意思もなく、何の努力も必要ない。生きるために必要な力はしっかり備わっていて、生きることに余分な力はいらない。さらに人間の脳は優秀な器官だが、考えすぎるという欠点があると指摘していた。窓ガラスに頬をつけ頭を空っぽにして目を閉じた。 翌日、いつもどおりの時間に目を覚ますと、すぐに頭の中にはあれやこれやとさまざまなことが浮かんでくる。さらに診療が始まると、スタッフや患者さんの言葉も入力しながら、脳はフル回転モードに突入していく。クレンチング(くいしばり)の症状が現れている患者さんの口腔内を連続して目にすると、また「力はいらない」という言葉が浮かんできた。 「力」に関して少し意味合いは違うと思いながら、診療室の窓に目を映し、少しの間何も考えずに木々の緑と空を見上げた。

著者浪越建男
浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医
略歴
- 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
- 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
- 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
- 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
- 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
- 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
- 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
- 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
- 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
- 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
- 浪越歯科医院ホームページ
https://www.namikoshi.jp/
