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コラム

歯科医療のプロとして地域に貢献するために実践してきた4つの取り組み

歯科医療のプロとして地域に貢献するために実践してきた4つの取り組み
歯科医療のプロとして地域に貢献するために実践してきた4つの取り組み
1994年の開業以来、地域のため、そこに暮らす人々のためにさまざまな取り組みを実践してきた「浪越歯科医院」。幾多の苦難がありながらも信念を貫き、取り組みを進めたその理由とモチベーションの源を浪越建男院長に伺いました。


香川県三豊市 浪越歯科医院
院長 浪越 建男 先生

<浪越 建男(なみこし たつお)先生プロフィール>
1987年3月、長崎大学歯学部卒業
1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。

●日本補綴歯科学会専門医


浪越先生の取り組み①

感染防止対策の徹底

私は開業まで長崎大学歯学部補綴学第二講座で大学院生、助手として研究、臨床、教育に携わっていました。大学でのメインテーマは「歯科金属アレルギー」で、研究、仕事は順調であり、恩師からは海外留学と大学で仕事を続けることを強く勧められていました。しかし、その一方で地元香川県での開業という選択もありました。結局、歯科医師として人生の大きな分岐点に立ち、迷いを振り切るように1994年6月4日に地元香川県で開業したわけです。5月末まで大学で仕事をしていたので、本格的な開業準備期間はわずか3日ということになります。 まず診療所の設計において求めたものは、ゆったりとしたスペースの確保と換気システムの充実で、これらは新型コロナウイルス感染拡大下でも大きな力を発揮することになりました。さらにこだわったのは、院内感染防止対策です。開業前に一般歯科診療所の消毒・滅菌への取り組みを目にしたり、複数の歯科医師が診療チェアや器材を共有する大学病院で診療しながら、もし開院するのなら、より安心できる院内感染防止システムの構築・導入が不可欠だと考えていました。その頃すでにCDC(米国疾病管理予防センター)が「ユニバーサルプリコーション」を考案していて、1996年にはさらに質の高い院内感染予防対策としての「スタンダードプリコーション」が提唱されたのです。  開院当初からタービンヘッド類はもちろん、バキュームやスリーウェイシリンジの持ち手の部分まで多数購入し、各チェアに口腔外バキュームを装備しました。オートクレーブを4台、ガス滅菌器、大型の超音波洗浄器を揃えた診療室での診療が始まりました。ディスポーザブルにできる部分はディスポーザブルの製品を採用し、再使用が必要な器材や機器は「スポルディングの分類」に準じて高温蒸気圧滅菌などを確実に行う。どうしても消毒、滅菌できない器材や機器には、ビニールやラップなどでカバーすることで防御する。あとは手洗い、術者の防護、診察室の清掃など、決められたことをスタッフ全員が確実に実践してきました。開院直後の時点で、ディスポーザブルグローブの使用量を見た歯科商店の担当者は驚いていました。 当然経費はかかります。ある年に一般的な歯科医院と比較して、経費がどれくらい余分にかかっているのだろうと計算すると、年間約500万円という数字がはじき出されました。その数値をどう見るかは、院長次第です。ただ確実に言えることは、その価値をいちばん理解しているのは、スタッフたちです。安心して働ける環境づくりは歯科衛生士たちの定着につながり、チーム医療体制を作り上げるひとつの要因であることは間違いありません。そして診療を受けている患者さんには、その状況が確実に伝わるものです。 浪越歯科医院の外観(左)。庭には浪越院長が丹精込めて育てた色とりどりの椿の花が咲き誇る(右)。 院内の様子。明るく手入れが行き届いた受付・待合室(左)。診療チェアは全部で7台。医院設計の段階からゆったりとしたスペースの確保と換気システムの充実を意識された(右)。 ハンドピースやインスツルメント類は1本ずつ滅菌パックに入れて保管。保管スペースにも余裕を持たせて、取り出しやすくしている(左)。基本セットは少し大きめの不織布を採用し、器材などの置き場所を十分に確保。チェア周りの唾液汚染も回避できる(右)。 開業当初からスタンダードプリコーションにのっとり、洗浄・消毒・滅菌など、決められたことをスタッフ全員が確実に行い、徹底した院内感染防止対策を実践(左)。スリッパは使用ごとに回収し、薬液と手洗いで丁寧に洗浄している(右)。 浪越院長自慢の精鋭揃いのスタッフさんたち。勤続20年を超えるメンバーも多い。 浪越先生の取り組み②

実力を備えた歯科衛生士の育成

開業してしばらくは補綴中心の治療を行い、今思うと上手でもない歯周外科を毎週のように施術していました。私の学生時代には、歯周治療については、大学の教育においてもまだ十分な整理がなされていなかったように思います。学生臨床実習でも、それぞれのライターから自身が好む治療法を指導され、歯周治療に関しては釈然としないまま卒業を迎えました。卒後、補綴科に在籍していた私は、歯周治療に関して十分な知識や技術も取得できていない状況で開業したわけです。私だけに限らず、そんな時代だったのではないでしょうか。自分の弱い分野をなんとかしなければと、いろいろなセミナーに出かけ、それを臨床に取り入れては自己満足に浸っていました。 そんな時衝撃的な出来事がありました。岡賢二先生や熊谷崇先生の症例を目にしたことです。歯科衛生士の歯周処置やSPT・メインテナンスの重要性、歯科医師、歯科衛生士の歯周病に関する確かな知識と技術、さらにはデンタルチームとしての総合力がもたらす成果を目の当たりにした日のことは今でも忘れられません。 ところが、目指すべき歯科医療チームとしての姿や症例を一緒に目にしたはずの歯科衛生士たちにその感動を熱く語っても、そう易々と同じ方向へと動き出すわけではありません。悶々とする日々が続きました。そんな中で目標とする高い技術や知識を備えていた歯科衛生士の長谷ますみさん(NDL mint-seminar 代表)との出会いは、彼女たちが前へと進む原動力となりました。そして悩みながらも患者さんに寄り添う日々を過ごし、6名が日本歯周病学会認定衛生士となりました。現在は歯科向けの月刊誌にも症例報告などが掲載されるようになっています。 開業以来、研修会や講演会、セミナーへの参加費は、交通費も含めて全額医院が負担しています。その額が200万円以上になった年もありました。ただ、実力を備える歯科衛生士の育成のための投資は不可欠なものと考えています。新入歯科衛生士の入局もあり、長谷さんの院内セミナーは24年にわたって継続しています。長い時間をかけながら診療所の予防、歯周処置、メインテナンスなどの体制が整ってきました。そして今、若い歯科衛生士にとっては、身近に目標となる歯科衛生士の姿を毎日目にできることこそが、いちばん恵まれた環境だと私は確信しています。もちろんそれを支える、こころある有能な他のスタッフたちの存在も不可欠です。 現在当院では、私(日本補綴歯科学会専門医)は、保険・自費治療を問わず、ほとんどの症例でマイクロスコープを用いることを心がけています。また、非常勤として矯正専門医4名(日本矯正歯科学会認定医・指導医3名、認定医1名)、口腔外科専門医(日本口腔外科学会認定)1名が在籍しています。それぞれ専門分野での知識や技術を活かすための診療体制が整っていますが、その維持には実力ある歯科衛生士たちの力が欠かせません。 今回の取材でお話を伺ったスタッフさんたち。左から歯科助手・受付の矢野砂也香さん、歯科衛生士の真鍋美幸さんと松尾円さん。 浪越先生の取り組み③

地域の歯科保健活動

開業するまで、子どもたちの健診や治療に多くは携わったことのない私でしたが、すべての年齢層の患者さんの治療に向き合うようになると、日本人の口腔内の経過を表す年齢チャートがすぐにできあがりました。 開業後、すぐに地元の仁尾小学校の学校歯科医師となりましたが、同校は地域で最もう蝕が多い学校として知られていました。泣き叫ぶ子どものう蝕治療に戸惑うことも度々で、それが連続して続くと疲労感が何倍も蓄積していきます。当時目にした香川県の小児医療充実度を示す報道やその他の資料などからも、社会の未来を担う子どもたちのう蝕予防が最優先と考えました。 う蝕予防を考える時は、今でも大学時代に学んだう蝕予防のためのフッ化物応用の位置付けや安全性、効果、世界の応用状況、さらには1970年に始まった新潟県の集団的フッ化物洗口の成果を思い出します。もちろん開院以来、診療所に通う全ての世代の患者さんには、フッ化物の応用の重要性について繰り返し伝えてきました。地域の住民、子どもたちのう蝕予防に本気で取り組むのであれば、公衆衛生的方策が有効で、世界の常識であることも常に認識しています。 そこで行政、教育機関に提案し、町内の4歳から14歳の子どもたちに集団的フッ化物洗口の導入を強く勧め、数か月後には実施に至りました。その成果は周囲にも認められ、仁尾小学校は、1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞、2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞しています。今、町内に生まれ育つ子どもたちは、ほとんどがカリエスフリーで中学校を卒業していきます。そして紆余曲折がありながらも、20年かかってようやく他町も含めて市内の4歳から14歳の子どもたちに集団的フッ化物洗口が実施となりました。その時最も喜んでくれたのは、地元で開業する小児科の先生でした。歯科衛生士たちは約20年間毎月、昼休みに小学校や幼稚園に出かけて、指導などを行っています。 地域で歯科健診を担当する歯科医師の多くは、特定の子どもたちが多くのう蝕を抱える健康格差が鮮明化されてきたと、口にするようになっています。そもそも健康格差はすべての世代で存在するものですが、特に子どもや高齢世代に大きな影を落とすようになります。今、日本では高齢者が高齢者を介護する「老老介護」世帯の割合が50%を越えていて、訪問診療や認知症患者に関わると、その苦労を目の当たりにします。特に高齢者の診療や口腔ケアの現場では、残存歯が増えるにしたがって歯根面う蝕への対応に頭を悩ませています。 世界の他国での取り組みや成果を、今の日本の状況に重ね合わせると、地域のすべての人々に平等にう蝕予防を提供する最善の公衆衛生的方策とされている「ウォーターフロリデーション」(水道水フッ化物濃度適正化)の導入は、確実な成果をもたらすと断言できます。それを普及するための活動は、私が歯科医師である限り継続していくつもりです。 1996年から継続する地元小学校でのブラッシング指導。同時期より集団的フッ化物洗口も導入。2011年4月の歯科健診で6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成、日本歯科医師会長賞を受賞するまでに。 浪越先生の取り組み④

地域の環境保全活動

医院から徒歩約15分の位置にある父母ヶ浜は、ほとんど人の手が加えられていない瀬戸内海では数少ない貴重な干潟です。インスタ映えのする風景が、「日本のウユニ塩湖」としてマスコミにも度々取り上げられ、観光客の大波が押し寄せるようになりました。干潟は「いきものたちのゆりかご」と言われ、多種多様な生物が生息し、その水質浄化作用は生態系や海はもちろん、地球にとっても重要な役割を果たしています。しかしながら、インスタ映え写真の撮影に夢中になりながら奇声を上げている観光客に、「干潟自体や足元の生物や植物に興味を示して欲しい」、ということは難しいのかもしれません。 実は2000年頃に、護岸工事に合わせてこの浜を埋め立てる計画がありました。私以外にもなんとかそれを中止しようとする人たちもいて、数人が集まり「父母海岸を愛する会(ちちぶの会に改称)」を作り、月に一度の掃除が始まりました。工事計画図面のコピーがどこからか入手され、地元新聞社が記事として大きくとりあげると、行政によって「父母海岸地区江尻護岸委員会」なるものが発足されました。私は会の代表として出席しましたが、建設的な意見、討論など全く出ない会でした。強面の人々の訪問も経験しましたが、尊敬する先達、大学教授などの協力やサポート、さらには「平成の大合併」による自治体の体制変化も一因となり、その危機をうまく乗り越え、今の浜の姿があります。 それから数年後、母校の教壇に立つ機会や出張が多くなり、「ちちぶの会」による月一度の浜の掃除には顔を出せなくなりました。この浜にスポットが当てられ観光客が増え始めた頃、人影がほとんどなかった昔の父母ヶ浜の姿が見たくて、早朝の浜に足を運ぶようになりました。そして相変わらず押し寄せる漂着ごみの多さに驚きました。それから毎朝ゴミ拾いに出かけるようになり、もうすぐ2,000日になろうとしています。ゴミは毎日流れ着きます。拾い上げなければ、また海中へと戻りますので、朝だけでなく夕方に訪れることも少なくありません。そして日々海面上昇など地球温暖化の影響も実感しています。スマートフォンで撮影した浜の絶景写真の中に、回収している漂着ゴミを合わせてSNSで発信していると、昨年写真展の依頼を二度いただきました。思いのほか反響は大きく、何らかの形で皆様も目にしていただけないものかと考えています。 住民の中には「観光客に気持ち良く…」と発言する方もいますが、私は干潟や生き物のためにと、今日もゴミを拾い上げます。2,000日の間に写真は何万枚にもなっています。その写真の中から選択した浜の生き物の姿を背景に、「いきものたちのゆりかご 父母ヶ浜」「生き物の楽園 父母ヶ浜」と書いた看板を設置しました。吹き付ける風が毎年強くなり、海面上昇が明らかで、地球温暖化の影響を実感しています。瀬戸内海に面した小さな町で、毎日地球の悲鳴を聞いているように感じられます。 「与えられた環境で最大限の努力をする」、もっとも尊敬する恩師から教えられたこの言葉を忘れずに残りの人生を歩むことが私の目標です。 スマートフォンで撮り溜めた父母ヶ浜の写真をパネル仕立てに。医院の案内看板にも活用し、父母ヶ浜の保全に貢献している。 父母ヶ浜には毎日足を運び、ゴミ拾いを行っている。「流れ着く、ありとあらゆるゴミを拾いながら毎日海岸を見ていると、地球温暖化が進んでいるのがよく分かります」。 父母ヶ浜の絶景写真。日々撮り溜めた写真はすでに数万枚におよぶ。 インタビュイー 香川県三豊市 浪越歯科医院 院長 浪越 建男

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