Dental Life Design

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むし歯の少ない町の歯科医師の日常
第6回(最終回):1945年

2020/3/13 デンタル〇〇デザイン

3月に入ると「先生、花がまったく売れなくなりました」と草花を栽培している患者さんがあきらめ顔で語るようになった。中小企業を営んでいる患者さんは「今期の決済は何とかなりましたが、次期はわからないですよ」という。新型コロナウイルス感染症拡大の影響が、子どものたちの生活だけでなく、小さな町のすべての職種にまで影を落としてきたことを実感するようになった。

人の集まりの自粛への呼びかけを受け、私の出張もキャンセルが続く。そのような状況下でも、どうしても打ち合わせが必要だとの連絡があり、土曜日の午後から電車に乗り、首都圏に出かけることになった。海外からの入国回避や規制があり、さらにイベントや研修会などが中止されると、日々交通機関の利用者が減少していて、しかもマスクをつけた人々はできるだけ距離をおき陣取っていくようになった。

30分程遅れて会議に出席することになったが、予定通り終了したので、午後8時過ぎに宿泊するホテルに向かって繁華街を歩き始めた。土曜の夜だというのに人影がとにかく少ない。それでもパチンコ屋のネオンだけがリズミカルに点滅していた。目にしみるその鮮明な光の前を通り過ぎようとした時マスクをした男性が、不機嫌そうな仕草で店外へと足を一歩踏み出し、なぜかその前をパチンコ玉が一個勢いよく飛び出してきた。その男性が投げ捨てたものか、たまたま足元にあった玉を蹴り上げたのかはわからない。ピンピンと弾むような音はだんだん小さくなり暗闇へと消えていった。

私は歩きながら一つの逸話と一人の患者さんのことを思い浮かべていた。一つはある有名俳優が貧乏だった無名時代の話である。舞台か何かの面接を受けるためスーツを購入するからと、子どものために蓄えていた預金を取り崩し、洋服屋を目指したそうだ。しかし、増やせるかもしれないという誘惑には勝てず、一日中パチンコ屋で過ごすことになったらしい。結局負けて帰宅するのだが、奥さんから「スーツは買えたの」と聞かれ、「頭金を支払ってきたよ」と言ったその時、ズボンの裾からパチンコ玉が転がり出してきて、しばらく沈黙が続いた。パチンコ玉一個がすべてを物語っていたという話である。

もう一つは昨年診療所での出来事である。熱心にメインテナンスにも通い「9024」を達成した患者が、一年半ぶりに冠が取れたと来院した。確かに一本は脱離していて再装着できたのだが、「先生、もう一個取れていてこの中に入れています」と小さな容器を差し出した。不信に思いながら蓋を開けてみると銀色のパチンコ玉が一個、光り輝いていた。「これ、本当に口の中から出てきましたか」と何度も聞くと、真顔で「はい」という。担当の歯科衛生士と「食べ物から出てきたのではないと信じたいな」と苦笑しながら話したが、超高齢社会では認知症患者は確実に増え、私もその一員となる可能性はある。

そのようなことを思い出した翌週にも、開院以来メインテナンスに通ってきていた80歳を越えた患者さんが2年ぶり来院した。下顎の残存歯には根面う蝕が広がり根部から折れ、つながった補綴物が不自然に歯肉に刺さっていた。治療を終えて診療チェアを降りたものの、診療室から待合室への出入口がわからないらしく、その場で戸惑いの表情を浮かべたたずんでいた。認知症患者の口腔内を診ながら、根面う蝕への効果的な対策の必要性を強く実感している歯科医師、歯科衛生士はたくさんいるはずだとも考えてしまう。

その日、昼休みにみたワイドショーの話題は、当然新型コロナウイルス感染症一色で、WHO(世界保健機関)とCDC(米国疾病管理予防センター)の名前がたびたび登場する。人類の健康において重要な指針を示す最高位の専門機関と研究所である。どちらも水道水フロリデーション(フッ化物濃度調整)の実施を推奨し続けていることを知っていて、それが根面う蝕対策の最強の一手だと理解している歯科医師は少なくないと信じたい。CDCがある米国で水道水フロリデーションが始まったのが1945年1月、その頃私の祖父は戦地にいた。そして5月に戦死した。1945年という年代に、祖父から私の父親宛に出されたハガキが重ねられると、私の中に大きなカルチャーチョックが広がるのである(了)。