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むし歯の少ない町の歯科医師の日常
第5回:2月、晴れの日に

2020/2/27 デンタル〇〇デザイン

2月晴れの日、目覚めると私は花粉症になっていた。鼻血が流れているような感触で目を覚まし、慌てて手の甲で鼻をふさぎながらティッシュペーパーに手を伸ばすと、クシャミの連発が始まった。すぐにこれは花粉症だと理解した。顔を合わせた家族やスタッフに、「鼻がズルズルだよ。花粉症だな」と報告をすると、「ついにかかりましたか、これから毎年ですよ」と同情混じりの表情が並ぶ。還暦で花粉症になる、そんな症例もあるのだろうと納得はする一方で、ある専門家が「世代が高くなるほど花粉症は軽症化する」、その理由のひとつとして「免疫系の衰え」をあげていたことを思い出し、免疫系が衰えていない証拠だなどと屁理屈をつけていた。

周囲で知らない人もいるが、私は開院するまで歯科金属アレルギーをメインテーマとして研究・臨床に取り組んでいた。したがって、いまだに歯科医師としてはアレルギーに関して詳しいと自負している。皮肉なことに、いざ自分がアレルギー性疾患となり当時の出来事を思い出すことになった。

33年前大学院に進学すると、主任指導教授から歯科金属アレルギーをテーマとして取り組むことを提案された。教授は生理学分野を得意とされていたが、皮膚科から歯科金属アレルギーが疑われる患者さんを紹介されたこと、アレルギー性疾患が増加していること、さらに合金が歯科治療に不可欠であった当時の状況から、今後の重要課題だと判断したのだと思う。そして大学院1年目の秋にはこの患者さんについて学会で発表する機会をいただいた。その後、総合病院・大学病院の皮膚科外来、歯科理工学講座、口腔細菌学講座、腫瘍医学講座でも指導をいただきながら、診療、研究、学会発表と全力疾走で駆け抜けるような大学院時代を過すことになった。

健常者における歯科用合金成分の感作率を確認しようと、後輩たちに声をかけ背中にパッチテストを行ったことは強烈な印象を残したらしく、今でもそのことが話題になる。健常者でも予想以上に感作率が高いこと、しかも感作されている合金成分が口腔内に存在していても、必ずしも発症するわけではないということになる。当時はよく同僚たちからなぜ発症する人としない人がいるのかと聞かれると「う~ん、難しいなあ、発症するのは交通事故にあうみたいな感じかな」などと無責任な回答をしていた。そして「アレルギーを避ける方法は」と聞かれると、「う蝕、歯周病予防し、補綴修復物を入れないこと」ときっぱり言い切っていた。実は予防を重視する意味はここにもある。ところが花粉症は「交通事故にあうような……」という話ではない。午後の診療が終わり鏡の前に立つと、人中の周囲は赤みが際立っていた。

その夜鼻炎スプレーを手に、一人で録りためていた野村克也氏の追悼番組を見ることにした。愛弟子の古田敦也氏は、野村氏に出会わなければ今の自分はなかったと言い、そして野村氏のもとで野球を学んだ選手の多くが現在指導者になっていることが語られていた。野村氏は著書の中でも「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」の言葉どおり野球界に人を残している。私は画面に映し出されるベンチの中の野村監督と、その前に座る古田捕手の姿を見ながら大学院時代の日々を思い出していた。当時は自分の歯科医師としての人生でどれほど大きな意味をもつ時間であるかなど考えもせずに、目の前の課題と向き合うだけだった。若さというものはそういうものなのだろうが、人を残すことのすばらしさ、難しさ、自分がいかに恵まれた環境にあったかは、後に実感するのだと思う。インタビューアーにかけた「若いのだから先だけを見据えて成功だけを考えて生きなさい」という言葉に、齢とともに緩くなってきた涙腺が一気に決壊し、目と鼻を拭うことになった。

そこでクシャミが2回、感動の涙を拭う還暦を迎えた男が「涙の言い逃れの道具に花粉症は使えるぞ」と、バカな考えを浮かべたが、それを年の功とは言わないだろうとまた苦笑した。