Dental Life Design

あなたのデンタルライフを彩るメディア

むし歯の少ない町の歯科医師の日常
シーズン2:曲(きょく)

2020/9/21 デンタル〇〇デザイン

9月上旬、勢力を維持し北上する台風の進行方向と位置を気にしながら、車で瀬戸大橋を渡り、講演の依頼を受けた山陰の都市を目指した。流れる雲の速さと、時折吹きつける風の強さが台風の接近を知らせてはいたが、微妙な色合いの混ざり合った緑が視野の大部分を占拠し、快適なドライブ時間をもたらしていた。

パーキングエリアでコーヒーを買い、車の中で休憩していると、コーヒーのCMで耳になじんだ「Killing Me Softly(やさしく歌って)」の曲が流れ始めた。あまりのタイミングの良さにニンマリしていると、MLB(メジャーリーグベースボール)のマウンドに立つ野茂英雄投手の姿が思い浮かんだのだった。

耳になじんだ曲は思い出や記憶につながる。野茂投手がCoors Field(クアーズ・フィールド)でノーヒットノーランを達成した1996年、米国のThe Fugees(フージーズ)がこの曲をヒップホップにアレンジし、世界的なヒットとなっていた。その頃私は、野茂投手の活躍に胸を躍らせ、Lauryn Hill(ローリン・ヒル)の歌声に聞き惚れ、その一方で毎日晴れない気持ちを抱えながら診療を終えていた。

開院以来、日々たくさんの歯を削り、多くの義歯を作製していた。そしてう蝕がならぶ子どもの口の中を覗き込みながら、懸命に治療を続けてはいたが、医療としての違和感を覚えていた。すべての年齢層の人々の診療に携わると、その患者さんの数年後や数十年後の口腔の状況をおおよそ想像するようになった。それまで大学病院の補綴歯科に勤務していた私が、未成年のう蝕予防が生涯にとってどれほど重要であるものかを知るには十分な時間だった。

時に思い切った行動を起こす契機になる言葉や文章に出会うことがある。それは、自分自身の置かれた環境や心持ちにより、受け取り方や印象が大きく変わるものである。

その頃心打たれた、今も忘れない一文に出会った。1977年に新潟歯科医師会が発行した『フッ素と健康』という冊子の中にその言葉があった。「今日の子どもたちは、明日の成人した市民であり、彼らの肩には我々の政府や社会を維持する責任と義務がかかってくる。それ故、子どもたちのために疾病の流行を遅らせ、あるいは少なくするよう備えてやるための立法は、すべての市民にとって非常に大切であり有益である(1954年ルイジアナ州最高裁小児衛生に関する判例)」という一文を見つけると、1954年という年号からしばらく目をそらすことができなった。私が生まれる5年も前である。

同じ頃、香川県では1975年、国立香川療養所が国立療養所香川小児病院(2013年、国立善通寺病院と統合し、独立行政法人国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター)に名称変更し、小児医療に取り組んだことなどで、その年は全国ワーストワンであった乳児死亡率が低下し、世界でもっとも乳児死亡率が低いと言われる日本の中でも、いちばん死亡率が低い県だと報道されていた。

この一文や事実が私を行動に駆り立てた。正月休みだというのにこのことが頭から離れない。世の中が新年の喜びに浸っている1月3日、突然当時の町教育長の自宅に電話をかけ、幼稚園や学校での集団的フッ化物洗口実施導入の必要性を強く訴えた。熱意はまっすぐに受け入れられ、行政や学校などの協力も得られ、ことは順調に進んでいった。そして町の子どもたちの永久歯のほとんどがう蝕から解放されたのだ。

一杯のコーヒーを飲み干す間には、それに続くさまざまな出来事も思い出されたが、端緒となったものほどに強烈な印象を残したものは少ない。コーヒーの香りが消え去らないうちにパーキングエリアを出て、目的の街を目指した。

子どものう蝕を減らすために熱意をもって活動を続ける歯科医師たちに囲まれると、歯科医師としての誇りを感じる。翌日講演を終えた私は、出会った歯科医師たちと交わした会話や表情を思い返し、フロントガラスに吹き付ける雨粒を気にかけながらゆっくりと車を走らせた。

その次の朝、玄関から出て西側にある父母ヶ浜の空を見上げると2重の美しい虹がかかっていた。「Over The Rainbow(虹の彼方に)」の曲が頭の中を流れだし、歌っているのはWillie Nelson(ウィリー・ネルソン)。何か良いことがありそうな予感がした。