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むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:7月 ニューヨークにて

むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:7月 ニューヨークにて
むし歯の少ない町の歯科医師の日常 シーズン2:7月 ニューヨークにて
梅雨明けを告げる陽射しが消えかかる時刻に、羽田空港からニューヨークへと飛び立った。12時間後、ジョン・F・ケネディ国際空港に降り立つと、いつも感じる米国の匂いがした。夜闇の中をホテルへ向かう送迎車に乗り込むと、ニューヨーク在住40年目だという日本人ドライバーと話し込むことになった。渡米した経緯やニューヨークでの生活、物価高やコロナ禍での状況、趣味に至るまで、話題はつぎつぎと移り変わっていった。やがて私が歯科医師だとわかると、歯や口腔の健康の重要性について、しみじみと聞かされることになったが、これはよく経験するパターンである。

それから彼は、ニューヨークに住み始めた頃に衝撃を受けたという出来事について話し始めた。「芸術家を目指してここにきました。そもそも芸術家を目指す人たちはなかなかヤンチャな生活をするもので、私も若かったし例外ではなかった。ある時そんな人々が屯する店でトイレに行くと、フラフラしながら鏡に向かってデンタルフロスをしている人たちがいました。この店でこの状況でそれをするか……日本では見ることのない光景に驚きましたよ」と笑みを浮かべた。その瞬間、先月見かけた「讃岐うどん」の人気店の駐車場で、デンタルフロスをしていた外国人の姿を思い浮かべてしまった。

続いてう蝕予防へと話題に移りかけたので、フッ化物応用の必要性やニューヨークではウォーターフロリデーションが1965年から実施されていることについて話そうとした。しかし、フッ化物に関する知識や認識がほとんどないことがうかがえたので、さてどこから説明しようかと迷っているとマンハッタンのビル街が顔を出し、ホテルの前に到着した。

そこで話は途切れたが、いずれにしても彼を含めニューヨークに住む人々、そして米国の大多数の人々が、知らず知らずのうちにウォーターフロリデーションの恩恵に浴していることは間違いない事実である。

そして、人気のストリートフードの「チキンオーバーライス」、お気に入りのヤンキースタジアムのステーキサンドイッチ、ロブスター・プレイスのロブスターロールを頬張りながらも、フロリデーションを思い浮かべるのはきっと私だけだろう。

香川県より緯度が高いニューヨークでも夏の陽射しは強かった。メトロポリタン美術館を目指しセントラルパークを横切りながら、たびたびペットボトル水を口にした。到着した建物の前で休館日の表示を目にしても落胆することもなく、アメリカ自然史博物館に向かって歩き始めた。ペットボトルの水が揺れるのを感じると、昨年他界した恩師の「浪越さん、米国ではペットボトル水を多く消費するので、フッ化物濃度を調整している商品もありますよ」という言葉が思い出された。

世界最大の自然史博物館はスケールが大きく、子どもから大人まで楽しめるミュージアムで、できれば1週間くらい通う価値はある。限られた時間の中で最後に足を運んだのは、2023年にオープンした「ギルダー・センター」のデイビス・ファミリー・バタフライ・ビバリウムだった。生息地に近い環境で管理された植生の中に、80種類、約1,000匹の蝶が自由に舞っていた。立ち止まり、喉の渇きも忘れて息を殺すと、肩や腕にも蝶が止まる。経験したことのない時間がすぎていった。

翌朝目覚めると、朝の気温感が心地良い。ホテルのベッドの上で、子どもの頃の夏休みの朝の感触とラジオ体操のことがよみがえってきた。もう日常の夏の朝では出会うことのない心地良い気温感だと思うと、今の子どもたちが経験できないことが残念だ。そして地球温暖化への不安は増していく。

窓から朝ぼらけの中に浮かぶ高層ビルを眺めていると、前日の軽やかに飛び交う蝶の舞がよみがえってきた。はるか昔、似たような風景は身近に存在していた。小学校への通学路に沿った菜の花や大根の畑には、規模は小さいが蝶の楽園が広がっていた。半世紀以上前に私たちは恵まれた環境で育ったことを再認識した朝となった。

帰国すると、酷暑の日々が続いている。全国高校野球選手権(甲子園球場)の開会式では、途中で水分補給を行いながらも、選手の1人が熱中症を訴えたという。世界のリーダーたちには子ども時代の気温感を思い出していただき、真剣に地球温暖化対策に取り組むことを願わずにはいられない。

著者浪越建男

浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医

略歴
  • 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
  • 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
  • 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
  • 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
  • 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
  • 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
  • 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
  • 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
  • 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
  • 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
  • 浪越歯科医院ホームページ
    https://www.namikoshi.jp/
浪越建男

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