地球の未来を憂う猛暑の日々である。けたたましく声を重ねるクマゼミの声を聞きながら、12月に上梓予定のフォトエッセイ集の校正に取り組んでいる。前回の随筆集『季節の中の診療室にて』(クインテッセンス出版)から5年が経ち、その間にはさまざまな出来事が起こったが、もっとも深く歴史に刻まれる事象は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行だろう。人類にとって危機ともいえる期間を挟むように、このコラムの連載は現在も続き、そして強力なサポートをいただき、念願の出版が実現しようとしている。 元来、文章を書くのが苦手だった私だったが、大学院生時代に故・藤井弘之先生(長崎大学歯学部第二歯科補綴学講座主任教授)から、書くということのすべてを学び、それが現在につながっていることに間違いはない。「難しい文章をだれが読むと思う? わかりやすい表現で書きなさい」と、繰り返し聞いていた言葉をいつも思い出している。 診療所を開設して数年すると、歯科専門誌から歯科臨床や保健活動に関するテーマでの執筆依頼をいただくようになった。その後なぜか、エッセイ(コラム)の執筆依頼が私に舞い込み、連載することになった。 その連載の1つ『野茂の背中』というエッセイを、作家だった叔父がとても気に入ったようで、ファックスで届いた感想文には、「いい文章だね。話の展開といい、ディテールの表現といい文句なし」と記されていた。この言葉が後押しとなり、いままで書き続けてきたようにも思う。数えてみると約150編、20万字を超える文字を書き記したことになっていた。 赤いボールペンを手に、校正作業を続けていた7月27日(米国現地時間)、ニューヨーク州クーパーズタウンで行われた「2025年米国野球殿堂入り式典」でのイチロー氏のスピーチがあることを知り、Liveで聞こうと開始時間を何度も確認した。そして予定より遅れて始まったスピーチを、少し姿勢を正しながら聞き入る自分がいた。 イチロー氏は、マリナーズなどでMLB通算3,089安打をマークし、アジア選手初の米国野球殿堂入りを果たした。彼の英語のスピーチは、ジョークと敬意に溢れていて、米国テレビ番組のホストからは、歴史に残るスピーチだと絶賛された。 そして19分にわたるイチロー氏の英語によるスピーチの中に、唯一日本語が語られた言葉は特に印象深かった。それは今から30年前の1995年に、日本から海を渡りメジャーリーガーとなり、トルネード投法で全米の注目を集めた野茂英雄氏への感謝を表したものだ。 日本で活躍していた頃のイチロー氏は、結果も申し分なく外から見れば順調だと見えていたかもしれないが、内心では、なぜ自分が結果を出しているのか理解できず、見つからない何かを探していた。そのようななか、野茂氏がメジャーリーガーとなり、彼の勇気のおかげで、日本ではMLBがつねにニュースとなり、MLBの試合がテレビで放送されるようになった。それによって自分の目は、想像もつかないようなところ、すなわちMLBに挑戦することに向けられたのだと語った。 そして新人王を獲得し、ノーヒットノーランを2回達成するなど輝かしい実績を残し、メジャー通算123勝をあげたパイオニア的存在である野茂氏に「野茂さん、ありがとうございました」と一言だけ日本語で語りかけたのだ。 野茂氏がいなければ、イチロー氏はもちろん、ワールドシリーズMVPの松井秀喜氏、二刀流で活躍している大谷翔平選手の姿を、われわれは見ることはなかったかもしれない。MLBで実績を上げることの難しさを知り尽くしているイチロー氏だからこそ、日本人選手のMLB挑戦への道を開いた野茂氏に、どうしても感謝の言葉を届けたかったのだろう。どのような分野でも苦境を乗り越え道を切り開いた先駆者は、それに続いた者たちが成功すればするほど、その評価は高まっていく。永遠に語り継がれる存在になるのだ。 「野茂さん、ありがとうございました」――その言葉を聞きながら、あのエッセイと叔父から届いた感想文のことを思い出し、私も「野茂さん、ありがとうございました」と心の中で呟き、また赤ペンを持ち上げた。 それにしても暑すぎる。沸騰化する地球を救う先駆者の出現を望む。 <浪越建男先生セミナー> 「フッ化物応用の理解を深めて生涯を通じた口腔の健康につなげる」 2025年11月30日(日)13:00~16:00 開催 詳細情報 お申込みフォーム
著者浪越建男
浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医
略歴
- 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
- 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
- 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
- 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
- 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
- 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
- 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
- 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
- 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
- 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
- 浪越歯科医院ホームページ
https://www.namikoshi.jp/













