2025年の1⽉に神⼾、2⽉に東京で「移動型⻭科クリニック」の展⽰・体験会が開催されました。出展されたのは「名古屋ステーションクリニック」の⽊下⽔信理事⻑と⻭科医師の⻑縄拓哉先⽣です。展⽰会では、⽊下先⽣が開発に携わった医療 MaaS(Mobility as a Service)⾞両が紹介され、⼝腔内スキャナーを使った⻭科健診のデモンストレーションも⾏われました。医療MaaSを切り⼝に、医療DXが今後、どのように医療現場に変化をもたらすのか、お⼆⼈に語っていただきました。
医療法⼈尚仁会 名古屋ステーションクリニック 理事⻑ ⽊下 ⽔信 先⽣/⻭科医師 ⻑縄 拓哉 先⽣
<木下 水信(きのした みずのぶ)先生プロフィール>
1994年近畿大学医学部卒業後、国立がんセンター中央病院などで外科医として経験を積み、特に胃がんと大腸がんの内視鏡手術を専門に研究。2007年に健診専門施設「名古屋ステーションクリニック」を開設し、2010年から理事長を務める。年間約 7万人の健康診断を提供する一方、2015年に株式会社M-aidを設立。クラウド型健康管理システムの導入など、ICTを活用した予防医療と健康経営の推進に取り組んでいる。
<長縄 拓哉(ながなわ たくや)先生プロフィール>
1982年愛知県生まれの歯科医師(医学博士)であり現代美術作家。2007年東京歯科大学卒業後、東京女子医科大学病院、デンマーク・オーフス大学での口腔顔面領域の難治性疼痛(OFP)研究を経て、口腔顔面領域の感覚検査器を開発。IADR(ボストン、2015)ニューロサイエンスアワードを受賞。デジタルハリウッド大学大学院在学中。現代美術の特性を応用し、医療や健康に無関心な人々や小児のヘルスリテラシーを向上させ疾病予防をめざす。
医療をデリバリーする時代へ
⻑縄:2025年はじめに⾏われた展⽰会では、⼝腔内スキャナーをはじめ、デジタルデンチャーに関連する機器を医療MaaS⾞両に搭載し、⻭科健診のデモンストレーションを⾏いました。私⾃⾝は普段、訪問診療を中⼼に⾏っていますが、世の中には訪問診療だけでは対応しきれない⽅々がたくさんいらっしゃいます。加えて、医師不⾜などの理由により、適切に医療を受けられない⽅も少なくありません。医療MaaS⾞両は、こうした諸問題の解決に役⽴つのではないかと考えています。⽊下先⽣は展⽰会の出展を終えてどのような⼿応えを感じましたか?
⽊下:医療はこれまで患者さんが⾜を運ぶことが前提でした。しかし、現代社会はさまざまな商品や⾷事が簡単にデリバリーされる時代です。医療サービスも同様に、必要なときに必要な場所へ届ける「医療のデリバリー」という新しい仕組みの創出が必要ではないかと考えています。過疎地域や被災地など医療リソースが限られている場所に届けることはもちろん、平時のオフィス街や地域社会にも医療が届くという未来像を、今回の展⽰会では提⽰できたのではないかと思っています。
2025年2月に東京・丸ビル1F で開催された「移動型歯科クリニック」の展示・体験会では、2台の医療MaaS車両が展示され、口腔内スキャナーなどを設置した社内の様子も公開された。
⻑縄:⽊下先⽣は医療MaaS⾞両の監修や開発をされているだけではなく、ご⾃⾝で起業され、多⽅⾯での取り組みを⾏っておられます。先⽣が代表を務める株式会社M-aidとは、どのような会社なのでしょうか?
⽊下:医療データを活⽤した新たな仕組みづくりを⽬指して設⽴した会社です。具体的には、「医療 DX」と「モビリティ」と「環境」、この3つを融合させたビジネスモデルの構築に取り組んでいます。
⻑縄:「環境」というキーワードは、医療分野ではあまり聞かないように思います。実際にどのようなことをされているのでしょうか?
⽊下:医療従事者の中で⼆酸化炭素(CO₂)の排出量を意識している⽅は多くないかもしれません。しかし、CTやMRI、滅菌器など医療現場には電⼒消費量が⼤きい機器は多く、ディスポーザブル製品も⽇常的に使⽤されています。医療廃棄物を焼却すれば当然CO₂が排出されますし、医薬品や医療材料の製造・輸送の過程でもCO₂は発⽣します。医療は、実はCO₂の排出量が多い分野の⼀つと⾔われているのです。世界的にCO₂削減が求められる中、医療においても環境負荷への配慮は避けて通れないテーマです。こうした課題に対し、新しいテクノロジーを活⽤して解決の⽷⼝を探ろうと、現在、⼤学や企業と協⼒して、さまざまな検証を⾏っています。
AI を活⽤した保健指導とアメリカの事例
⻑縄:⽊下先⽣が医療データの活⽤に着⽬された背景を教えてください。
⽊下:例えば、歩数や⾷事の記録が⾃動で集計され、⾏動変容を促すサービスがあります。このように現在では、さまざまな情報がデータ化され、収集・解析されたうえで、個⼈のライフスタイルに紐づけて活⽤されています。中でもヘルスケア領域は⼈々の関⼼が⾼く、ビジネスの中⼼に据える動きが近年加速し、多様なサービスが⽣まれています。⼀⽅で、私のクリニックで主に⾏っている健康診断も⾎液検査や⾝体計測など、まさに「データの世界」です。経年的に蓄積された情報にアルゴリズムを適⽤することで、健康状態の傾向やリスクを分析し、より効果的な予防や健康のサポートにつなげられるのではないかと考えています。
⻑縄:確かに、医療の現場では患者さんからさまざまなデータを⽇々取得しています。そうした情報を活かさない⼿はないと思います。ここ数年、⼼拍数や⾎圧などを可視化できるウェアラブルデバイスが注⽬されていますが、こうしたツールも役に⽴つのでしょう か?
⽊下:それが良いか悪いかは別として、最終的に医師が信頼し、積極的に活⽤しようとするのは、やはり医学的なデータです。そう考えると、特別なデバイスを使わなくても、通常の健康診断などで得られる情報だけで⼗分だと考えています。例えば、⻑縄先⽣がデジタルデンチャーを製作する際に使⽤している⼝腔内スキャナーも興味深く拝⾒しています。
2025年2月の展示・体験会では、口腔内スキャナーを使った歯科健診のデモンストレーションも行われた。
⻑縄:実は、医療MaaS⾞両に期待していることの⼀つが、⼝腔内スキャナーによるスキャニングポイントを増やすことなんです。訪問した先々で実施することで、将来的に何らかの形で役に⽴つのではないかと考えています。⼝腔内スキャナーは補綴治療や義⻭製作の際の印象採得に⽤いられるのが⼀般的ですが、⼝腔内を三次元的に再現できる点に可能性を感じています。例えば、⾼齢の⼊院患者さんに⼝腔ケアを⾏う際、あわせてスキャニングも実施できれば、⼝腔内の状態の変化を視覚的に確認でき、⼝腔ケアのモチベーション向上につながるかもしれません。経時的にスキャンデータを蓄積することで、⼩さな変化に気づきやすくなり、⼝腔機能低下症や誤嚥性肺炎の予防に資する可能性もあります。ところで、⽊下先⽣は実際の診療の中で医療データをどのように活⽤されていますか?
⽊下:いちばん⾝近な例としては保健指導です。例えば、メタボリックシンドロームと判定された⽅には減量を促すことが⼀般的ですが、毎年同じような⽅が対象になります。本⼈も「いつものことだから」と受け流してしまうケースが少なくありません。しかし、メタボリックシンドロームは⼼⾎管疾患のリスク因⼦であり、実際に亡くなられる⽅も⼀定数いらっしゃいます。そこで私たちは、対象者の健診データを抽出し、AIを⽤いて「このままの⽣活を続けると、3年後にはこのような疾患のリスクが⾼まりますよ」といった予測を視覚的に提⽰しながら、保健指導を⾏っています。将来の状態を具体的に⽰すことで、本⼈の当事者意識が⾼まり、⾏動変容につながりやすくなるんです。
⻑縄:⽣活習慣病は健康診断などで⽐較的、早期に介⼊しやすい病気ではあると思います。早期発⾒や早期介⼊が難しい病気に対して、データ解析の技術が寄与することはあるのでしょうか?
⽊下:最近、注⽬されているのがアルツハイマー病の治療です。軽度認知障害(MCI)や軽度認知症の進⾏を抑える効果が期待される抗アミロイドβ抗体薬という薬が、2023年にアメリカで、2024年に⽇本で承認されました。しかし、⽇本ではアメリカほど普及していません。その背景のひとつに医療データの活⽤の差があります。アメリカでは⾎液検査の結果をAIで解析し、アルツハイマー病の⼀因であるアミロイド β の蓄積傾向を把握するシステムが開発され、医療現場での導⼊が進んでいます。⼀⽅、⽇本でこの薬を処⽅するには、アミロイドPET検査や脳脊髄液検査といった⼤がかりなバイオマーカー検査を⾏う必要があり、それが普及のネックになっています。そのほか、アメリカではがんの早期診断にもAIを⽤いた⾎液検査が⾏われるなど、テクノロジーの臨床応⽤が広がっています。これだけ⾼齢化が進み、医療費の増⼤が深刻な問題となっている⽇本においても、医療データとAIの活⽤はもっと広く検討されるべきではないかと感じています。
医療 DX から⾒た医科⻭科連携の可能性
⻑縄:患者さんの情報をデータ化するメリットとして、ハードルはあると思いますが、診療科の垣根を越えて情報共有しやすくなる点が挙げられると思います。以前、病院勤務をしていた頃は全科のカルテを閲覧できたのですが、いざ病院を離れると、それまで触れていた情報にアクセスできなくなり、不便さを感じました。コロナ禍のときも、訪問診療で介護施設を訪れたら、コロナの影響で施設が閉鎖され、診療できないことがありました。事前に状況がわかっていれば、無駄⾜にならずに済んだはずです。そうしたちょっとした情報共有もできていない現状があり、もっとデジタルツールを活⽤することで、このような課題も解決できるのではないかとも思っています。
⽊下:医療現場では、まだまだ情報の壁がありますね。例えば、⻭科を受診するとき、患者さんは基礎疾患について⾃⼰申告で伝えると思います。でも、その情報が正確かどうかの保証はありません。カルテや問診票をデータ化し、他科間で共有できれば、より質の⾼い適切な治療が⾏えるようになると思います。医科の先⽣も⼝腔内のデータがあれば、これまで⾒逃していた疾患に気づけるかもしれません。また、⼝腔内のスキャンデータと健康診断のデータを掛け合わせれば、さまざまな予測モデルや治療モデルがつくれる可能性もあります。医科と⻭科をまたいだ疾患の兆候をデータで捉えて、個々の患者さんにとって最適な治療を医科⻭科連携で提供する−−そんな未来が、医療DXによって現実のものになるかもしれません。だからこそ、今まで以上に医科と⻭科の連携を深めていく必要があると感じています。
⻑縄:これからも交流を重ねながら、よりよい医療を⼀緒に築いていけると嬉しく思います。本⽇は、貴重なお話をありがとうございました。
インタビュイー
木下 水信(医療法⼈尚仁会 名古屋ステーションクリニック 理事⻑)/
長縄 拓哉(歯科医師)