「父母ヶ浜(ちちぶがはま)のおすすめの季節は?」と聞かれると、「冬」と答えることが多い。吹き付ける寒風に逆らいながら波際に近づくと、打ち寄せる波が砂浜に薄い海水の膜を張り、それが青空に浮かぶ冬の雲を映し出す。吹き付ける風に踊るゴミ袋に、拾い上げるゴミを入れることすらままならないが、寒風に逆らい顔を上げた瞬間に目の前に広がるその絶景の中に自分一人がいる満足感は、寒さに耐える苦しみを十分に打ち消すものである。 今年浜にその情景が浮かび、冬の訪れを感じ始めた頃、新刊のフォトエッセイ集『父母ヶ浜2000日―花と自然を愛する歯科医師の足跡―』(クインテッセンス出版)の発売日となった。新作の進捗状況をメールやSNSを通じて知らせた友人、知人からのネット予約購入のおかげで、販売開始前から初動の売れ行きは好調のようだ。 本屋を覗くと、歯科関係の出版社が発刊する本のほとんどは、その内容に関係なく歯学書のコーナーならびに棚に並べられることになる。新作フォトエッセイ本は、歯科に関する事項にもふれてはいるものの、患者さんを含めた一般の人々にこそ楽しみながら読んでいただける内容だと自負している。なんとか多くの人々の目にとまり、手に取ってもらう機会が増える位置に並べていただけることを望んでいる。 編集者とのやり取りの中で、本のタイトルから判断しても、まずは地元で着目されることが必要だということになった。「申し訳ありませんが、地元での本屋への対応は、先生の肩にかかっています」の言葉に、休診日に私は営業マンへとなり本屋巡りをすることにした。 日頃から営業マンと接する機会は多い。特に診療中に事前のアポイントなし(俗にいう飛び込み)で訪問した営業マンには、苛立ちを覚えることもある。何はともあれ、「コミュニケーション能力」の上に「心からの笑顔(デュシェンヌ・スマイル)」が求められる営業職への変身は、私にとってはなかなかハードルの高いものである。目が笑っていて、表情が自然で持続することが営業スマイルに求められるものらしい。 まずは、隣町にある県内最大書店の支店に向かった。レジカウンターの列に並び、本を抱え名刺を取り出し、「アポイントなしで申し訳ありません。店長さんをお願いしたいのですが……」と、慣れない笑顔を浮かべる。近くにいた男性が不審そうな表情で「私ですが」と応え、それから本のページを捲りながら、本について説明を始めた。 有名観光地となった浜の名がタイトルに入っていることや、掲載されている地元著名人たちからの推薦文のおかげで、手応えのある反応を目にすることになった。そして「まずは書店本店に電話をして、本の内容を伝えみてください」と名刺を差し出された。本店に電話をかけ本について説明すると、翌週明け連絡があり、各店舗に並べていただけることが伝えられた。 そこで休診日に本を抱えて県内の店舗を回り、店長に挨拶回りをすることにした。ある店舗に行くと、店長が前作『季節の中の診療室にて―瀬戸内海に面したむし歯の少ない町の歯科医師の日常―』(クインテッセンス出版)のことも覚えてくれていて、「新作が出たのですね」と差し出したフォトエッセイ集を笑顔で受け取ってくれた。別の店舗に行くと、「もうお客様から予約をいただいております」と言われ、カウンターで差し出した謹呈本のページを捲りながら、出版までの経緯を説明することになった。おそらくその間私の目尻にシワができ、「目が笑っている」状態が持続する自然な笑顔が長く続いていたと思う。店員たちが興味をもち、横から覗き込む姿も印象深かった。 気を良くした私は、大型複合店舗や個人書店にも足を運んでみようと考えた。ていねいな対応をしてくださる店もあれば、私が発する言葉にほとんど表情を変えない方もいた。店を出て、「笑顔がいけなかったか?」と、夕闇の店舗ガラスに微笑みかけた。 そこに映ったスーツ姿の自分の姿を見た時、一瞬頭の中に藤子不二雄Aによるアニメ『笑ゥせぇるすまん』に登場する謎のセールスマン「喪黒福造(もぐろ ふくぞう)」が浮かんだが、拙著はアニメと違い必ず「心のスキマ」を埋めてくれる満足な時間を提供するものと思っている。 「毎日出会う営業スマイルに優しさ」を再認識した2025年の冬である。
著者浪越建男
浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医
略歴
- 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
- 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
- 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
- 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
- 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
- 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
- 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
- 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
- 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
- 著書に『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
- 浪越歯科医院ホームページ
https://www.namikoshi.jp/













