「酷暑」という言葉が耳に馴染んでしまった8月上旬、診療所の西側玄関では、地面近くに枝を伸ばした椿の葉々が、火で炙ったように焦げていた。熊本震災から1週間が経ち、真夏の日差しの中に立つと、過酷な生活環境にいる被災された方々の、一日も早い平穏な日常の回復、 復興を祈らずにはいられない。 暑さが本格的な夏の到来を告げ始めた頃、「初なりのスイカを収穫したので、友人や知人にも届けたらどうか」と、近くに住む母親からメールが届いた。90歳の誕生日を機に自動車免許証を返納し、これまでのようには種苗園に行けないと、スイカと夏野菜の苗のリストが送信されてきたのは5月中旬だったと思う。依頼を受け私が買ってきたさまざまな苗を受け取った彼女は、毎日苗の成長を見守り世話を続けたわけである。周囲にはスイカが大好物だという人は多い。私は?と問われると、好きでも嫌いでもない。答えとしては「普通」という程度なので、躊躇なくスイカをあちこちに届けることになった。 それからしばらくすると「夏野菜が実ったので、よければ自分で収穫するように」とメールが届いた。返信を忘れていると、無農薬栽培だという赤く熟したトマトが届き、その日の夕食には丸いトマトが数個食卓に並べられた。家人は「この数年間で食べたトマトではいちばん美味しい」と言いながら笑顔を浮かべる。私にも勧めるが、「美味しいと思う人に食べてもらえれば、トマトも幸せだよ」と言いながら、やんわりと辞退した。 トマトを使った料理は好きである。トマトジュースも好んで飲むことも多い。さらにはサラダに添えられている包丁の入ったトマトは平気で口へと運ぶ。しかしどういうわけか、丸のままのトマトが苦手である。食べ物を嫌いになる原因はさまざまで、食品の味、におい、舌触り、食感に苦手意識や嫌悪感をもっていることだと言われている。 思い当たるきっかけは幼稚園、小学校低学年時代へとさかのぼる。日本の高度経済成長期前、地方では在来種、固定種とよばれる地方野菜が旬に応じて収穫され、大きさや味に多少のバラつきがあるのが当たり前だった。 やがて西洋型の食事への移行と大量生産時代の到来で、どこでもだれでも育てやすい品種が選ばれ、野菜の形や大きさの揃いが良く、味も受け入れやすく、成長も早く、同じ時期に一斉に収穫できる品種改良された野菜が、広範囲で栽培され流通するようになった。 その1つ1つに個性があった旬の地方野菜が、家庭の食卓さらには給食でも提供されていた。自分の給食皿へと配膳される丸いトマトが少しでも赤みが多いことを願いながら、「いただきます」をいう瞬間を待ったものである。外観から判断して「これは……」と感じ取った瞬間から、いかに味と食感を感じることなく喉の奥へと送り込むかと、作戦を練り始めていた。 今の時代では信じられない話だろうが、その頃は給食が完食できずにお皿を前に、教室の片隅で昼休みを過ごしている同級生を見かけることがあった。嫌いな食べ物がどうしても喉を通らなかったのだろう。しかし、担任の教師もそれを残すことを許さないという姿勢、風潮が根強く残っていた。私は、昼休みには1分でも長く運動場で過ごすことが楽しみだったので、「口に入れて一瞬で液体により流し込む」作戦でそれを免れていた。 今の時代でも、子どもの苦手なものとして野菜が挙げられることが多い。その理由として子どもは苦味や酸味に敏感なため、野菜のもつ「苦味」や「青臭さ」を感じ取ってしまうのではないかと言われている。ところが年齢を重ねればそれも気にならなくなるものだ。酒の肴にと並べられると、子どもの頃には苦手だったのにと、思い返すことも少なくない。そんな時、昼休みに教室の片隅で給食皿を前にうつむいて座っていた同級生の姿を、思い浮かべてしまうことがある。 この暑い夏を乗り切るには、旬の夏野菜を味わい、栄養素をバランスよく摂取することも大切な要因だと思う。その時には食感も楽しみの1つとなる。先週、ひと月前に上下総義歯を装着した患者さんが、「先生、とにかく食事が楽しみ。トウモロコシをくるくる回しながら、粒をかじりとって食べられたよ」と言いながら浮かべた笑顔は、歯科医師である私への少し遅い「ボーナス」にみえた。
著者浪越建男
浪越歯科医院院長(香川県三豊市)
日本補綴歯科学会専門医
略歴
- 1987年3月、長崎大学歯学部卒業
- 1991年3月、長崎大学大学院歯学研究科修了(歯学博士)
- 1991年4月~1994年5月 長崎大学歯学部助手
- 1994年6月、浪越歯科医院開設(香川県三豊市)
- 2001年4月~2002年3月、長崎大学歯学部臨床助教授
- 2002年4月~2010年3月、長崎大学歯学部臨床教授
- 2012年4月~認定NPO法人ウォーターフロリデーションファンド理事長。
- 学校歯科医を務める仁尾小学校(香川県三豊市)が1999年に全日本歯科保健優良校最優秀文部大臣賞を受賞。
- 2011年4月の歯科健診では6年生51名が永久歯カリエスフリーを達成し、日本歯科医師会長賞を受賞。
- 著書に『父母ヶ浜2000日』(近著)をはじめ『季節の中の診療室にて』『このまま使えるDr.もDHも!歯科医院で患者さんにしっかり説明できる本』(ともにクインテッセンス出版)がある。
- 浪越歯科医院ホームページ
https://www.namikoshi.jp/













