息子さんに連れられた、九州出身の80代のおばあさんがいらっしゃいました。 知人に、「そろそろ施設に入るか、息子と暮らすかにしたほうがいい」と言われ、施設に入る毎月15万円は支払えないので、息子の世話になることにして上京したとのことでした。しかし、お嫁さんに嫌われて「クサイ」と言われたりして、結局、息子さんの家の近くに独り暮らしとなり、息子さんが行き来しているようでした。 病歴の概要を聞いて少し診察した後、「細かい診察や検査などを進めていって治療方針を決めましょう」と伝えると、彼女は食い下がって話し出しました。 先生にこんなことを言うのはなんですが、最後に一言だけ言わせてください。私はもう死にたいんです。毎日なにも楽しいこともありません。時間になったらなにか食べなくてはいけないと、おかゆに納豆を食べるだけ。こんな生活はもう、なんの生きている意味も感じません。安楽死というのは3人が同意すればできると聞きましたので、ぜひそれにしてほしいのでお願いします。 と、尊厳死についての書類を出されました。 気持ちはわかりますが、安楽に死ぬのと、ほおって置いて死ぬのとは違うんですよ。病気もだんだん酷くなったら、もっと痛くなるし血も出たりして動けなくなってしまったりするんですよ。そうしたら辛いし、苦しみながら死ななければいけないかもしれません。だから、痛みはないようにしたほうがいいと思うのです。そうするには、今の病気がどんな状態なのかをまずは調べて、どうしていったら痛くなく「安楽死」できるのかを、専門の先生と相談しましょう。ご本人が嫌だというのに、勝手に手術したりはしないから大丈夫ですよ。 彼女は少し安心したか納得したか、細かい診察と検査に進ませてくれました。しかし、彼女の悪い病気は思いのほか大きく、隣接する組織を侵食し、反対側のリンパ節にまで巨大な転移を起こしているようでした。事実上、手術は「できない」ほどに進んでいました。 痛みは、息子さんのところに越してきた、半年前には出てきていたようです。「その時に来ていれば」「家族の対応がよかったら」と思うと、なんとも悲しくなる人生の終末期です。もう根治治療のやりようはありませんが、せめて最期くらい、人生の幸せを感じながらお亡くなりになってほしいものです。 僕に言葉を搾り出しながら話すおばあさんを横に、息子さんは何も言わずに焦点のあわない目で聞いていました。何も言えない、やんごとなき事情と、悔しさもあるのでしょう。母親を想う思いと、妻とともにある家庭を保たねばならない責任と、家庭をもったことのない僕には、わからないものもあるのでしょう。 我慢強い九州の女の「最後の一言」に対して、僕たちができたことは、必要な検査をして、診断名や病状とともに、彼女の意向をふんだ治療方針を受け入れてくれる病院を探すことだけでした。何度かのやりとりの結果、息子さんの関係の方々も協力してくださり、無事、受け入れてくださるところも見つかりました。その後の詳細はわかりませんが、彼女が、そして息子さんも、心安らかになれたであろうことを祈っています。
著者中久木康一
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 救急災害医学分野非常勤講師
略歴
- 1998年、東京医科歯科大学卒業。
- 2002年、同大学院歯学研究科修了。
- 以降、病院口腔外科や大学形成外科で研修。
- 2009年、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 顎顔面外科学分野助教
- 2021年から現職。
学生時代に休学して渡米、大学院時代にはスリランカへ短期留学。
災害歯科保健の第一人者として全国各地での災害歯科研修会の講師を務める他、野宿生活者、
在日外国人や障がい者など「医療におけるマイノリティ」への支援をボランティアで行っている。
著書に『繋ぐ~災害歯科保健医療対応への執念(分担執筆)』(クインテッセンス出版刊)がある。