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砂糖の歩んできた道 その3
南蛮菓子の由来

2019/12/13 デンタル〇〇デザイン

ヨーロッパにおけるサトウキビの栽培は、地中海の島々から始まった。
しかし、土地が荒れるため広大な土地を求め大西洋へ出て行った。
さて、1492年コロンブスが新大陸を発見した数年後のこと。
海洋国家のポルトガルとスペインは、植民地を広げるための条約を結んだ。
(注1)
教皇分界線を境界として、ポルトガルは東のアフリカやアジアに、スペインは西のアメリカ大陸の方に進出するというものだ。
しかし後日、ブラジルだけはポルトガルの植民地となった。

(図1)
現在、ブラジルではポルトガル語、南米のそれ以外の国でスペイン語が公用語となるのはこのためだ。
そして16世紀、ポルトガルはブラジルで栽培を始め世界市場を独占した。

さて同じ時期、ポルトガルは日本にも進出していた。
1549年、キリスト教を布教したフランシスコ ザビエルもポルトガル人だ。
金平糖やカステラも、ポルトガルから来た南蛮菓子である。

(図2)(注2)
織田信長に献上された砂糖も、遥か地球の裏側から来たものだった。

(図3)

17世紀に入ると、オランダが力を持ち世界に進出し、イギリスもこれに続いた。
そして、カリブ海の島々やブラジルで砂糖を作り始めた。
これが"プランテーション"。
そう!安い労働力を使い、一つの作物だけを作る大農園である。

砂糖の生成は、サトウキビを細かく切り、汁を絞って煮詰めることから始まる。
サトウキビの汁は乾燥するので、短時間で搾り取る必要がある。
のんびりしていたら大損害となる。

(図4)
しかも苗を植え・刈り取る作業は、重労働で過酷な作業だ。
たいへんな労働力を必要とする。
しかし先住民の人口は急激に減っていた。
征服者による虐殺や強制労働による衰弱死。
そしてヨーロッパからインフルエンザなどの病原菌が入ってきた。
先住民はインフルエンザに対する免疫を持っていなかったのだ。
わずか半世紀の間に、人口が87,5%も減ったという。
(注3)
そこで、海外から奴隷を連れてきた。
労働力が得られなければ、プランテーションが成り立たない。
これが、悪名高い"三角貿易"の始まりである。


続く


注1:トルデシャリス条約:1493年、ポルトガルはスペインとローマ教皇を仲介者として取り決めた。

注2:他に、パン・コップ・てんぷら・ばってら・オルガン・カルタ・タバコ等、日常語にも多くのポルトガル由来の言葉がある。

注3:1500年に新大陸では8000万人が住んでいたが、1550年頃には1000万人が残っているに過ぎなかった。(食の歴史人類学)