ヨーロッパにおけるサトウキビの栽培は、地中海の島々から始まった。 しかし、土地が荒れるため広大な土地を求め大西洋へ出て行った。 さて、1492年コロンブスが新大陸を発見した数年後のこと。 海洋国家のポルトガルとスペインは、植民地を広げるための条約を結んだ。 (注1) 教皇分界線を境界として、ポルトガルは東のアフリカやアジアに、スペインは西のアメリカ大陸の方に進出するというものだ。 しかし後日、ブラジルだけはポルトガルの植民地となった。 (図1) 現在、ブラジルではポルトガル語、南米のそれ以外の国でスペイン語が公用語となるのはこのためだ。 そして16世紀、ポルトガルはブラジルで栽培を始め世界市場を独占した。 さて同じ時期、ポルトガルは日本にも進出していた。 1549年、キリスト教を布教したフランシスコ ザビエルもポルトガル人だ。 金平糖やカステラも、ポルトガルから来た南蛮菓子である。 (図2)(注2) 織田信長に献上された砂糖も、遥か地球の裏側から来たものだった。 (図3) 17世紀に入ると、オランダが力を持ち世界に進出し、イギリスもこれに続いた。 そして、カリブ海の島々やブラジルで砂糖を作り始めた。 これが"プランテーション"。 そう!安い労働力を使い、一つの作物だけを作る大農園である。 砂糖の生成は、サトウキビを細かく切り、汁を絞って煮詰めることから始まる。 サトウキビの汁は乾燥するので、短時間で搾り取る必要がある。 のんびりしていたら大損害となる。 (図4) しかも苗を植え・刈り取る作業は、重労働で過酷な作業だ。 たいへんな労働力を必要とする。 しかし先住民の人口は急激に減っていた。 征服者による虐殺や強制労働による衰弱死。 そしてヨーロッパからインフルエンザなどの病原菌が入ってきた。 先住民はインフルエンザに対する免疫を持っていなかったのだ。 わずか半世紀の間に、人口が87,5%も減ったという。 (注3) そこで、海外から奴隷を連れてきた。 労働力が得られなければ、プランテーションが成り立たない。 これが、悪名高い"三角貿易"の始まりである。 続く 注1:トルデシャリス条約:1493年、ポルトガルはスペインとローマ教皇を仲介者として取り決めた。 注2:他に、パン・コップ・てんぷら・ばってら・オルガン・カルタ・タバコ等、日常語にも多くのポルトガル由来の言葉がある。 注3:1500年に新大陸では8000万人が住んでいたが、1550年頃には1000万人が残っているに過ぎなかった。(食の歴史人類学)
著者岡崎 好秀
前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授
略歴
- 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
- 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
- 日本小児歯科学会:指導医
- 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
- 日本口腔衛生学会:認定医,他
歯科豆知識
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人が噛む効果について、また動物と食物の関係、治療の組立て、食べることと命について。
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