Dental Life Design

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むし歯の少ない町の歯科医師の日常
第3回:美しいもの

2020/1/27 デンタル〇〇デザイン

私が取り組んできた地域でのう蝕予防活動の印象が強いのか、かつて大学の予防歯科学講座に在職していたと思い込んでいる人が多い。そして開院まで歯科補綴学講座で診療や研究、教育に携わっていたことを告げると、驚きの表情に出会うことになる。補綴・修復処置に真摯に向き合えば、う蝕や歯周病予防の重要性に気づくことは容易で、ことさら予防に真剣に取り組もうとすることに何の矛盾も感じない。

昨年末、某有名企業に勤務する姪から新任基幹職研修の課題インタビューという名目で、いくつかの質問を受けることになった。もちろんその中では「予防」という言葉がキーワードの1つとなった。私は1994年5月に大学を退職し、わずか3日の準備期間で開院したわけだが、それから続いた駆け足のような26年間をゆっくりと振り返る良い時間になった。小さな町で一開業歯科医となり、診療・生活環境の大きな変化に戸惑ったことや、予防の必要性を強く認識し始めたころの出来事、スタッフたちと交わした印象深い会話などが次々に思い出され、頭の中には診療所の年表が作り出されていった。

23年前、う蝕予防と歯周処置、メインテナンスを根底に据える診療体系に変換するという大きな課題に取り組むことを決意した。私が強引に一歩目を踏み出し、号令をかけるものの、スタッフたちの間には困惑と不安が広がっていた。高名な先生たちの話や供覧される症例を前にすると、歯科衛生士たちの知識や技量の向上はなかなかの難題で、モチベーションを保ちながら地道な努力を持続すること、それには長い時間が必要なことは明らかだった。

そんなある日、院長室のドアがノックされ、主任歯科衛生士が「先生、お話があります」とうつむき加減で立っていた。「お話が……」、突然のこの言葉を恐れる院長は多い。その頃には、私が信頼し目標にしてほしいと願った歯科衛生士を講師として迎え、院内セミナーも回を重ねていた。少しずつだが前を向いて進んでいるものと考えていた。しかし、彼女は遠慮がちに「先生、私たちには無理だと思います……」と言う。皆であれこれ話し合ったのだろうが、私はその言葉を聞きながら、中島みゆきのある曲の「難しいこと望んじゃいない 有り得ないこと望んじゃいない」という歌詞を浮かべていた。

それからは我慢の時間が続いた。歯科衛生士たちと、信頼できる他のスタッフたちの支えも受けて、目の前の今日の課題に対応しながら1週間、1ヶ月、1年と時を過ごしていった。自分の行った処置などに確かな手応えを感じるようになってくると、患者さんにも信頼され、同僚にも頼られ、歯科衛生士という職業に誇りをもつようになっていくのがわかった。撮影した口腔内写真が100万枚になり、6名が日本歯周病学会認定衛生士となると、診療室での会話の内容も変わってくる。「無理」といった主任は勤続24年目になり、「今日辞めて着物の着付けを習います」と言った副主任は、患者さんからも絶大な信頼を得ている。そして私は彼女たちの働く姿を美しいと思っている。

昨年出版された拙著『季節の中の診療室にて』(クインテッセンス出版刊)にサインを頼まれると、椿の挿絵と映画「LIFE」のハイライトシーンに登場する言葉を書くことに決めている。この映画は、雑誌LIFE社で写真の現像という地味な仕事を続けてきたウォルターが主人公である。彼は最終刊の表紙を飾る「25番のネガ」を失くしたと思い、撮影した伝説の写真家ショーンを探す旅に出かける。そしてやっとのことでアフガニスタンの山奥でショーンに出会う。ショーンはカメラを構え、静かにユキヒョウが現れるのを待っていた。「25番のネガ」のことを話すとシェーンはこう語るのである。

「Beautiful things don't ask for attention.」

その言葉は美しいユキヒョウが人目を避けて生きている、そのことを言っているのかとも思うのだが、実は違う。探し求めた「25番のネガ」に映されていたのは、ネガを見上げているウォルターの姿だった。薄暗い一室で注目されることなく写真を大切に現像してくれた彼への最大限の信頼と敬意を込めて、ショーンはその姿を美しいと表現した。そして私はその結末を思い出すといつも胸が熱くなる。

誰にも注目されることがなくても、目の前の物事に真摯に取り組むということは美しい。今日仕事を辞めたいと思っているあなたにそのことを伝えたい。