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砂糖の歩んできた道 その6

砂糖の歩んできた道 その6
砂糖の歩んできた道 その6
イギリスは、中国から高価な茶を輸入していたが、輸出するものがなかった。
産業革命前、イギリスの主要産業といえば毛織物を思い浮かべる。
しかし、寒い地域では重要があるが、蒸し暑いアジアでは必要ない。

当時、東洋と西洋ではどちらが豊かだったかご存じだろうか?

西洋と思われるだろうが、そうではない。
寒冷なヨーロッパの方が貧しかったのだ。(注1
当時のアジアは、豊かで衣食住に困っていなかった。
ヨーロッパから欲しいものなどなかったのである。
一方、中国からは茶の他にも、絹、コショウなども多量に輸出されていた。
そのため、イギリスは莫大な貿易赤字に陥った。(注2

さて18世紀末、イギリスは"あること"を考えた。
当時、インドはイギリスの植民地であった。
インドでケシの実を栽培し、アヘン(阿片)が採れたのだ。

それを中国に持ち込んだのである。
おかげで民衆は、麻薬中毒により身も心もボロボロになった。
それは官僚や軍隊までおよび、国は荒廃した。


今度は、アヘンで儲けた莫大なお金がイギリスに入ってきた。
おりしも産業革命で、多くの機械が発明され工業化が進んだ。
そこで中国は、アヘンの輸入を禁止した。
これがきっかけでイギリスと中国の戦争が始まった。
これがアヘン戦争である。(注3

イギリスは、最新鋭の軍艦と武器を持っていた。
そして砲艦外交で中国をねじ伏せようとした。

中国はイギリス艦隊に屈服し、多額の賠償金を支払い植民地となった。
その際、南京条約の締結により、香港はイギリスに割譲された。
1997年まで香港がイギリス領であったのはこのためだ。


注1:ヨーロッパが裕福になったのは、18世紀末の産業革命以降に工業化が進んでからである
注2:イギリスの代表的産業は毛織物であったが、温暖な中国では売れないため、極めて不均衡な貿易であった。中国は、銀本位制であり代価を銀で支払う必要があった。しかしイギリスは銀も枯渇していた。
注3:第1次アヘン戦争1840年~1842年

著者岡崎 好秀

前 岡山大学病院 小児歯科講師
国立モンゴル医科大学 客員教授

略歴
  • 1978年 愛知学院大学歯学部 卒業 大阪大学小児歯科 入局
  • 1984年 岡山大学小児歯科 講師専門:小児歯科・障害児歯科・健康教育
所属学会等
  • 日本小児歯科学会:指導医
  • 日本障害者歯科学会:認定医 評議員
  • 日本口腔衛生学会:認定医,他

歯科豆知識
「Dr.オカザキのまるごと歯学」では、様々な角度から、歯学についてお話しします。
人が噛む効果について、また動物と食物の関係、治療の組立て、食べることと命について。
知っているようで知らなかった、歯に関する目からウロコのコラムです!


岡崎 好秀

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