砂糖の歩んできた道 その6
2020/1/29 デンタル〇〇デザイン

イギリスは、中国から高価な茶を輸入していたが、輸出するものがなかった。 産業革命前、イギリスの主要産業といえば毛織物を思い浮かべる。 しかし、寒い地域では重要があるが、蒸し暑いアジアでは必要ない。 当時、東洋と西洋ではどちらが豊かだったかご存じだろうか?西洋と思われるだろうが、そうではない。 寒冷なヨーロッパの方が貧しかったのだ。(注1 当時のアジアは、豊かで衣食住に困っていなかった。 ヨーロッパから欲しいものなどなかったのである。 一方、中国からは茶の他にも、絹、コショウなども多量に輸出されていた。 そのため、イギリスは莫大な貿易赤字に陥った。(注2 さて18世紀末、イギリスは"あること"を考えた。 当時、インドはイギリスの植民地であった。 インドでケシの実を栽培し、アヘン(阿片)が採れたのだ。
それを中国に持ち込んだのである。 おかげで民衆は、麻薬中毒により身も心もボロボロになった。 それは官僚や軍隊までおよび、国は荒廃した。
今度は、アヘンで儲けた莫大なお金がイギリスに入ってきた。 おりしも産業革命で、多くの機械が発明され工業化が進んだ。 そこで中国は、アヘンの輸入を禁止した。 これがきっかけでイギリスと中国の戦争が始まった。 これがアヘン戦争である。(注3 イギリスは、最新鋭の軍艦と武器を持っていた。 そして砲艦外交で中国をねじ伏せようとした。
中国はイギリス艦隊に屈服し、多額の賠償金を支払い植民地となった。 その際、南京条約の締結により、香港はイギリスに割譲された。 1997年まで香港がイギリス領であったのはこのためだ。 注1:ヨーロッパが裕福になったのは、18世紀末の産業革命以降に工業化が進んでからである 注2:イギリスの代表的産業は毛織物であったが、温暖な中国では売れないため、極めて不均衡な貿易であった。中国は、銀本位制であり代価を銀で支払う必要があった。しかしイギリスは銀も枯渇していた。 注3:第1次アヘン戦争1840年~1842年